第522話 その背より出でしもの

「……また、見捨てられたのか。私は……」


超・大明拳ちょう・たいめいけん≫の眩い光がようやく収まって、目に飛び込んできたのは、真っ黒に日焼けしたスキンヘッド男の何とも言えない哀れな姿であった。


服の跡が白くくっきり残る裸身の青年。

それと対比したように露出部分は異様に黒く日焼けしている。

年齢的には少なくとも三十半ばくらいに見える。


額にはクー・リー・リンみたいな六つの小さな痣。


その裸身の青年は力なく地面に膝を落とし、股間を隠すことも忘れて呆然としている。


その顔は鼻水と涙で黒光りし、歯は異様なほど白い。


こいつ、クー・リー・リンの兄貴とか親父とかなんだろうか。


「……≪天魁星てんかいせい≫、ぐすっ、私を見限って、逃げやがった……」


せっかく盛り上がっていたのに、この湿っぽい露出狂のせいでテンションが下がって来てしまった。


武神奉先ほうせんの奴は戦意を喪失したように見えるし、ヤルダバオートは地面にうつ伏せになったまま、動かない。


返事もしないから、終戦ということでいいんだよね。



「リーよ。お前は決して見捨てられていたわけではないぞ」


シーム先生が歩み寄っていき、その露出狂の肩をポンと叩いた。


「えっ、こいつ、クー・リー・リンなの?」


驚くロランに、シーム先生は静かに頷いた。

そして再び、クー・リー・リンの方を向くとその穏やかな瞳のまま、言った。


「おぬしは見捨てられていたのではない。皆に守られておったのだ。儂がおぬしを置いて行ったのは危険から遠ざけるためであった。儂には為さねばならぬことがあり、親元に居るほうが、善いと考えたのじゃ。おぬしの姉にしてもそうだ。儂とのことで、婚約していた相手の家の貴族との関係から、おぬしの将来に影響を及ぼすのではないかと常に心配しておったのだ」


「私はそんなことは望んでいない。私は、あなたの後継者になりたかったんだ。剣聖となり、それを足掛かりとしてクー家を再興し、故国を取り戻す。それが望みだった。でも、師匠は私ではなく、そこのロランを選んだ。許せない!許せない!許せない!」


クー・リー・リンはやおら立上り、復讐心にそまった目で、いきなりロランに殴りかかって来た。


「えっ、なんで俺に?」


ロランはクー・リー・リンの大振りな拳を悠々と躱し、続く攻撃も難なくよけ続けたがいい加減に飽きてきて、仕方がないから一発殴らせてやった。


身体は大人のものになっていたが、その動きはかつてのクー・リー・リンそのままだった。


まるで成長していない。


ロランは谷〇をみる白髪鬼のような目で見つつ、左頬を差し出した。


クー・リー・リンの拳がロランの頬を打つと同時に、何かが砕けたような音がした。


「ぐあっ、ああ……拳が……」


クー・リー・リンは右拳を押さえながら、その場に跪き、嗚咽した。


右拳は砕け、前腕の中ほどから明後日の方向を向いている。


神の力を宿したロランの肉体は、素の状態でも人知を超えた「しゅびりょく」を誇り、もしそれに≪神気≫による防護が加わっていたならばこのぐらいでは済まなかっただろう。


ロランはあえて≪神気≫を抑え、生の肉体を殴らせてやったのだ。


「どうだ、 気が済んだか? というより俺一回殺されかけているし、本当は逆なんだけど……」


「腕が……くそう……。気なんか済むわけないだろう。なんでお前ばっかり、恵まれて、私だけこんな目に……。憎い、お前が憎いぞ、ロラン」


「なんでそんなに俺を目の敵にするわけ?お前、生まれは没落したとは言え王族だって話だし、頭ハゲて気持ち悪い顔でもそれなりに努力したら、前世の俺よりかはマシな人生だったはずだろ。それに、なんでいきなり大人の姿になってるのかわからないけど、服ぐらいは着て歩いたほうがいいよ。そう言う性癖持ってると女の子に嫌われちゃうよ」


