第15話 ズキューン

「ロラン君、床に座って目を閉じていればいいのね」


「そうだよ。セリーヌお姉さん、絶対に目を開けちゃだめだし、驚いても大きな声を上げたり、騒いだりしちゃいけないよ」


セリーヌは、村長の孫で、村で一番美しいと言われている年頃の娘だ。

嫁にしたいと狙っている男が、近隣の村を含めるとかなりの数いるのではないのだろうか。

ウソン村の周囲にはいくつかの村や町が隣接しており、血が濃くなりすぎるのを防ぐために別の地域から嫁や婿を取ることが多い。

山一つ越えて、どこそこの村にはこういう娘がいるとかいう話は、若い男衆の最大の関心事だ。

結局は、親が決めた相手と有無を言わさず所帯を持つ羽目になるらしいが、極まれに俺の両親であるアキムとアンナのように好き合った相手と結婚できることもあるらしい。


セリーヌは前世の女性たちのように化粧とかはしてないが、顔立ちが整っていて、健康的な美人。しかも、ナイスバディだ。

気立てが良く、愛嬌があって、子供たちの面倒見も良いと評判だ。

家柄も良くて、内面外見すべて良し。

まさに高嶺の花というやつだ。 


もちろん、俺にとってもセリーヌは魅力的だ。

村の中で付き合いたい女性ランキングを作ったら、トップは間違いなく彼女だ。


ロランは数日前、村長宅の庭先で洗濯物を干しているセリーヌを見つけ、スキル『カク・ヨム』の≪プロフィール・リライト≫を使った。


彼女の≪近況プロフィール≫には、『ロランが心の底から大好き。何でも言うこと聞いてしまう(26文字)』と書き込んだのだが、ちっともラブラブな態度にはならず、がっかりした。


同じ「大好き」でも、子供に対する大好きになってしまったようだ。

文字通り、一緒に遊んでくれたり、かわいがってくれるようになった。

でも、違う。そうじゃない。

俺はもっと、ムフフな展開を期待していたのだ。

こんな時に子供の体であることが悔やまれる。


今、セリーヌが、無防備な姿で目の前にいる。


ロランは少しずつ、セリーヌの方に近づいていった。

正直、メチャクチャ好みの顔だ。

セリーヌの艶やかで形の良い唇が今、目の前にある。


俺は今日、人生で初めて「キッス」をする覚悟を決めてきた。

高橋文明として三十九年。それに加えてロランとしての六年間。


苦節四十五年。長きにわたり続いた不遇の時を超え、ファーストキッスを卒業する時が来たのだ。


セリーヌは十八歳。

三十九歳の高橋文明的には少し犯罪の匂いがしないではないが、ロラン的には相手が年上であることもあり、セーフだろう。


少し卑怯なやり方で罪悪感を感じるが、それらを振り切ってズキュウウウンと決めてやるぜ。


キスをする前の世界とキスをした後の世界。

キスしちゃったら、世界はどう変わるのか。

まるで想像できない。

コロンブスが新大陸を発見した時のような、驚きと感動が俺を待っているに違いない。


少しずつロランの唇とセリーヌの唇が近づいていく。

俺の全身は熱くなり、セリーヌの肩を掴んでいる手が震えた。


あと数ミリでこの世で最も柔らかいであろう新大陸に俺の唇が到達する。


だが、目的達成を果たす、まさにその直前、ロランの頭に疑問が浮かんだ。


四十五年間待ち焦がれていた最初のキスが、こんな形でいいのかと。

例えるなら初キスは革命であり、してしまったら革命前には戻れない。

スキルなどに頼らず、自分を心の底から好きになってくれた相手と綺麗な夜景とかを見ながらするのが理想のファーストキスではないのか。


セリーヌに不満があるわけではない。

正直、こんな小さな村には奇跡のような存在だと思うほどの美人だ。

むしろ俺にはもったいないくらいの相手だとも思う。

だが、俺はセリーヌとは知り合ったばかりだし、彼女も俺のことをよく知らない。


こんな心の通わないキスで、「俺の初めて」を終えていいのだろうか。

ただ、キスもしたことないという悲しい現実から卒業したいだけなんじゃないのか。


危ない。俺はただオスとしての欲望と前世から続く劣等感からファーストキスという一度しかできない神秘体験を喪失するところだった。


決めただろ、「次の人生があるなら、次はちゃんと生きよう」と。


そのようなことを考えていると突然、背後のドアが開いた。


「こりゃ、悪ガキ。うちの孫に何しとるんじゃ!」


あらわれたのはウソン村の村長だった。








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