第3話「魔眼、そして潜入」
普段は静寂に包まれている森。
そこに小気味よく響く、木刀をぶつけ合う音。
「魔力の流れで動きを見ろ、視覚でとらえるな!」
「……はいっ!」
グラサード城のそばにある、『まどろみの森』。
今日もここで、ケラントの修行が行われていた。
木刀が渡されてから早7年。
ケラントは10歳になっていた。
彼が父から教わっているのは『黒武流』と呼ばれる国王家秘伝の流派で、剣だけでなく弓や体術、槍術、さらには隠密まで、あらゆる流派を網羅した「究極奥義」として名をはせている。
習得するには並外れた運動能力のほかに魔力の流れを視認するための『魔眼』が必要となり、現時点で『エプシル』という亜人以外に習得した例は確認されていない。
では、この流派を唯一習得できる『エプシル』とは何者なのか。
簡潔に言うと、魔力を失う代わりに馬鹿げた運動能力を手に入れた種族だ。
成人男性ならば30メートルくらい平気な顔をしてジャンプするし、拳で大岩を叩き割ったりもできる。
ただし魔法は基本扱えない。
テルヘン王国はこのエプシルが人口の五分の一ほどを占めており、これが国の強力な軍事力の基盤となっている。
褐色の肌に黒い髪を持つこと、そしてその大半が魔眼を所持していることが特徴で、エルフに並ぶ上位民族である。
魔眼。
これは、魔力の流れを読み取る能力がベースとなり、そこに個人によって様々な能力が加わった器官(眼や鼻、耳など)の総称である。
各能力にはそれぞれ名前が付けられ、中には一つの器官に複数の能力を宿している場合もある。
ちなみに王家であるタンドラやケラントも勿論エプシルで、共に魔眼を所持している。
タンドラは少ない消費魔力で炎系の魔法を扱える『炎眼』。
ケラントは半径20メートルの魔力を完全にコントロールできる『神眼』、さらに2、3秒先の未来を予見する『予知眼』も保有している。
ケラントが持つのは共に強力な魔眼だが、扱えるようになるにはかなりの修錬が必要となる。
剣から弓まで、基本的な武術を全て納め終えたケラント。
そんな彼が今まさに取り組んでいるのが、この「魔眼の扱い方」だ。
「流れを見ろ、流れを! 剣先からは何も読み取れんぞ!」
「はいっ!」
ケラントの動きを全て見透かしたかのように攻撃を全ていなしながら、猛烈な叩きを入れるタンドラ。
そんな彼の真紅の右目は今、爛々と光っている。
これが魔眼の発動している証だ。
対するケラントの眼は、時々ジジッと一瞬明かりがともることはあるものの、ほとんど素の状態のまま。
まだ魔眼の扱いに慣れていないからだ。
なんとか父の魔力の流れを読み取ろうとしつつ、ケラントは懸命に隙を窺う。
だがタンドラは容赦しない。
次々と間合いを詰めてくる。
(これは一度突き放した方がいいな……)
この明らかに不利な状況に対し、ケラントは一度間合いをとって形勢を立て直そうと判断した。
そしてそこでタンドラが大きく踏み込み、頭めがけて木刀を振り下ろしてきた。
(ここだ!)
その一撃を難なくいなすと、ケラントは足にグッと力を込めた。
父の木刀は今地面に向かって振り下ろされている。
少しの間は稼げたはずだ。
きっと後ろに引くには十分だろう。
重心を後ろに移動させつつ、彼は大きく後ろに飛び上がる。
そしてそのまま後方の大樹の太い枝に着地する──はずだった。
だがここで。
木刀に添えられていたはずのタンドラの腕がニュッと伸びてきた。
そして腹当たりの布をギュッと掴まれる。
「え?」
そんな腑抜けた声を出したと同時に、ケラントはそのまま勢いよく地面に叩きつけられた。
「ガハァッ!」
弾みで一度体が持ち上がる。
受け身を取れていなかったら肋骨が二、三本折れていたところだ。
だが体が上手く反応できなかったため受け身を完璧に取れず、衝撃に驚いた横隔膜が痙攣を始める。
咳を連発しながら地面に膝をつくケラント。
そんな彼の首元にタンドラは木刀を突きつけた。
「……実戦だったら首が飛んでたな」
彼の一言に、ケラントが悔しそうに見上げる。
そして咳を撒き散らしながら、彼はなんとか父に訊ねた。
「……どうして後ろに……飛び跳ねることが……分かったんですか」
タンドラは頭をポリポリ掻きながら答えた。
「どうしてって、何度も言ってるだろう。魔力の流れを読んでるんだ」
簡単に言う父。
だがケラントにはその「魔力の流れを読む」とはどういうことなのか、まるで想像がつかなかった。
「なんて言うか、道が見えるんだよ。魔力溜まりの中に乱れが生まれて、私はそこに手を伸ばしただけだ。
ある種、未来を読んでいると言えるかもな」
