第412話 神の玉座にある主

それはロランが王都近郊の森の中で、廻天屍かいてんし軍団を壊滅させ、神の力を持つ究極の人間≪荒人神あらひとがみ≫として目覚めた少し後の話である。



≪魔世創造主≫アウグス、≪冥府と慈悲を司る神≫リヴィウス、≪裁きと復讐ふくしゅうの神≫ガリウス。


この三悪神への備えとして、千年を超える時と労力を費やして組織された廻天屍かいてんし軍団の壊滅の報を受けた大天使長ルーキフェルはしばらくその場から動くことができなかった。


老いにより皺が刻まれた顔をより一層険しくし、己の神衣の胸元を掴むことで、動揺を必死に押しとどめようとしていた。


「選りすぐりの廻天屍かいてんし、1111体が全滅? 相手はだれだ。リヴィウスか、それともガリウスか。あの禍々しい気の持ち主は、どちらだったのかと聞いている」


苛立つ大天使長ルーキフェルの問いに、報告に来た模造天使は答えることができず、そのからくり人形のような顔を右往左往させていた。


「もうい!」


大天使長ルーキフェルは、その模造天使をその場に置き去りにし、自らは≪天頂神座てんちょうしんざ≫を守る≪限界門げんかいもん≫の向こう側へと足を踏み入れた。


この≪限界門げんかいもん≫は、≪天頂神座てんちょうしんざ≫に至る唯一の入り口であり、この門を越えた先の長い回廊を進んだ先に、その場所は存在する。


このカドゥ・クワーズの世界の主神たる存在が君臨する聖地。


神が、神たる力を発揮するために必要な力のすべてがそこにはあった。



自らのあるじにこの好ましからざる失態の報告を如何にすべきか、大天使長ルーキフェルの頭の中はそのことでいっぱいであった。


ありのままを報告するしかない。

いくら虚言を弄そうともあの御方は、相手の心を見透かしてしまわれる。


それにあれだけの巨大な気の衝突だ。


あのお方が気付いていないわけはない。


王都近郊で未確認の巨大な闇の気の発現を察知し、己が判断で廻天屍かいてんし軍団を出動させたが、このような結果になるのであれば、主の決裁を仰ぐべきであった。


無断で廻天屍かいてんし軍団を動かした挙句に、相手の正体もわからず、全滅。


くそっ、なぜこのようなことに……」


長い回廊を行く足取りは重く、≪天頂神座てんちょうしんざ≫に近づくにつれて絶望が心の中で大きくなっていくのを感じる。


主により預かった廻天屍かいてんし軍団は、完全なる世界一統の最大の障害になるであろうリヴィウスに対抗するための切り札であったのだ。


リヴィウスには及ばないまでも、せめて愚弟という評判のガリウスぐらいは仕留め得るのではないかという目論見が全て崩れた。


連中の実力を低く見積もりすぎていたというのか。


選抜から漏れた廻天屍かいてんしも、まだ数十体ほど残ってはいるが、あの軍団を壊滅させるような相手には通用するはずも無かった。


戦闘用ではない模造天使たちも同様。


いまや大天使長ルーキフェルが長き時をかけて築き上げてきた教皇庁の戦力は聖堂騎士団を除いて壊滅したと言っても過言ではなかった。


聖堂騎士団はそれなりの人員が揃っているとはいえ、所詮はただの人間。


廻天屍かいてんしには遠く及ばないし、ましてや邪神の相手などできるはずもない。


それにしても、あれだけいた廻天屍かいてんしが一体も戻ってくることなく、あの短時間で全滅したのは完全に誤算だった。


やはり、自らも出るべきであったかと一瞬頭をよぎったが、どちらにせよ、≪限界門げんかいもん≫を離れるわけにはいかなかった。


