第16話 冷却期間①

 それから先の旅程はしばらく、何の障害もなかった。

 ラウラの虎視眈々とした瞳がロロを狙っているのがわかっていたので、昼間は隊の配列を弄って、物理的な距離を置いた。夜になると、時折隙を狙ってロロを襲おうとしてくるが、そのたびに実力行使で黙らせて外へと放りだし、はぁはぁと息を荒げる女を放置してやった。放置されてもなお快楽を得ているようだから、文句を言われる筋合いはない。


「お前さんも大変だねぇ」


「うるさい」


「ハハッ……嬢ちゃんたちと別れて、もう三日か?あと四日――気張ってくれよ、大将」


 穏やかな日差しが降り注ぐ街道を行きながら、ジルバは声を上げて笑う。皮肉屋の揶揄を無言で打ち消し、ロロは眉間に皺を刻んだ。


 ここまでは、のどか極まりない旅程だった。道のりのどこかに、戦闘跡があったわけでもない。

 おそらく先行部隊ものどかな旅程を辿っているのだろうと予測出来るが、視界の中に彼女がいないということは、”今”この瞬間、彼女が息をしているかどうかをその場で確かめられない。

 それが、どうにもロロの心労を重ねていた。

 無意識に、胸元に手を遣る頻度が増えた気がする。


(次の街では、姫の御姿を見られるかもしれない……そうすれば、少しは安心できる)


 四日目の昼に到着する予定の街は、運よく大きな商隊が通るタイミングと重なっていた。

 ロロ達が到着する前日の夜に着いているはずのミレニアたちは、そこで必要な物資を買い付け、後続部隊にも分け与えて、離れていた間の四日間の情報交換を行い、残りの三日間についての最終確認を行い、再びミレニアたちだけが先に出立し、翌日の朝、ロロ達が出立することになっていた。


 検証期間と言われた一週間は、まだ過ぎ去っていない。街でも、ミレニアを見れば膝をついて首を垂れねばならない。顔を上げることは許されないだろう。先行部隊との業務連絡はすべてジルバに任せる手はずになっており、ロロ自身はミレニアと言葉を交わすことも出来はしない。 


(それでも――遠くからでも、御姿を見ることが出来るなら、それだけで)


 今、この瞬間、少女が生きていると実感できること。

 それだけが、ロロが心の安寧を取り戻すための唯一の方法なのだ――


 ◆◆◆


 街にたどり着いたとき、どことなく違和感を感じた。


(何だ――?)


 ざわざわと、何やら不穏な空気が場を支配しているのだ。


「なーんか、妙な感じだな」


「あぁ。……ジルバ。風で聞けるか」


「ちょいと待ってな。今やってる」


 ふわり、と柔らかな風がどこからともなく現れる。

 繊細な魔力調整によって操られる、不自然ではない程度の微力な風に声を運ばせ、人々の会話を盗み聞く手段だ。

 しばしじっと耳を澄ませていたジルバは、目的の情報を得て、ピクリと眉を跳ねさせる。


「どうした」


「いや……なるほど。状況は理解した」


 とりあえず他の者に馬を渡して厩へ促してから、ジルバに問いかけると、いつもの皮肉な笑みではなく、渋面を刻んでジルバは重い口を開いた。


「どうやら、目当ての商隊が到着していないらしい」


「何……?」


「別に天候が悪かったわけでもない。あまりに遅いんで、何かあったのかもしれんってことで、今朝、念のためにと、国から街に派遣された光魔法使いの聖職者と一緒に様子を見に行ったところ――この先の街道で、魔物に襲われ、壊滅しているのがわかったと」


「――――!?」


 ヒュ――と喉の奥で、空気が小さな音を立てる。


「まぁ、王様の命令で、各領土や街には教会が立てられて、布教を目的にした聖職者という名の光魔法使いがいるし、各教会にはそれぞれの聖職者を統括する”司祭”っていう奴らが配備されてるんだろ?この街も、光魔法遣いが結界を張ってるから、街の中にいれば安全らし――って、オイ!!?」


 皆まで聞かずに走り出したロロに、ジルバが驚愕の声を上げるが、構ってはいられなかった。


(大規模な商隊は、たいていしっかりした護衛を十分な数で雇っている……!それが、"壊滅"だと……!?)


