第7話 能力覚醒

「えっ……どどど、どうなって……!」

 

 ぼくの両腕が消えた。

 ヒジから先が、なくなっていたのだ。でも、何でか痛みはない。そして切り離された部分が、黒くてドロドロとしているんだ。


 それに――足元に、同じような黒いかたまりが落ちていた。

 両手から落としたみたいに……いや待てよ。さっきまでこんなのなかったはず。腕がなくなってから見つかった――ということはまさか、これが……。

 

 助けを求めるように、サトウさんの方へ振り向いた。


「ああ……!? あのっ、これ! どうしたらっ……ぼくの腕が……腕が……!」

「キミ、さっきネガティブなことを考えていただろ」

「えっ……!?」

「原因はそれさ。ネガティブな感情はよくない。大きくなりすぎれば、力が暴走してしまう」

「えっ、暴走!? じゃあ、ぼくはどうしたらいんですか!?」

「今こそポジティブ思考さ! 過去にあったことでも何でもいい! イイことを考えるんだ!」


 いいこと――過去の記憶から必死に探し出す。

 何かしらあったはずだ。けど、全く思いつかない。

 それどころか、思い出したくない記憶ばかりが蘇ってきた。

 魔法学校で教員に騙されたこと。マーネや他の生徒たちにさんざんバカにされたこと……。


「いいかい? ネガティブなことを考えてはならないよ。ネガティブ感情を押し殺すよう自分に強く言い聞かせるんだ!」


 考えちゃいけない。ネガティブは押し殺せ――何度も自分に言い聞かせる。

 けど、気分はよくなるどころか、悪化している気がする。

 思いが足りないんだ。

 もっといいことを思い出すんだ。


「!?」


 右肩が黒く膨れ上がった。

 そこから、右腕がモリモリと大きくなっていく。


「うっ、うわあああああああ!?」


 一瞬で形ができあがった。

 太く、禍々しい怪物のような腕になってしまった。

 いったいどうなってるんだ。

 元に戻す方法は――サトウさんへ目を向ける。

 

「おぉ! もう力を覚醒させるなんて! すごいじゃないか! やっぱボクの目に狂いはなかった!」

「何で喜んでるんですか!? ぼくはこんなっ……うぶうぅ……!?」


 黒いドロドロが、今度は胸から浮かび上がってきた。

 視界も高くなっていく。

 全身が黒くなっていく。

 もしかして――怪物化しているのか?


「イヤ……だ……止め……止め……て……!」


 うまく言葉が出ない。苦しい。

 

 どうしてなんだ。

 ネガティブが頭から離れない。

 ポジティブに考えようと自分に言い聞かせているのに。 

 頭の中のイライラと、胸の内側のモヤモヤが何度も交互に繰り返され、ウズを巻いている。


 そして最後に毎回、こう思うんだ。


 ぼくは生きている意味なんて、あるのか?

  

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 獰猛な怪物の雄たけびが鳴り響いた。

 その声を出したのが自分だということも、すぐに分かった。

 

 足を曲げ、飛び跳ねた。着地した先に、サトウさんがいた。

 拳を振り上げようと、構えた――危ない。

 止められない。体が勝手に動いてしまう。自分で動かそうとしても、できない。


「オオオオオオオオオオオオオ!」

「おっと」


 ぼくの右フックがさく裂。しかし、彼はスルリと移動してかわした。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 暴走は止まらない。

 ものすごい高さで飛翔し、高速で移動していく。

 悲鳴を上げ、逃げていく人々。


 このままじゃ彼らに危害を加えてしまう。

 誰か止めて――助けて――


 サトウさんはどこにいったんだ。

 彼なら止められるはず――


「!?」


 ジャンプから着地したとき、片足がスベった。

 体がグラついた。片足立ちのまま倒れそうになっている。

 腕を振って必死にバランスを取る。


 前方から大きな黒い手が、こちらに向かって伸びてきた。あれは、サトウさんだ。


「――」


 しかし、間に合わなかった。

 巨大化したぼくの体が、後ろへ倒れていく。

 何かに押された気がする。

 そのまま背中が地面につく――のかと思いきや、落ちていく。

 とうとう両足が地面から離れた。

 

 えっ……!?

 

 前を見ると、そこにはキャロラインさんがいた。

 こちらに向かって両手を前に出している。

 そして、彼女の一歩先――つまり、ぼくのいる場所には、地面がなかった。


 落下していく。

 

 彼女が、押したのか?

 どうして。

 サトウさんがぼくを止めてくれるはずだったのに。

 何か理由があるのか? そうさせてはいけない、理由が。

 分からない。

 すっと、体から力が抜けていった。心臓が圧迫されるような感覚に襲われる。


 地面に激突した。

 背中から衝撃が伝わってくる。

 けど、痛くはない。

 同級生に背中を軽く叩かれたような感覚だった。

 

 右腕が勝手に動いた。地面に手のひらを突いて起き上がった。


「ウウウウ……ウオオオオオオオオオオオ!」


 雄たけびを上げ、走り出した。

 猛スピードで移動していく。


「ゴオオオオオオオオオオオオ!」


 前方から茶色い物体が出現。

そくざにタックルを繰り出す。ソイツは吹っ飛んでいった。

 追いかける。ぼくの黒い手が、首であろう部分を掴んだ。地面に叩きつける。

 鳴り響く粉砕音。茶色いドロと金属や鉄が飛び散る。


 最後に、アッパーを繰り出した。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 勝利の雄たけびを上げた。

 あの恐ろしい怪物を、いとも倒してしまった。

 進撃は続く。

 高いところをいとも簡単に飛び跳ね、パンチを連撃して壁をブチ壊し、俊足の速さで移動していく。


体のコントロールができない。完全に乗っ取られてしまった。

 壊すことしか能がなくて、凶暴で野蛮な怪物に。

 

 サトウさんと離れてしまった今、この怪物を止める方法はない。

 ぼくにできることは――祈ることだけだ。

 サトウさんが助けに来てくれることを。

 でも、もしも来てくれなかったら?