急遽訪れた機会だったとはいえ、せめて、教皇庁から≪遠見≫のスキル保持者を呼び寄せておくべきだったか。




あれこれ考えていると、≪天頂神座てんちょうしんざ≫に着いてしまった。


そこは眩いばかりに光が満ち溢れた場所。


その奥に小高く築かれた祭壇があり、そのまた上に続く階段の先に神の玉座がある。


そこには大天使長ルーキフェルの主たる存在がいるはずだ。


大天使長ルーキフェルは神の玉座がある高台に向かって歩みを進めようとして、おおよそ有り得ない異変に気が付いた。


神の玉座がある高台のふもとの辺りに侍り立つ人々の姿があったのだ。


顔に覚えはないが聖堂騎士団の鎧をつけた騎士や、教皇庁の司祭らしき者もいる。

その他、様々な服装の者たちがあり、身分や職業はばらばらであるように思われた。


ただ、その場にいる全員が、どこか異様な雰囲気を持っており、この神々しくも輝かしい聖地には、あまりにも不似合いであると感じた。


それにしても、おかしい。


唯一の出入口であるはずの≪限界門げんかいもん≫は常に自分が守っており、誰もその先に進むことはできないはずであった。


当然、誰一人として通した覚えはない。


「きっ、貴様らどこから入ってきた! そこで何をしている!」


大天使長ルーキフェルの慌てた様子に、そのうちの何人かが失笑したり馬鹿にするような仕草をする。


「何が可笑しい? ここは≪天頂神座てんちょうしんざ≫。この世界の神々の頂に立つ御方に許された者のみが足を踏み入れることが許される聖地。貴様らのような輩がいて良い場所ではないぞ!」


「大天使長ルーキフェルよ。そんなにいきり立つな。彼らは私の友人たちだ」


神の玉座にある人影から声が投げかけられた。


その声は紛れもなく大天使長ルーキフェルの主であり、今やこのカドゥ・クワーズの頂点に立つ神であった。


「友人とは?」


「ルーキフェル、驚かせてしまったようだね。彼らは、私がこの≪天頂神座てんちょうしんざ≫の真の主になるずっと以前から少しずつ増やしてきた協力者たちだ。お前が慌てて報告に来た内容はすでに、把握している。君に預けていた廻天屍かいてんし軍団の全滅を伝えに来たのだろう」


「も、申し訳ございませんでした。独断でお預かりしていた廻天屍かいてんし軍団を動かした挙句、それを全て失う大失態。弁解の余地もありません」


大天使長ルーキフェルは跪くと、地に頭を押し付け、これ以上ないほどの平伏をし、許しを請うた。


その様子を見てのことだろう。

再びくすくす笑いが謎の集団から漏れ聞こえてくる。


主から何の答えも無いことに不安を感じつつも、周りから浴びせかけられる嘲笑に対する屈辱を嚙み殺し、言葉を続ける。


「相手はリヴィウス神か、ガリウス神かわかりませんでしたが、あれだけの数の廻天屍かいてんしを相手にし、敵も無傷では済まなかったでしょう。今確認させておりますが……」


「敵はおそらく無傷だよ。しかも相手はリヴィウスでも、ガリウスでもない」


「そんな、まさか……」


「ルーキフェル、私は別に怒ってはいないよ。ただ、落胆はしてるがね。相手が誰なのか、その力量はどれほどなのか確かめることなく全軍を遣わし、全滅という結果を生み出したのは流石に無能と言わざるを得ない」


「恐れながら、あの場所に現れた狂猛な魔の気は一つ。孤立していたので、千載一遇の好機だと判断したのです。あそこで討ち取れていたならば……」


「言い訳はもういい。わたしが何を問題にしているのかまるで理解していないようだからね」


廻天屍かいてんし軍団の全滅は問題ではないと?


