金色の国

羽衣麻琴

第1話


 その国には、黒がありませんでした。


 その国は何もかもが金色で、ピカピカと輝いていました。建物も、食べ物も、人も、道も、動物も植物も、すべてが金色でした。


 ある時、黒髪の少女がひとり、その国に迷い込みました。

 人々は、少女の姿に驚きました。

 そして口々に言いました。


「あれは悪魔だ」

「髪が黒いなんて、恐ろしい」

「異形だ」

「気味が悪い」

「金色に染めてしまおう。そうすれば同じだ。そうすれば怖くない——」

 





「——っていう夢を見たんで、それを書き起こしてみたんですけど」

「ごめん何の話?」

 心底真面目な顔をしている目の前の少女の言葉を遮って、私は努めて冷静に声を上げた。

「私は今反省文の話をしているんだけど」

「私も反省文の話をしています。ていうか、これが反省文です。提出期限は明日でしたけど、めっちゃ反省してるんで前日に持って来ました。偉くないですか? 褒めて欲しいです」

「……マジ?」

「マジです」

 端末の画面に再び視線を落とすと、指定された文字数より明らかに短い、しかも「その国には、黒がありませんでした」とかいう絵本のような書き出しで始まる文章が表示されている。ついさっき、彼女が自分の専用端末から送ってくれたものだ。

「そっかあー……うん。うーん」

 思わず唸ってしまう。始終敬語で語りかけるように綴られた文章は、どう見ても反省文には見えないし、そもそも反省しているようにも見えなかった。まがりなりにも現代文の国語教師である私はもちろん誤字脱字の指摘くらいはできるのだが、そもそも反省していない反省文をどう添削すればいいのかについては専門外だった。

「うん、あのね。この話、私は好きだけど」と前置きすると、少女——私が担任するクラスの、出席番号34番の山内由紀子はパッと表情を綻ばせた。

「好き? 嬉しい」

「うん、嬉しいのは良いんだけど、たぶんこれを校長先生に提出すると怒られるんだよね」

「そうなんですか」

「そうなの。ちなみに七割は担任の私が怒られるわけだけど、三割くらいは山内さんも怒られると思うんだよね」

「マジですか? それはちょっと無理かもしんないです」

「でしょ。だからさ、相談なんだけど、書き直してみたりしない? なんかこう、当たり障りない感じに」

 今から一緒に書いてあげてもいいし、と親切のつもりで言うと、「先生ってさあ」と何故か呆れた顔をされた。

「教師向いてないですよね、ぶっちゃけ。反省文を一緒に書いたらダメじゃないですか?」

 反省してない生徒にそんなことを言われるのは心外だが、自覚はあるので「わかる」と頷く。

「現代文の教師は向いてるんだけどね。担任とかはね、まあ向いてないよね」

 曲がりなりにも「教師」として、こんなことを言えば世間様から、正確に言えば世間様代表に勝手に名乗りを上げている人々の、さらに代表に勝手に就任なさっている校長先生あたりからこっぴどくお叱りを受けるであろうことは分かっているのだが、正直私は反省文の内容になど最初から興味がなかったし、ついでに彼女が昨日髪の毛を染めて登校してきたことについてもどうでも良いと思っていた。

 生徒の髪の色が授業に関係あれば話は別だが、金髪だろうが黒髪だろうが、成績の良い生徒は良いし、悪い生徒は悪い。現代文に興味がある生徒たちは髪の色にかかわらずきちんと授業を受けてくれるし、興味がない生徒たちは常に寝ているかお喋りしている。

 身も蓋もない話だが、現場は所詮そんなものだ。ちなみに私の興味はもっぱら、生徒たちが一部でも自分の授業を面白いと思ってくれるかどうか、そしてその延長で私の好きな約150年前の文学や文化に興味を持ってくれるかどうか、つまり同志を増やせるかどうかの一点に尽きるので、それ以外は正直、極端に言えばテストの点数でさえどうでも良いと思っていた。そもそも教師になったのも、好きな時代の文学や文化の布教活動をしたい、というわりと不純な動機なので、この世界に同じ性質を持つ同志、つまり150年前が好きで好きで仕方がないトチ狂った人間の人口が増えればそれでいいというのが正直なところだった。

「で、書き直しの文章なんだけど」

「書き直さなきゃダメ?」

「まあダメだよね」

「えー……やっぱこれじゃ伝わらないかな。直接過ぎるのがダメなんですかね? こういう時って、世間一般の常識と逆にしたりしますよね。常識と逆のことをキャラクターたちにやらせて違和感を持たせて、そこから啓蒙するっていうか」