何度か深呼吸をしてケラントは息を落ち着かせる。
そのままフラフラと立ち上がった彼は、弱々しく呟いた。
「……僕なんかにできますかね」
「できるに決まってるだろう。何てたって、父さんの息子だからな」
「そう言いますけど……」
「安心しなさい。私も最初の1年は毎日父上にしごかれていた。まるで身に付かんくてな。大いに苦労したものだ」
在りし日の苦い記憶を思い出し、タンドラは思わず苦笑を漏らす。
「……だが魔眼とは不思議なもので、それまでどれだけ頑張っても発動しなかったのに、ある時突然できるようになるんだ。なんの前兆もなくな。
きっとお前にもその時は来る。それまでは辛抱なさい」
そう言って彼は息子の肩をポンと叩いた。
それに呼応してケラントも力無くだが笑う。
「よし、じゃあ今日の鍛錬はここまでだ。私は執務に戻るが、お前は……?」
「今日は勉強に努めます。先生がお越しになっているので」
王たる者、強さだけでは当然何もできない。
偏りなくあらゆる学問に精通していることが求められる。
ケラントは何人かの家庭教師の下、あらゆる知識を吸収することにもまた努めていた。
「そうか、頑張ってくれ」
「もちろんです。いつか父上を抜かさねばなりませんので」
「ハッ! そんなことできるか?」
「やってみせますよ」
こうして2人はそれぞれの日常に戻っていった。
**
「ふぅ〜……」
今日終わらせるべき職務を終わらせたタンドラは、大きく息を吐いた。
夕暮れの光が差し込む執務室。
いつもなら資料を持ってあたふたしている執事も、今はいない。
珍しく完全に1人だ。
彼は椅子から立ち上がって窓辺に立ち、眼下に広がる街を見下ろした。
徐々に夜が忍び寄る街には、ポツポツと明かりが灯り始めている。
蝋燭の、包まれるような暖かい明かりだ。
そんな街を見下ろしながら、彼は今日の鍛錬について考える。
魔眼の扱いで苦しんでいるとは言え、ケラントは確実に強くなってきている。
今日大きく後ろに引こうとしたのも、並大抵のものなら対応できないだろう。
何せ後ろの樹まで10メートルは離れていたから。
だがそれは強敵以外に限った話だ。
鍛錬された者は、あんな単純な動きなら魔眼がなくとも見抜ける。
そうなるように誘導し、移動先に罠を仕掛けることだって可能だ。
だからケラントに必要なのはやはり魔眼だ。
『神眼』と『予知眼』の抱き合わせなんて、向こう千年に1人生まれるか怪しいだろう。
間違いなく彼は、先代を大きく上回る力を手にするはずだ。
「ふふっ」
思わず漏れる笑い。
ケラントの未来を想像すると、どうしてもニヤケが出てしまう。
彼が魔眼で苦しむのも多分あと一年くらいか。
その後は──
「……楽しみだな」
タンドラは窓に向かって一人呟いた。
そしてその時。
部屋の戸が2回、トントンと控えめに叩かれた。
「入れ」
「……失礼します」
ドアを開けたのは、燕尾服に身を包んだ白髪の執事だった。
「陛下、ゼンゲル様がお越しです」
「おぉ、そうか。通してくれ」
「かしこまりました」
執事はドアを全く音を立てずに閉め、次に戻ってきた時には傍らに金髪の目立つ男を連れていた。
「……どうぞ」
「失礼します」
戸を開ける執事に軽い会釈をした後、男は部屋に足を踏み入れる。
「陛下、ご依頼通り《
「おぉ、それはご苦労。貴殿らには驚かされてばかりだ。あの強力な魔獣の群れを、たった3日で討伐するとは……」
「いえいえ、Sランクパーティとして当然のことです」
国王の賛辞に謙遜を示すこの男。
ここ数年で一気に名乗りを上げたパーティ、『ナラマイル』のリーダーであるゼンゲルだ。
数年前に突如として姿を現し、当初はその強さに懐疑的な意見こそあったものの、その後次々と超難関クエストを攻略していき、今となっては国を代表する強力なパーティである。
「それで、報酬の方は……?」
「もちろん用意してある。そちらの執事に案内してもらえ」
呼ばれた執事がペコリと頭を下げる。
「そうですか、分かりました。それでは旅の力も癒したいので、私はここで失礼させていただきます」
ゼンゲルがさも残念そうな顔で告げる。
「そうしてくれ。今後も頼りにしてるぞ」
「もちろんです。今後もご依頼は──」
ゼンゲルは先ほどまでの曇り顔を払拭し、ニヤッと不気味な笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「この『ナラマイル』にお任せください」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます