48 ずっと、そう言いたいと思ってたんだ


「傷のほうはどうなんだ?」


「大丈夫です。もう痛みはありません。頭に近い傷だったので出血しちゃいましたが、もともと、浅い傷だったので……」


 こめかみの傷なんかより、胸の痛みのほうがもっとずっと大きい。


「ジェイスさん、本当に申し訳ありませんでした。昨日も今日も、いっぱい迷惑をかけてしまって……」


 私も椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。


 ジェイスさんの前で、さんざん泣いてしまった。ひどい泣き顔をさらしまくった私に、さぞ呆れていることだろう。


「迷惑だなんて思うわけないだろ」


 傷にさわらぬよう気を遣いながら、ジェイスさんが大きな手で優しく頭を撫でてくれる。


「むしろ、俺は嬉しかったよ。エリが俺を頼ってくれてさ。もう遠慮なんかいらないんだ。これからは、もっと俺を頼ってくれよ。邪教徒達だって、まだ全員捕まってないんだ。何か不安があったら、すぐに俺に知らせろ。何をおいてもすぐに飛んできてやるから」


「ジェイスさん……っ。ありがとうございます」


 頼もしい声に胸があたたかくなり、ほんの少しだけ、痛みがやわらぐ。


 これ以上、心配をかけたくなくて、笑顔を浮かべてお礼を言うと、ジェイスさんの表情もほっとしたように緩んだ。


「やっぱりエリは笑ってるほうがいいよ。いつもフードに隠されて、見る機会がなかったけど……。エリは、笑顔が一番可愛いな」


「はわっ!?」


 甘やかな笑顔で予想だにしないことを告げられ、すっとんきょうな声が飛び出す。


「ジ、ジェイスさん!? 急にどうし――」


「ずっと、そう言いたいと思ってたんだ」


 私の言葉を封じるように、ジェイスさんが静かな声で告げる。


 穏やかで――けれど熱を宿した声に、心臓がぱくぱくと騒ぎ出す。


 ジェイスさんったら急にいったい……? あっ、わかった! 私が沈んでるから、冗談を言ってまぎらわせようと……っ!


 びっくりしたけれど、優しくて面倒見がいいジェイスさんらしい。


「ありがとうございます。冗談まで言って元気づけてくれるなんて」


 気遣いに自然と笑みがこぼれる。

 と、ジェイスさんがぎゅっと眉を寄せた。


「冗談なんかじゃないぞ」


 低い声で呟いたジェイスさんが、不意に一歩踏み出す。

 大きな手がそっと頬を包む。


 真っ直ぐな視線に縫い留められたように、身体が動かせない。


「可愛いと言ったのは本心だ。俺は――」

「申し訳ございません。支度が遅くなってしまいました」


 こんこん、とマルゲの声とともに扉がノックされる。

 ジェイスさんが弾かれたように退いた。


「す、すまん……。せっかく用意してもらったのに申し訳ないが、そろそろ失礼する」


 いぶかしげに眉を寄せたマルゲが口を開くより早く、ジェイスさんが告げる。


「じゃあな、エリ。ゆっくり休むんだぞ。邪教徒の一件が片づくまでは絶対に一人で出歩くなよ。何か気になることがあったら、屋敷の警護に当たっている隊員に知らせろ。すぐに俺が飛んでくるから」


 ぽふぽふと安心させるようにジェイスさんが頭を撫でる。ヒルデンさんのお店でフード越しに撫でられていた時と同じ撫で方にほっとする。


「ジェイスさん。お見舞いに来てくださってありがとうございました。嬉しかったです」


 微笑んでお礼を言うと、なぜかジェイスさんがうっすらと頬を染めた。


「いや……。言っただろ。俺が心配だったから来たんだって。だから、気にすんな」


 優しい笑みとともに最後にひと撫でしたジェイスさんが、「じゃあな。見送りはいいからゆっくりしてろ」ときびすを返す。


 マルゲの見送りも断ったジェイスさんが居間を出ていき。


「あの、お嬢様。今のは……? 確かに、警備隊長の証を持ってらしたのでお通ししましたが……」


「あれ? さっき説明しなかったっけ? 昨日の私の様子を心配してわざわざお見舞いに来てくださったの。口調はちょっとぞんざいだけど、ジェイスさんって本当に面倒見のよい方よね!」


「面倒見、ですか……」


 マルゲがなぜか顔をしかめて吐息する。


「わたくし……。今度から、お嬢様への男性のお客様がいらした時は、たとえ警備隊長といえど、席を外さぬことにいたします。本当にもう、お嬢様は危なっかしい……」


 はあぁぁぁっ、と心の底から嘆息され、思わず言い返す。


「し、仕方がないでしょう!? 昨日だって、まさか邪教徒に狙われるなんてこれっぽちも……っ!」


「……しかも、無自覚でいらっしゃる……」


 マルゲの深い溜息が、お盆の上のティーカップから立ち昇る湯気を吹き散らした。


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