第75話 【ケイちゃんの話】一次試験の日 一日目
「あ……来た」
「来たわね。 緊張してるわ」
「びっくりするかな、へへ」
「きっとね。 泣き虫だから、泣いてしまうかも」
共通テスト、一日目。 土曜日。
会場の、夕陽の行きたい国立大の門の前で、あたしは先生と一緒に立っている。
正確には、あたしは、勝手に立ってる。
どこの高校も、多分、塾や予備校なんかも、先生達がそれぞれ何人かずつ立って、来る生徒たちを励ましてる。
基本的には、みんな担任が立ってるんだろうな。 保健室の先生が来てるとこなんて、うちぐらいじゃないだろうか。
あたしは、勝手に来た。 自分の進路は、推薦でサクッと決まったから。 都内の、私立の女子大。 今日の試験も受けないから、応援に来た。
「余裕ぶっこいてるって思って、嫌な気持ちにならないかな。 夕陽」
「そんなこと、思わない子よ。 絶対、喜ぶわ。 ありがとう」
先生は、あたしに微笑んでくれる。
第何陣かのバスが着いて、何十人かが降りてくる。 その中に、ひょろっとした、夕陽がいた。 いつもの重そうな黒いリュックを背負って、制服で、ひとりぼっちで歩いてくる。 あたし達を見つけて、不安そうな顔にぱっと花が咲く。
「先生! ケイ!」
あっ、ばか。 走らなくていいのに!
夕陽は、ずべん!と転ぶ。
「ちょ……あなた! 大丈夫?」
先生が、駆け寄る。
あたしも、後から駆け付ける。
「夕陽、だいじ? 痛くない?」
「い……、痛いよぅ」
ほんと、ばか。 あたしたちを見て、テンション上がって、転ぶなんて。 夕陽のでっかい目に、涙が浮かんでいる。
「大きい傷パッド、持って来てるから。 向こうの花壇の方、座って、貼りましょうね」
「うん……」
べそべそしながら、手を引かれる。 先生、痛いよ……って泣いている。 かわいそう。 あたしも、花壇の方へ向かう。
おい……マジか!
人気のない花壇、大きな石に座って、まぁ、膝には大きい傷パッドが貼ってあるけど、この二人、めちゃめちゃ、キスしている。
私が来たのに気付いて、先生は横目でこっちを見て、また、ぷちゅぷちゅ、キスをする。
夕陽は完全に目を閉じちゃって、先生の背中に腕を回してる。 こら! 気分を出すな!
「あ……先生、もっと」
唇が離れて、夕陽が言う。 もっとじゃないよ。 先生は、夕陽の顔をあたしの方に向けさせる。
「やだ! ケイ……えと…… えへへ」
顔を真っ赤にして、照れ笑いをする。 多分、あたしの顔も、真っ赤だ。
「よ……余裕じゃん。 夕陽、絶対合格だよ」
「えへへ…… ありがと……」
「これで、いつも通りよ。 平常心。 頑張って」
何が、平常心だよ! エロ教師。 ほんと、頭おかしいよ。
夕陽を見送ったら、先生は他の先生たちに「じゃ、私はこれで」って声を掛けてる。 まだまだ、生徒来てるのに。
「ねぇ、お茶でもする?」
「あ、あたし?」
「そう。 あなた。 私、終わる頃、またここに彼女を迎えに来るから」
近くの、大きいチェーンの喫茶店に入る。 テーブル席に案内される。
「ホットミルクを」
「あたしは、ミルクコーヒー」
まだ朝早いから、モーニングでトーストも付いてくる。 「あげる」って言って、先生はあたしに押し付ける。
「先生、こんなに早く撤収していいの」
「私、立つ担当じゃないもの。 勝手に来ただけだから、好きに帰るわ。 あなたと同じよ」
「でもさぁ…… 普通、もうちょっといるっしょ。 他の子達だって、大切な日だし」
「他の子達には、他の先生方がいらっしゃるから。 心配しなくて大丈夫よ」
話、通じない。 先生は確かにきれいだけど、そんなにやさしくないんだよな(だから、きれいな若い先生だけど、大人気ではない。 近寄りがたすぎ。 夕陽はいつも、誰かに取られるって心配してるけど)。
「先生…… 夕陽が大学受かったら、一緒に住むって」
「ふふ。 そんな事まで話してるの? 仲良しね」
ホットミルクを飲んで、先生は唇の端、舌でぺろっとする。 エロい。 わざとだろ。