「ぐ……ぞう。みぐだしやがって……」


その時、うずくまるクー・リー・リンの脳内に突如語りかけてくる声があった。


『わかる。わかるぞ。その憤り、悔しさ。さぞ無念であろう。そのロランを八つ裂きにしてしまいたいだろう。余も同様だ。だが、それを為すには力が足らぬ。綿密に準備し、万全を期してさえも、そのロランが運だけで得たその力の前には及ばなんだ。クー・リー・リンよ! そして、このカドゥ・クワーズ中の全ての者よ、聞け。余は神皇しんおうヤルダバオート。このままでは神としての覚悟も無く、私利私欲の塊である者に、この世界は好きなようにされてしまうであろう。今が未曽有の危機ぞ。自由を求める者たちよ、このロランに恨みを持つ全ての者よ。生者も死者も、一人でも多く、心を開き、余に力を貸すと念じてくれ。余にロランを討つ力を、与えてくれ。念願かなった暁には、余の臣民として、永劫に続く幸福と加護を与えようではないか!』


「なんだ、これ」


その脳内に響く声は、ロランだけでなく、現世も身の内の冥府でさえも含む、世界中の全ての者に響き渡っているかのようであった。


ヤルダバオートの方を見てみたが、まるで昆虫の蛹にでもなったかのように身動き一つしていない。

これは強烈な念波による声であるようだった。


「いかん。リーよ、耳を貸すな。悪の囁きに耳を貸してはならん!」


シーム先生は慌てて、クー・リー・リンに駆け寄り、そう強く呼び掛けたがその声が届くことはなかったようだった。


「……捧げる。貸すのではなく、全部くれてやる。こいつを不幸のどん底に堕とせるなら、くだらない私の全てでよければくれてやる……」


クー・リー・リンがそう口走った直後、その全身が光り輝きヤルダバオートの肉体に吸い込まれてしまった。


そして次に世界中からこの王都のヤルダバオートに向けて多くの光が飛来し、集まって来た。


ディヤウスの死によって改宗した者も含むヤルダバオート教の信者たちやあるいは今の呼び掛けに何らかの賛意を持った者たち。


それらの者たちから光が浮かび上がり、ここに集まって来ているのだ。


「わ、我らも捧げるぞ」


体力が全快した≪魔星≫たちに押し込められ、劣勢となっていた≪追放されし神々エグザイルズ≫たちもこのまま滅ぼされてしまうよりかはましだと応じ始めた。


人も、魔族も、そして神でさえも、ロランを否定する者は皆、ヤルダバオートに応じてしまったようだった。

中には「ロランって誰?」という者たちも多くいたであろうが、ヤルダバオートという神の声を直に聞き、しかも見返りまであるとあっては安易な考えて応じてしまった輩も少なからずいたようだ。


ほんのわずかの力を貸したものから、その全てを捧げてしまった者まで多種多様であるようだった。


無数の光が流星のようにヤルダバオートに降り注いでいく。


「えっ、俺ってこんなに嫌われてるの?」


驚くべきことに、ロランの体からも多くの光が飛び出し、ヤルダバオートに吸い込まれていった。


魔物狩りなどで屠って来た闇の者ども、ガーズィール、パーニュ、アンリ何某なにがし、そして何となくしか覚えてない三下たち……。



全ての光を吸収したヤルダバオートの逞しい背が縦に大きく割れた。


それはまさしく羽化であった。


禍々しく光り輝く≪神気≫を放ちつつも、生臭い瘴気を周囲に巻き散らし、にゅるりと何かが割れ目から出てきた。


それはヤルダバオートの元の体の数倍はあって、背には四枚の大きな羽が生えていた。


まだ眩しくてその全容は伺えないが、少なくとも普通の人型はしていないようだ。


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