 いやいや、さすがにそれは……でも万が一のことがある。

 来なかったらぼくは――一生このままなのか……?


 怪物が急激に勢いを停止した。

 突然だった。

 

「グルウウウ……!?」


 拳を構えた。

 張り詰めた鳴き声。何か警戒している。

 これだけの力を持った怪物を、何がそうさせているんだ? 

 前方に誰かいる。人の形をした影がひとつ。こちらに歩いてきている。顔はよく見えない。

 

「よお」


 男の声だ。

 気さくな挨拶だった。

 こんな怪物を前に、ずいぶんと落ち着いている。


「下水道モンスターじゃぁなさそうだな。お前、なにもんだ?」

「グウウウウ……! ウオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 急発進。

 男に向かって突撃した。

 ドスドスと力強い足音が鳴り響く。


「おっ、やるか」


 男の方もこちらへ飛び出してきた。


 ――速い! いつの間にか、目の前にいた。

 怪物が右フックを繰り出す。しかし、空を切った。男が消えたのだ。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?」


 えっ……!?

 何が起こったんだ。


 腹部に、衝撃が伝わってきた。足が地面から離れる。

 怪物が――ぼくが――後方に吹っ飛んでいたのだ。


 壁に激突……するかと思いきや――


「おらよっと」

「グオォッ!」

 

 後方から男の声。

 同時に、背中に突き刺すような一撃を食らった。体が大きくゆれる。

 地面にゴロゴロと転がる。目が回る。


「ウウウウウウウウ……!」


 片手をついて、ゆっくりと起き上がる。

 怪物の視線が、男へ向けられた。


 男はポッケに片手を突っ込んだまま、こちらへのんきに歩いてくる。

 余裕だ。まるで相手になってない。こんな強い人がいたなんて。

 彼は人間なのか?

 

「おいおいどうした、もう終わりか?」

「グオオオオオオオオオ!」


 怪物が立ち上がった。その直後、体が溶け始めた。どんどん沈んでいく。

 体が液体状になる。地面のスキマに入っていく。

 何も見えなくなった。暗い。

 痛みはない。けど、自分の身体がどうなっているかがよく分からない。


 どこへ向かっているんだろう。

 逃げたのか?


 スキマから抜け出た。

 目の前に、さっきの男の背中があった。逆さまの状態で。吊るされているのか?

 いや、違う! ぼくが逆さなんだ。天井から顔を出したんだ!


「グオオオオオオオオ……!」


 やわらかかった腕が、鉄のように固くなった。

 拳をグッと握りしめ、構える。攻撃を仕掛ける――


「ムダだ」

「グオオォ!?」


 ひっ……!

 彼の手の甲が、ぼくの顔面部分に直撃。

 視界全体が真っ黒になった。目が見えなくなった。


 怪物の顔が吹っ飛んで無くなったのだ。

 ということが、なぜか分かる。

 

 どうしよう。元に戻るの?

 

 その状態で天井から地面に着地。

 顔はすぐに再生した。目が見える。よかった。

 

「オオオオオオオオオオオオオオ!!」


 再び男へ突撃。パンチを浴びせようとした。が、当たらない。

 連撃を繰り出す。かわされたり受け止められたりと、やっぱり当たらない。

 スキマに潜って不意打ち作戦も通じない。


「グオオオオオオオオオオオ!?」


 怪物が後方へ吹っ飛ぶ。どうやら男がアッパーを浴びせてきたようだ。

豪快に転倒した。

 

「お前、モンスターキングか」


 当てた。

 どうして分かったんだろ。

 まるで対面するのが初めてではなさそうな言い方だった。

 彼はいったい、何者なんだ?

 いや、何でもいい! 今はとにかく助けてほしい。


「サトウではなさそうだな。片割れか? 操っている……というより、操られているような感じか。ならば――」

 

 男が両ひざを曲げ、構えた。そして飛び出してきた。疾風のような動きで。


「ウオオオオオオオオオオオ!」


 怪物も迎え撃つ。両手を広げる。が、体がグラついている。もうガムシャラだ。

 男が怪物のフトコロに潜り込む。あっさりと。腹部に手のひらを押し付けてきた。


「――!?」


 一瞬、時が止まった。動かない。ピクリとも。ぼくも相手も。

 そして体から黒いドロドロが一気に飛び散った。破裂するように。

 自分の腕があらわになった。

 

 その場で崩れ落ちた。四つん這いになる。


「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……」

 

 助かった。

 確かにぼくの両腕がある。元に戻っている。

 どうやら、解放されたらしい。


 肩から力が抜けた。両目をとじる。

 なぜかは分からないけど、よかった。

 もしかしたら、もう戻れないのかとも思った。

 でも、助けてくれたんだ。彼が――


 前方から足音。こちらに近づいている。

 ぼくは顔を上げた。


「あっ、あの……ありがっ……――!?」


 彼を見て、絶句した。

 正確には彼の〝それ〟を見てだ。


 なぜならその首元には――獅子のイレズミが入っていたのだ。

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