第23話 三年生 宝物

 ピンポンを押して、オートロックを解除して、エントランスに入る。

 休みの日は朝から、リュックに勉強道具を持って、先生のマンションへ。

 ママが休みの日は、図書館で勉強して来る、って言って。 水筒に、麦茶を入れて。 そうすると、「お昼代」って、四百円くれる。 ありがたく頂戴して、貯める。 お昼は、先生が用意してくれるから。



「おはようございます!」

「おはようございます。 今朝も、元気ね」

 玄関を開けてくれた先生は、いつものシルクのパジャマ。 薄く、メイクしてる。 きれいで、すてき。

 ドアの鍵を閉めたら、ぎゅーっと、抱き付く。 頭をくりくりして、マーキング。

「会いたかったよう」

「私もよ。 お利口さん」

 髪を、やさしく撫でてくれる。 先生、いい匂い。 大好き。

「手、洗って来る」

 外から来たら、手洗い、うがい。 髪の毛一本も落ちてない、きれいな洗面所で。



「洗ってきたよ。 キスしていい?」

 キッチンで紅茶を淹れてくれてる先生は、くっくっ、と笑う。

「もう。 そんなに、すぐに? 可愛いこと。 今、お茶を淹れますから。 待っていて」

 すぐ、欲しがってしまった…。 恥ずかし。 今更だけど。

 私は、えんじ色の猫脚のソファに腰掛ける。 まだ、朝七時。 昨日、学校でバイバイしたのが、十八時半。 半日しか経っていない。 それでも早く、くっ付きたい。

「お待たせしました。 朝ご飯、食べてきて? お腹、空いてない?」

「ありがとうございます。 朝、食べてきたよ。 先生は?」

「これからよ。 お勉強、先生が食べてからでも?」

 もちろん。 私はこくこく頷く。

「先生、今日も早すぎて、ごめんなさい…」

 ティーセットをテーブルに置く先生に、言う。

 家を出るときは、もっと早く、早く会いたい、って思うけど、着いてパジャマの先生を見ると、疲れてるのに、悪いなぁ…って思う。 働くの、大変だよね。 ママは、いつも言ってる。

「長く一緒に過ごせるもの。 早くていいのよ」

 そう言って、小鳥のようなキスをしてくれる。 先生。 優しい。 大好き。



 一時間勉強したら、八分休む。 勉強してる間は、先生はお家のことや仕事をしたり、本を読んだり。 分からないところ、何でも教えてくれる。

 保健室や先生のマンションでちゃんと勉強するようになってから、分かるところ、増えてきた。

 中学までは、まじめに勉強してきたし。 高校だって、一年間は中の中、だった。 

 成績が落ち始めたのは、去年、先生と出会ってから…。 先生と出会って、好きになっちゃって、えっちな事、教わって。 夜寝る前と、眠れない時、それに時々、朝も、ひとりでするようになっちゃった。 ぜーんぶ、先生のせい。

「でも今、がんばってるし!」

「どうしたの。 頑張ってるの、知ってますよ」

 ご、ごめんなさい。 心の声が…。



「先生、いい匂い」

「でしょう。 ビーフシチュー、きっと美味しくてよ」

「すごい。 お店みたい」

 あんまりいい匂いだから、キッチンへ行ってみる。

 お肉、大きい。 テレビで見るやつみたい。 サラダも、お皿も、おしゃれだな。

「楽しみ、楽しみ」

 先生のそば、ウロウロする。 エプロンを着けて、かわいいな。 ニコニコしてくれる、先生。 幸せ。

「あら…電話」

 テーブルの上、私のスマホだ。

 画面を見る。 ママからだ。

「出て。 ご用があるから、掛かってるのでしょ」

 う。



「もしもし、ママ?」

「夕陽ちゃん? まだ図書館?」

「う、うん。 どしたの」

「ママ今日、お昼までだったの。 これから帰るから、お昼、どっかで食べない?」

 えっ。 先生の方を、見る。 先生は、お昼の支度をしてくれている。

「ううん、あの、もう、パン、食べたから」

「じゃあ、デザートだけにしなよ。 ママと一緒に、ファミレス行こ。 久しぶりに」

 何で今日なの。 ママ。

「夜ご飯にしよ、お昼は、お腹いっぱいなの。 夕方、帰るから。 ごめんね」

 電話を切る。



 先生がこっちに来て、私をぎゅっとする。

「今日は、お母様とランチにしましょう」

「何で。 先生のお昼がいいよ。 先生と一緒がいい」

 先生は、首をふるふるする。

「いつでも、食べられるから。 お母様、お休み、なかなか合わないでしょう。 きっと、待ってるわ」

 私も、首を振る。

「せっかく、美味しいの、作ってくれたのに。 せっかく、先生が」

 涙が、ぽろっと落ちる。 せっかく私のために、作ってくれたのに…。

「ごめんなさい…」

「いいのよ。 早く、連絡して差し上げて」



 電話をしたらママは、すごく喜んだ。 パンだけじゃ足りないから、お昼、行きたいなって言ったら。

「図書館まで、送るわ」

「うん…」

 図書館なんて、十二、三分くらい。 すぐ着いちゃう。

 先生の水色の車の助手席で、俯く。

「先生、お昼、ごめんなさい。 すっごく、食べたかったの。 急で、ごめんなさい」

「本当に、気にしないで。 あなたは私の大切な人だけど…」

 先生、前を向いたまま、寂しそうに見える。

「お母様の、宝物だから。 呼ばれたら、お返ししなくては」

 


 道は空いていて、十分も経たずに着いてしまった。 図書館から遠い、車の少ない、第三駐車場に停める。

「先生」

 私は、先生に抱き付く。 頬っぺたに手を当てて、キスをする。

「私は、ママの宝物かもしれないけど。 私の宝物、ぜんぶ、先生がくれたから。 白いハンカチも、ネックレスも、あと、先生も。 さみしくさせて、ごめんなさい。 シチュー、冷凍にして。 絶対絶対食べるから」

 先生はびっくりした顔をして、でもその後ふっと笑って、

「ありがとう。 本当に、やさしい子。 お別れの前に、またキスしてくれる?」

 と言った。 

 私はもちろん、と答えて、ママからの電話が来るまで、ゆっくりゆっくり、キスをした。

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