第450話 ここは地獄の……

床の上に横たわり、ピクリとも動かなくなったヤルダバオートを囲み、取り巻きたちは途方に暮れていた。


「マジかよ。本当にくたばっちまいやがった。俺たちこれからどうすりゃいいんだ」

「あほくさ、こんなジジイの口車に乗って馬鹿を見たぜ」

「これから私たちの時代がやってくると思ったのに、これで終わりなの?」


彼らの口から漏れ出るのは、自分たちを導き、庇護してくれると信じていたヤルダバオートへの偽らざる失望と落胆の気持ちだった。


そして、ロランもまた、この思いがけぬ展開に戸惑っていた。


老衰?

これだけ世の中を滅茶苦茶にかき乱しておいて、自分だけあっさり死んでんじゃねえよ。


この事態の収拾をどうする気だ。


地上では今、ヤルダバオート教とディヤウス教の激しい宗教対立の真っ最中であり、この自作自演ともいえる茶番劇をやめさせるべく、この筋書きを描いた当人に直談判するつもりでいたのだ。


多少脅したり、強要したりする可能性はあったが殺すつもりはなかった。


両方の宗教組織を影で操るヤルダバオートさえ説得できればそれで全部解決できるわけだし、話が早いと思ったのだ。


自身の口で信徒たちにディヤウス教徒の迫害をやめるように命じさせ、未だ抵抗と弾圧を繰り返す教皇庁と聖堂騎士団を影で操ることを断念させれば、それですべては解決するはずだった。


その当人であるヤルダバオート神が死んでしまったのでは、全てが水の泡である。


「おい、ちょっと待った。これは老衰じゃないぞ。見ろ。背中にてのひらの形をした酷い皮下出血がある。しかも肋骨や背骨が骨折していて、しかもそれが肺に刺さっている。これは他殺だ」


前世では医者であったというロン毛の≪転生者≫が眼鏡をくいっと上げて、自慢げに死因を公表した。

どうやら一人で黙々と死因の特定をしていたらしい。


「嘘、ちょっと見せてよ」


身をかがめ、ロン毛眼鏡が指し示す箇所を見てみたが、たしかにひどいアザになっていた。


ちょうど先ほど俺が手で押した辺りだ。


気が付くとその場にいた全員の視線が俺に集まっていた。


「いやいやいや、待ってよ。確かに背中を押したのは俺だけど、別に張り手したわけじゃないし、軽く押しただけよ。それに、正当防衛だって。後ろから刺されそうになったのを躱して、こうチョンと……」


チョンではなくドンッだったけど、殺す気などは本当になかった。

本当に、本当だ。どの神か知らんけど、神に誓って。


「……お前が……やったのか? 俺には遠すぎて見えたなかったが、今確かに押したって言ったよな」


近くにいたモヒカン頭が震えながら俺の方を指差した。


しまった。

こいつらには見えてなかったんだ。

墓穴を掘ってしまった。


こいつらはただ、同じく上から降りてきた俺に事情の説明を求めていただけだった。

はっきりと疑われていたわけではなかったようだ。



「おい、新入り。余計なことをしてくれたな。俺はヤルダバオート神にいつどこで誰を殴ってもいい自由を約束されてたんだ。それが実現する世の中になるまであと少しってところだったのに、落とし前つけてもらおうじゃねえか」

「僕は小中学生くらいの年齢の女の子のハーレムを作る自由を」

「オレは、全裸で往来を歩いても捕まらない自由を!」

「わしは切って、盛りつけられたメロンの先の甘い部分だけ食べる自由を」


次々と各自が、各自の欲望をさらけ出しながら憤っている。


「ぶっ殺してやる。前世では奥多摩のバイソンとおそれられていたこの俺様が相手だ」


額から後頭部まで一本通ったソリコミの巨漢が肩を回しながら威圧的な態度で近寄ってきた。


「ま、待て。俺たちではこのロラン様には勝てん。馬鹿なことはやめるんだ!」


アンリ・プッティーノは慌てて奥多摩のバイソンを止めようとする。


「そうだYO。そいつはヤバいYO!」


下半身丸出しでサングラスをかけた小柄な老人が、俺の方を指差し叫んだ。

全裸で四つん這いの少年二人を犬のように首輪をつけて引き連れている。


「なんだ?ジョリー・イーストリバー。≪数字の番人ナンバーズ≫でもない、≪自由民アーミー≫ごときが口をはさむな」


「でも、本当にそのロランというやつはヤバいYO。ユーたち皆殺しにされちゃうよ。魔闘気を隠してるけど、そいつは魔王級の魔族YO~」


それだけ言うとその小柄な老人は慌てて後ろに引っ込んだ。

どうやら自分のことを知っているような口ぶりだったが、その老人のことは誰だか思い出せなかった。


まあ、いいや。

とにかく、≪数字の番人ナンバーズ≫という幹部の他にも≪自由民アーミー≫とかいう連中もここには集まってるのか。


「ねえ、プッチンさん。ダミアン以外の≪数字の番人ナンバーズ≫とその≪自由民アーミー≫とかいう人たちは全員この場にいる?」


「ん? プッチンとは私の事を言っているのか?ああ、そうだな。全員ではないが今日はかなり集まりがいい方だろう。このサロンには主なメンバーがそろっている。それと≪自由民アーミー≫はまだ募集中でそれほど多くは無いんだ」


アンリ・プッティーノが憤る奥多摩のバイソンを押さえながら、答えてくれた。


「そっか。良かったよ。ここで一網打尽に出来るからさ。お前たちはヤバそうだからさ。もう二度と自由に外には出さない。ねえ、K・Yカク・ヨムアヴァター、できるよね?」


ロランがそう言って虚空に向かって話しかけると、すぐにK・Yカク・ヨムアヴァターが現れた

「イエス、可能です。≪天頂神座てんちょうしんざ≫から回収したグナーシス・レガシーを行使します。この空間は、もともとグナーシス・レガシーにより創造されたクリーチャーなので、間取り、構造、材質、意匠、何でも思うがままです」


その言葉と共に≪天頂神座てんちょうしんざ≫と地上に繋がる出入口の一切が消えた。


グッジョブ。

やはり俺とK・Yカク・ヨムアヴァターは完全に意思疎通ができている。

我が意を得たりである。


「そうなんだ。ちょうどいいや。このまま、この変態たちの隔離施設カサンドラにしちゃおう」



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