第79話 世界で一番②

「何かあるなら教えて下さい」


「な、何でもないったら――」


「どう見ても何かがあったとしか思えません。もしや俺は、貴女に不敬な振る舞いを――」


「ふ、ふふふ不敬だなんて思っていないわ!」


 カァっと頬を赤らめながら両頬を覆い、ブンブンと首を振る。


「私は、お前に何をされても――嬉しいと思いこそすれ、不敬だなどと思うことはないもの」


 ならばどうして頑なに目を合わせてくれないのか。


「――つまり、何かをしたのは事実、というわけですね?」


「っ……」


「教えてください。俺は記憶をなくしていた間、何をしたのですか?」


 淡々と無表情で追及されて、カァァッと頬が熱くなる。


(ほ、本当のことを包み隠さず全て伝えたりしたら――きっと、ロロは首を括ってしまうわ!そんなことは出来ない……!)


 ロロの下僕根性をこれ以上なく理解しているからこそ、それは誇張でも何でもないとわかる。本気で、罪を償うためと言ってすぐにでも自害したとしてもおかしくない。

 とはいえ、目の前の無表情から放たれる圧は、「何でもない」の一点張りで躱し続けられるほどのものでもないのは明らかだった。


「もう、何があっても二度と酒を口にはしないと誓うので、教えてください」


「そ、そんなっ……!た、たまに、嗜む程度なら、いいのではないのかしら!!?ほほほほら、酒は百薬の長ともいうことだし――」


「記憶を無くして、その間自分が何をしでかすかわからない状態に陥るなど言語道断です。万が一、その時に貴女に危害を加える何かが迫ったらどうするのですか」


「そそそそれはそうだけれども――」


 思わず下心満載で反論してしまったせいで、ロロは疑念を強めてしまったようだ。ぎゅっと眉根に力を入れて、じっとこちらを見据えている。

 気まずそうに視線を逸らした後、ミレニアはゴホン、と一つ咳払いをしてから、息を吸った。


「ロロ。――ルロシーク」


「はい」


「お前、まだ私を――他の殿方と、結婚させたいと思っている?」


「はい。勿論です」


 間髪入れず答えが返ってきて、苦笑してしまう。

 本当に、昨日、熱っぽく掠れた声で情熱的に愛を囁いてくれたのは、別人だったのではないかと思えてきた。

 だが、それでも――触れ合った身体の温もりも、まっすぐに愛情をぶつけられて高鳴った鼓動も、つい先ほどのことのように思い出せる。


(あれは、決して、夢なんかじゃなかった)


 ぎゅっとミレニアは首飾りを握り締めて、ロロを見据えた。


「でも――お前、私のことを、愛しているのでしょう?」


「……何を――……」


 つい、いつものように「お戯れを……」といって回答を避けようとした唇は、意に反して戸惑った様に動いて、意味のない言葉を生み出す。

 いつもなら、虫けらのごとき存在である自分が、高潔な少女に懸想している事実を欠片でも認識させたくないと思っているのに――


『いつもの冗談よ。そんな顔をしないで』


 隈の浮かんだ張りつめた横顔を隠すように、困った顔で寂しそうに笑った少女の表情が、浮かんだ。


『誰でもいいから――”私”を、愛して――』


 夢の中でしか本音を吐露出来ない少女が、目尻から美しく煌めく哀しい涙を流して訴える声が、浮かんだ。


「……俺は……」


 ぎゅっと拳を握り締め、二の句を継げずにいるとミレニアが吐息だけで苦笑する気配が伝わった。


「私ね。……最近、ずっと、悪夢にうなされて、悩んでいたの」


「!」


「夢の中の私は、とても弱くて愚かで醜くて――だけどそれこそが私の本質なのだと、誰よりも自分が一番よくわかっていて」


 初めて少女が起きているときに弱音を吐露してくれたことに驚きながら、ロロは静かにミレニアの話を受け止める。


「こんなに弱くて醜い私の本質を知っても、変わらず無償の愛を注いでくれる存在などいるはずがない――そう頭ではわかっているのだけれど、それでもやっぱり、こんな自分を誰かに愛してほしいと思ってしまうの。……そう思うことこそが、自分の弱さを露呈しているようで、吐き気がするほどだったわ」


「そんなことは――」


「だから、お前が羨ましかったのよ。……お前は、誰の愛情もいらない、と言って独りで生きていく”強さ”を持っているから」


 ぱちり、と紅い瞳が瞬きを速める。――ロロが、驚きを表すときの癖。

 本当に記憶が無いようだ。ミレニアは苦笑しながら、昨夜をなぞるような話を続ける。


「私は”家族の愛”を知らない。……だからこそ、私が何者であっても構わない、どんなに私が弱くても醜くても愚かでも構わない、と言って”ただのミレニア”を愛してくれる”誰か”が――”家族”が欲しくて堪らなかった。昔から、それが欲しくて堪らなくて……それを得るためなら、どんなことでもしてしまう浅ましさが、私の根底にはあるの。それくらい、私にとっては、人生で渇望しているものなのよ。私の”幸せ”はそれと切っても切り離せない」


 ロロの眉がピクリと動く。

 酒に酔っていた時は当然のように反論しただろう唇は、一瞬薄く開いたが、何も音を紡ぐことなくすぐに閉じられ、固く引き結ばれてしまった。

 反論することは簡単だが――それはつまり、ロロにとっては、ミレニアへの特大の愛を告白することになる。

 素面の彼には、そんな行いは出来なかった。

 それはつまり、自分こそがミレニアが渇望する”家族”の条件を満たす者だと――伴侶に相応しい者なのだ、と名乗り出ることと同義なのだから。

 苦悶の表情を浮かべて、ぎゅっと拳を握り締めるだけで、余計なことは何も言わずにただミレニアの言葉を静かに受け止める――それだけが、今のロロに出来る精一杯だ。

 たった一晩で、再び貝のように固く口を閉ざしてしまった青年に苦笑して、ミレニアはゆっくりと告げる。


「だから、ね。ルロシーク。――私、結婚する相手は、『世界で一番私を愛してくれる殿方』にしようと思うの」

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