 ああやっぱり啓蒙が目的だったんだね、とはもう言わなかった。反省する気がないことは初めからわかっていたし、私もあまり反省させる気がなかった。ただこの面倒な事態を、彼女にも私自身にも不利益にならないように収束させるにはどうすればいいか、みたいなことを考えていた。というかもう、高校一年生にしては面白い文章が書けているよな、なんて感想の方に思考が囚われつつあった。

 私は所詮150年前が異様に好きなオタク教師でしかないので、彼女の才能を引き上げることには向かないかもしれないが、確か十代向けのショートショートのコンクールと、それから絵本のコンクールも秋に開催されるはずだから、応募を促してみるのはどうか。彼女に絵心があるかどうかは知らないが、今時絵と文章を別の人間が担当するなんて普通のことだから、絵が無理でも文章の部門に応募すればいいだろう。同時に別のコンクールに応募することは規約違反だった気がするから、どちらか選んでもらうか、本人に書く気があればもう一作書いてもらうというのもいいかもしれない。必要なら、できる範囲で支援はする。少なくとも相談くらいは真剣に乗るつもりでいる。エンタメの作り手、というのはいつの時代にも必要だし、もしもそれがきっかけで、いつか彼女が小説家や絵本作家としてデビューでもしようものなら、かなり嬉しい結果になる。

「どう思います? 先生。逆にした方がいいかなあ。そしたら「黒の国」かな、タイトル。「金色の国」の方が響きがいい気がするけど」

「んー、確かにそうかもね。でもそれなら、たとえば150年前は今と逆だったから、昔に戻るだけなんだけどね。昔は黒髪が普通で、金髪がダメだったの。遺伝子の問題で、黒髪の方が多数派だったから」

「え、そうなんですか!? 真逆じゃないですか」

 私の言葉に、山内さんは大きな青い目を見開いた。深い青が輝くのを見て、少し羨ましいな、と思う。私の瞳は黒だから、若い頃はいちいち人に注目を浴びて困った。今でこそ裸眼でいるが、十代の頃は、この珍しい黒が恥ずかしくて、常にカラーコンタクトを装着して隠していた。

「そうだね。「正しいこと」とか「普通」って、言ってみればただの流行だから」

「えー何それ。そんなものに振り回されてるんですか、私たちって。ダサ!」

「あ、その言葉。よく知ってるね。まだ教えてないのに」

「私この時代好きなんです」

「マジ? 同志だ。ちょっと予想してたけど。さっきの会話の言葉の使い方、全部完璧だったよ。2020年代の言葉遣いだね」

 そう言って笑うと、山内さんはその青い目を輝かせて、「でしょ!?」と言った。

「ヤバいでしょ、完璧でしょ!?」

 嬉しそう、を通り越して興奮しているようなその表情に、同志だ、と思う。

 同志だ。嬉しい。

 教師としてはあるまじきことだが、そもそも教職に就いた動機が不純である私はナチュラルに依怙贔屓をするタイプだ。なので、もう山内さんに味方してあげたいという気持ちがかなり大きくなっている。なぜなら同志であるからだ。なんといっても同志だからだ。

 というか、彼女のこの主張は、今から150年前の2020年前後に、「SNS」を中心にして話題になった「ブラック校則」とそれにまつわる運動にかなり近いのではなかろうか。

 もしも私が彼女の主張を後押ししたら、そしてそれが多くの人々の共感を得て、さらにもしもそれにまつわる社会運動でも起きようものなら、私の好きな2020年前後の時代が、一部でも再現できるのではなかろうか。それはなんていうか、ちょっと、いやかなり嬉しいのではなかろうか。

「うーん……じゃあその完璧な言葉遣いに免じて、一回これで頑張ってみるよ」

「マジ? 先生超好き」

「ありがとう。でもうまくいくかはわかんないよ」

 教師としてあるまじき私は、結局は個人的な誘惑に負け、アホみたいな約束をしてしまった。

「先生ヤバい、最高!ありがとう!」という褒め言葉を残して夕暮れの廊下を駆けていく山内さんの背中を見ながら、私は、推し時代のことになると途端に理性を失ってしまう、自分自身の性質に心の中でため息をついていた。しかしまあ、もう仕方がない。生徒との約束を反故にするなんて、教師としてあるまじきことだ。同志との約束ならば尚更、絶対、あり得ない。

「よし」

 小さく呟いて、私は作戦を練るべく、一人で生徒指導室に戻った。

 推し時代のため、と思えば、きっとなんでもできる。ような気がする。……たぶん。


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