第5話 堅石さんの気持ち
堅石ゆきは、お嬢様だった。
日本を代表する大企業の社長の一人娘、家にメイドがいるのは当たり前。
学校もいわゆるお嬢様学校に行っていて、同学年は女子しかいなかった。
お嬢様学校の中でも、堅石ゆきは周りから一目置かれていた。
成績優秀、運動神経も抜群、容姿も誰が見ても抜きん出て美しく可愛かった。
だから他の女子生徒からは憧れの目で見られていたが、堅石からしたらどこか周りと壁を感じていた。
周りの女子生徒と喋っても友達と話す気軽さを感じられなかった。
堅石自身の喋り方や振る舞いもしっかりし過ぎているのが原因に含まれてもいたが、一番は周りが堅石ゆきを特別扱いしていたからだろう。
小学生から中学生の間、堅石はお嬢様学校で過ごしたが、友人と呼べる人は誰一人出来なかった。
(このまま私は誰とも親しくなれず、大人になっていくのでしょうか)
堅石はそう考えて、少し寂しく思ってしまった。
このままじゃいけない、何かを変えないといけないと思い、環境を変えることにした。
つまりお嬢様学校ではなく、高校から共学に通うことにしたのだ。
しかし高校一年生になっても、どこか周りの人とやはり壁を感じた。
誰とも親しくなれない、だけどなぜか男性の方に交際を申し込まれる。
仲良くなってもない男性と交際など出来るわけがないから、丁重に断った。
言い方や断り文句がキツくてお堅いというのは、幸か不幸か、堅石の耳に入ってはこなかった。
女性の生徒と話そうとしても、やはりどこか壁が感じられる。
しかし小学校や中学校の時とは違い、その壁の原因を堅石は見つけていた。
(私自身が、他人と喋られる話題などを持っていない。特に私以外の方々が今まで体験したり会得しているものを、私は得られていないので共通感覚がなく、話していても違和感を感じてしまい、話が止まってしまう)
つまり、育ってきた環境が違うのだ。
堅石は普通の女子高生が今まで体験してきたものを、ほとんどやってきていない。
家事をしたことがない、親の手伝いをしたことがない、カラオケに行ったことがない、服を買いに行ったことがない、好きな人ができたことがない――。
他にもいろいろとあるが、それらがあって他人と会話をすることが出来なかった。
(どうすれば、いいのでしょうか)
高校二年に上がる頃、クラスの女子生徒が上京してきて、一人暮らしをしていると話しているのを近くで聞いていた。
「えー、すごいね! 高一から一人暮らしなんて!」
「家でも家事はしてたから、一人暮らしでも意外となんとかなるもんだよ。東京に出てくるのは緊張したけど、やっぱり挑戦しないとね」
そんな会話をしているのを聞いて、堅石は決意した。
(私も、一人暮らしを始めてみましょう。挑戦しないと、何も変わりませんから)
春休みに入る前に両親に相談し、意外とすぐに承諾してくれた。
堅石が人生の中でほとんどワガママを言ってこなかったので、少しでもそういうのを叶えてあげたいという親心だったのだろう。
しかし堅石は家事をしたことがないという不安が親にはあったため、父親の会社の副社長、その息子の空野楓が隣の部屋で住むことになった。
空野楓は良くも悪くも、普通の男の子だった。
高校一年生の時は別に同じクラスでもなく、同学年の男子の八割以上から告白された堅石だが、そこで初めて会った。
『よろしくお願いします、空野さん』
『うん、よろしく』
『お隣同士になりましたが、特に手伝ってもらうことはないと思います』
『そ、そっか』
最初の挨拶の時に、自分は変わるんだ、挑戦するんだという気持ちを込めて、「手伝ってもらう必要はない」と伝えた。
しかし翌日には、すぐに空野に手伝ってもらうことになってしまったが。
その後、空野はよく堅石の部屋に来て、一人暮らしの手伝いをしてくれていた。
堅石は、全てのことが初めての経験だった。
『空野さん、私は初めてのことばかりです。あなたは私の初めてをいっぱいもらってくれます』
『うん、堅石さん、その言い方は僕と二人以外のところでは絶対にやめてね』
『なぜでしょう?』
『人聞きがすごい悪いからかな』
家族以外の他人と、ここまでコミュニケーションを取ったのも初めてだった。
ここまで自分が何も出来ないのか、と落ち込みながらも、挫けずに空野と一緒に暮らしていた。
そして隣同士の部屋に住み始めて約一ヶ月が経ち、二年生に上がって二週間が経った頃。
いつも通り学校で過ごして、家に帰ってからは初めて一人でお風呂掃除をしようと思った。
しかし空野が帰ってきたタイミングで慌ててしまい、失敗してしまった。
夕飯は初めて一緒に作ることが出来て、堅石はとても成長を感じた。
目の前で一緒に食べて微笑んでくれる空野に、とても温かい気持ちを抱いて少し不思議な気持ちになった。
だけどその後のお皿洗いで見事に失敗したのは、反省すべき点だ。
お風呂に入る時も効率を考えて服を脱いで渡したのが怒られてしまったが、堅石はなぜ怒られたのかいまだによく理解出来ていない。
裸を見られたら恥ずかしいのかもしれないが、見られてはいけないところはしっかり隠していたはずだ。
(裸エプロンという勝負服で出迎えるのも、またいつかやりましょう。喜んでくれるでしょうか。今回は恥ずかしがっているような雰囲気でしたが、似合っていると言ってくださったので、お嫌いではないようですから)
そして……。
『別に楽しませようとしなくても、一緒にこうして話してるだけでも楽しいんだよ』
『堅石さんが一人で家事が出来るようになるまで、俺はいつまでも付き合うつもりだから』
空野にそう言われて、とても嬉しかった。
本当に本当に、心の底から。
何も出来ないと思って落ち込んでいたから、あと少しで泣いてしまうところだった。
空野を家族のようだ、お兄さんのようだと言ったが、本当に堅石はそう思っていた。
だけど、心の底から家族のようだと思っていたけど、何か少し違うかもしれないと思うのも事実だった。
少なくとも父親や母親に向ける感情ではない、これが兄に向ける感情なのかと言われると疑問に思う。
(いつかこの気持ちに、答えは出るのでしょうか)
わからない、堅石は高一になってから自分が世間のことのほとんどを知らないというのを思い知った。
そして高二に上がる直前に一人暮らしをし始めて、一人じゃ何も出来ないということも知った。
まだ何も変わってない、何も出来ていない。
――空野楓と知り合った以外は。
(この気持ちが何なのか、答えはまだわかりませんが……この気持ちは、大事にしたいです)
そう思いながら、温かな気持ちで眠りについた。
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