「してるよ。 先生のこと、大好きだから… 夕陽は」
「ねえ、こういうところでは、先生、はだめよ。 怒られてしまうわ。 名字で読んでね」
「はぁ。 津田さん」
「なぁに。 ケイトちゃん」
「そ……それ、やめてよ。 好きじゃない。 外国人みたいで」
「そう? 素敵なお名前なのに」
「とにかく、名前、イヤなの。 皆にケイってよんでもらってるから、津田さんもそうして」
「そう。 じゃ、使いません」
「夕陽は…… 勉強、めちゃめちゃ頑張ったよ」
「知ってるわ。 変に緊張しなければ、きっと合格よ」
「せ……津田さんと、一緒に住むために」
「そうね」
先生は、少しずつホットミルクを啜る。
「ほんとに……住んでくれるの」
あたしは、今、一番気になってる事を聞く。
「どういう意味?」
カップをテーブルに置いて、あたしと目を合わせながら、先生は微笑む。 目の奥はきっと、笑ってない。
「夕陽、ほんとに、それだけが目標なんだよ。 一緒に住むの。 一生一緒にいたいって言って、泣くこともある」
「そうね。 知ってるわ」
「ほんとに……ずっと一緒にいてくれる? 夕陽、あなたに捨てられたら、死んじゃうかもしれない」
毎日毎日、先生の話ばっかりする。 友達になりたての頃は、カレシがね、カレシがねって。 先生だって分かってからは、先生が、先生と、先生はね…って。 お喋りしたこと、えっちのこと、勉強のこと、おしゃれのこと……。
あたしは英梨ちゃんが好きだけど、英梨ちゃんは、あたしの全部ではない。
先生は、夕陽の全部。
でも、先生にとって、夕陽は……全部なの?
「まあ。 どうして、あなたが泣くの」
「分かんない……」
「どう見えているのか、分からないけど」
先生は、あたしが落ち着いたのを待って話し出す。
「私にとっても、一番大切よ。 最後まで、一緒にいたいと思ってるわ」
あたしは、こくこく頷く。 ハンカチで、目の下、ずっと拭いながら。
「でもね」
でも?
「お別れしたって…… 案外、人は、平気なものよ。 私と彼女がもしも、そうなっても。 その時は死にたいと思ったって、うまくいかないものよ。 まして、仲良しのあなたや素敵なママがいるのだから。 あの子は大丈夫」
「なにそれ…… やめてよ」
「私の方こそ、捨てられちゃうかもしれないしね。 ふふ」
そう言って、先生はホットミルクを飲み干した。
「私、また何か頼んで、しばらくここにいるわ。 帰り、お家まで送って行こうと思うから」
「マジで? よくやるね。 車で送ってるとこ、誰にも見られないでね。 夕陽がかわいそうだから」
「ふふ。 友達想いね。 お互い、ひとりぼっちの親友だものね」
余計なお世話だよ。
あたしは、ご馳走になって、先に帰ることにした。 ずっとここにいても、泣いたり怒ったりイライラしたりして、疲れる。
お昼頃、夕陽からメールが来ていた。 「朝、チュー見られて、恥ずかしかった! でも、おかげで平常心!」だってさ。 あたしは、その調子! 夕陽なら、大丈夫!って、当たり障りない返信をした。
変な先生。 きれいだけど、まともじゃない。 英梨ちゃんとも、全然違う。
あたしは、進路も決まってる。 将来はきっと普通に働いて、まぁ、実家のクリニックで受付や事務とかやってもいいわけだし、普通の結婚をするだろう。 そんなに、不自由なく。
夕陽は? 夕陽は、どうなの?
すべり止めなしの、ギリギリの受験して。 自分も学校の先生になれるかもしれない。 そして、あの先生と……どうするの?
本気で、結婚できると思ってる?
……きっと、思ってる。 だから、頑張ってる。
羨ましいのか、びびってるのか、バカにしてるのか、あたしも分からない。
ただ……夢見る高校生の夕陽と、もう大人なのに同じような事を平気で言う先生。 おかしいのは、どう考えても先生。 そんな風に、やっぱり思ってしまった。
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