メルクリウスの嘆き

中田もな

 神にとって、人の命は掃いて捨てるようなものだ。生かしては殺し、産んでは殺す。人々はそれを渇望し、いつしか錬金術に手を染めた。


「力にものを言わせて、随分と酷いこと、するじゃないか……」

 白いマントを羽織った彼は、苦しそうに腹を抱えた。厚手の黒いセーターは、真っ赤な血に染まっている。私の部下が撃ったのだ。

「イタリアの元軍人ってのは、手荒な真似をするんだねぇ……。頼み事をする相手に、銃弾のプレゼントかよ……」

 私は部下に命じて、彼を安物の車に放り込んだ。文句を垂れる彼を黙らせ、人目につかない道を走らせる。

「あんた、俺を一体、どうするつもりだ……? 金が目当てってわけでも、ないんだろう……?」

 彼は低くうめきながらも、気丈な態度を装った。褐色の肌に、黒い右目。左目には眼帯がかかっており、癖の少ない碧い髪は、背中にかけて編み込まれている。見たところ、彼はアラブからやって来た、新移民の青年のようだった。流暢なイタリア語を喋る、ごく普通の移民。

「ああ、痛い、痛いなぁ……! 俺はもう、死んじまう……!」

 わざとらしく背を丸め、「痛い、苦しい」とほざく彼。本心にしては、随分と仰々しい。

「その程度で、いちいち喚くな。貫通しているのだから、問題はない」

「あ、あんたなぁ……! 一般人を、何だと思っているんだよ……!」

 車は暗い裏道に入り、やがて陰鬱な館の前で停まった。持ち主が国外逃亡して以来、空き地となっている屋敷だ。

「こいつを降ろせ。地下へ連れて行く」

 私は埃っぽいドアを開け、薄汚い螺旋階段を下りた。穴の開きそうな薄い床が、築年数を物語っている。

「こんな汚い場所で、治療するとは思えない……。やっぱり、俺は、犬死にか……」

 彼はぐだぐだと文句を言っていたが、地下の閉ざされた部屋を見て、わずかに口角を上げた。自分が何故、この場所に担ぎ込まれたのか。それがようやく、分かったようだ。

「これは、これは……! 随分と立派な、器材じゃないか……!」

 禍々しい液体の入ったフラスコに、装飾の美しい金色の秤。第二次世界大戦以前、この館の主が熱心に研究していたという、錬金術の道具だった。

「なるほどねぇ……! あんたは俺に、錬金術をやれって言うんだな……!」

 足を引きずりながら、彼はガラスの戸棚を開ける。そこには腐った色をした薬剤が、几帳面に並んでいた。

「手始めの保険だ。貴様の噂が本当なら、自分の傷を治すぐらい、造作もないはずだ」

「はぁ、そういうことか……」

 彼は長いまつ毛を伏せ、深いため息をついた。明らかに、嫌そうな態度だった。

「……言っておくが、俺はもう、錬金術を辞めたんだよ。あんたみたいな奴が、世の中には大勢いるからな」

 私はコートの懐から、小型の銃を取り出した。言う事を聞かないのなら、初めから始末するつもりだった。

「いいか。貴様の運命は二択だ。人体錬成をするか、ここで死ぬかだ」

 彼の細い腕を掴み、腹部に銃口を突きつける。彼は痛そうに叫びながら、「分かった、分かったから!」と了承した。

「あんたさぁ、いちいち物騒なんだよ! 分かったよ、やりゃあいいんだろ!」

 彼は半ば憤りながら、乱暴にフラスコを引っ掴んだ。私は部下を後ろに下がらせ、彼の一挙一動を見物することにした。

「ったく……! こんな寒い部屋で、腹も痛ぇのに……!」

 炉に近づいた彼は、しけたマッチで火をともした。炎の上に受け皿を置き、干からびた根を投入した。

「何だ、それは」

「マンドレイクだよ……。マンドラゴラと言った方が、分かりやすいか……?」

 腐りかけた豚肉に、皮の厚い節足動物。滑らかに落ちる液体は、有機水銀だった。

「不老不死の薬だぞ……。ほぉら、あんたも飲んでみるか……?」

 彼はぬらりと笑いながら、水銀に口をつける。零れ落ちる鮮やかな銀が、彼の茶色い肌を伝った。

「……水銀は、猛毒だと聞いたが」

「そうかぁ……? それじゃ、俺たち人間ってのは、毒でできているんだなぁ……」

 彼の様子を見ていると、いささか信じられない気分になる。水銀を火にくべて上機嫌になっているような奴が、腕のある錬金術師だと言うのだ。ナチスが血まなこで探していたのだから、情報は間違いないはずだ。

「最後は血液を入れて、それで終わりだ……。くくく……、簡単だろう……?」

 ナイフで指を切りつけ、皿の中に鮮血を落とす。……その刹那、黒い蝶々が一斉に舞い上がり、部屋の中を覆いつくした。

「な、何だ……!?」

「この蝶、一体どこから……!?」

 部下たちは声をあげながら、蝶の行く末を見守る。光の粉をまく蝶々は、やがて彼の周りに集まり、不思議な力をもたらした。

「『死』から『生』を生む魔法……。これが、錬金術ってやつだよ……」

 彼は受け皿を取り上げると、どす黒く仕上がった液体を、思い切り腹になすりつけた。熱さも痛さもものともせず、実に愉快な様子で笑い始める。

「うひゃひゃひゃひゃぁ!! どうだぁ、見てみろよぉ!!」

 ……私は確信した。腹部の傷は、完全に塞がっている。彼は間違いなく、錬金術師だ。

「俺はなぁ、生も死も自由に操れるんだよ!! 生かすも自由、殺すも自由!! 全ては、俺の思いのまま!!」

 気味の悪い笑みを浮かべながら、彼はじろりとこちらを振り返った。それはまるで、己の力を誇示するかのようだった。

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