では一体何が問題であったというのか。


「ルーキフェルよ、老いたな。昔はもっと合理的な判断ができる男だったが、いささか失望したよ。いいか、廻天屍かいてんしたちを全滅させたのは闇の三悪神でも何でもなく、一匹の魔族にすぎない。おそらく魔王級の力は持ち合わせていただろうが、廻天屍かいてんし軍団のすべてを屠るほどの力は持ち合わせていなかったように私にも感じられた。だが、戦いの途中で、その闇の気が消え、代わりに光でも闇でもない、膨大な気を持つ謎の存在が突然出現した。この≪天頂神座てんちょうしんざ≫の力を使い、≪遠視≫しようとしたがそれは……叶わなかった。謎の力に阻まれ、その周囲を視ることは叶わなかった。その後、その力の所在を見失い、≪天頂神座てんちょうしんざ≫を通じては感知することが叶わなかった。この場にいる限り、我にはそやつを探すすべがない。このことの意味がわかるか?」


「まさか……」


「そうだ。≪天頂神座てんちょうしんざ≫の力を妨げ得る唯一の可能性。それは我と同じ≪天頂神座てんちょうしんざ≫の力を有する者」


「それは、ありえませぬ。≪天頂神座てんちょうしんざ≫の力とは、すなわちこの聖地自体に宿る力。それをこの場所から持ち出すことなど不可能なはずです」


「その不可能を可能にしようとしていた者がいたことをお前は忘れたのか。我のただ一人の共犯者よ」


気が付くと、神の玉座にある主の口調がすっかり変わってしまっていた。


その声色、態度、風格。

若い神のそれではない。

その全てがまるで別人のように変わっている。


「ディヤウス!しかし、あの裏切り者は我らが七年前に確かに息の根を止めたはず……」


思わずそう口走ってしまってから、慌てて口をふさいだが、もうすでに遅かった。


動揺して、主の友人たちとやらがこの場にいることをすっかり失念していた。


神の玉座にある主から深いため息が漏れた。


「この場にいるすべての者たちには、すべてを打ち明けている。隠しだてする必要はもはやない。ルーキフェルよ、≪天頂神座てんちょうしんざ≫の力を分離し、その一部を持ち出そうとしていたそのディヤウスの試みが成功していたとすればどうだ。例えば物や人に≪天頂神座てんちょうしんざ≫の力を宿す。そう、魔法を付与したマジックアイテムのように見せかけたり、あるいはまた天授スキルとして構築し直し直すなどすれば、我の目を欺くことは可能ではないか?」


「有り得ませぬ。仮に、何らかの方法で≪天頂神座てんちょうしんざ≫の力を分離することが可能になったとしても、それを安定化させるには膨大なエネルギーが必要ですし、それだけの力を制御するとなるとこの聖地と同等の大掛かりな装置が必要になることでしょう。それこそ、太古の昔、≪天頂神座てんちょうしんざ≫をこの大地に根付かせた時と同様に数多の神々の力を結集させなければ到底不可能。あの未熟なディヤウスにそれほどの力があったとは思えません」


「では、この場にある≪天頂神座てんちょうしんざ≫の力が、我のものになった時にはすでに大きく損なわれてしまっていたことをどう説明する? 二代に渡り、傍近くで仕え、機を狙っていたこのヤルダの目が節穴だと思うか。≪天頂神座てんちょうしんざ≫の力は、まさしくカドゥ・クワーズのあるじたる者に相応しい万能なる力。間近で目にしてきた我が、渇望した力は本来、こんなものではない。今回の一件で、我は確信した。≪天頂神座てんちょうしんざ≫の力の大部分は、ディヤウスにより何らかの方法をもってして、殺害の前に外部に持ち去られたと考えるのが妥当でろう。ルーキフェル、そして我が友人たちよ。探せ!如何なる手を使っても、奪われた≪天頂神座てんちょうしんざ≫の力の所持者を探し出し、我が元に連れてくるのだ! 」


神の玉座にある主は立上り、眼下の者たちに号令下した。


先ほどまで不遜な態度だったその謎の友人たちとやらも、ヤルダ様の方に向き直り、頭を垂れた。

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