「姫――っ」


 今ならまだ、先行部隊の出立に間に合うはずだ。

 ロロは必死に、ミレニアが今朝まで泊まっていたはずの宿屋に向かって、風のように駆けた。

 心臓がバクバクと嫌な音を立てて不規則な鼓動を刻む。

 太鼓のように鼓膜に響くそれを聞きながら、すれ違う道行く人間全てに鋭い視線を投げる。

 視界の隅でもいい。

 ミレニアの影があれば磁石のようにそれに吸い付けられる自信があった。


 目を皿のようにして目当ての姿を探しながらざわつく街並みを駆け抜けると、見覚えのある馬車と、出立前の整備をしているらしき老御者の姿が見えた。


「ファボット!」


「ろ、ロロ殿……!?」


 鋭く言響いた声に振り向き、驚いたような声が上がる。馬車が止まっている目の前の建物を見れば、ミレニアが宿泊すると言っていた宿屋の前だ。

 戸惑う老人に駆け寄りながら、焦燥に駆られるがままに口を開く。


「姫は、どこだ――!?」


「は、えっと、姫様は――」


 しゃがれた声が困惑しながら口を開き切る前に、宿屋の扉が開いて中から足音と共に会話しながら数人の影が出てきた。


「ネロは、念のためファボットと共に御者台にいて頂戴。ガント大尉には既に隊列を組み直すよう伝えてあるから、そう簡単に魔物に付け入らせる隙は与えないはずだけれど、何せ剣闘奴隷の中には魔物と戦うのが初めてという者もいるわ。もしも戦闘になってまごついて隊列を乱すような箇所があれば、光魔法で適宜援護しながら御者台から私に戦況を細かく報告して。……念のため聞くけれど、お前、視力は悪くないわよね?」


「大丈夫だよ。……光魔法で援護するだけでいいのか?その気になれば、魔物の眷属を呼び寄せることも出来るけど」


「やめなさい。お前の属性は本来光なのよ。闇の力を無理に使えば、体調を崩すでしょう。大事な局面でみすみす戦闘員にも後方支援隊員にもなることが出来る貴重な人員を無力化するわけにはいかないわ」


「了解。……とはいえ俺も、光魔法はまだ使い慣れてないから、出立したらちょっと練習に付き合ってくれるか?」


「えぇ。有事の際は残りの魔力は気にせず魔法を惜しみなく使いなさい。回復は私が馬車の中から請け負ってあげるから――」


 隣を歩く少年兵に指示を出しながら、レティによって開けられた宿屋の扉を堂々とくぐったミレニアは、そこで初めて、宿屋の外にいる人物に気が付いたようだった。 

 ぱちくり、とここにいるはずがない青年の姿を見て驚いたように翡翠の瞳を瞬く。


「姫――!」


「ロ――」


 見慣れた黒いマントを纏った従者の顔を認めて、思わずその名を口にしそうになって、慌てて口を噤む。

 今は、まだ、彼に声をかけて良いタイミングではない。――約束の期限は、あと三日後だ。


「ファボット。扉を開けなさい。出発するわよ」


「で、ですが――」


「姫!」


 ふぃ、とロロを無視して馴染みの御者に命ずると、戸惑った声が返ってくるのに被せるようにして、ロロの声が街道に響いた。

 ピクリ、とミレニアの頬が動く。チラリ、と翡翠の瞳が動いて、ロロを――ロロの後ろを、見た。


「ジルバ。何とかして頂戴。――約束が違うわ」


「おぉ……相変わらず、冷たいねぇ。絶対零度のオヒメサマだ」


 ハッと吐息で皮肉気に笑うのは、駆け出したロロを慌てて追ってきたジルバだった。

 ロロを平服させろ、という意味合いだろう。あくまでミレニアは、ロロに話しかけるどころか、視界に入れることすら許さない。


「ホラ、嬢ちゃんの命令だ。言うこと聞けよ、大将」


 苦笑しながら、ジルバはロロの後頭部に手をかけ、無理矢理地面に押し付けようとして――

 バシッと音が出るほど強烈に手を弾かれ、大きく眼を見開く。


「姫っ……!姫、お願いです、俺をそちらの隊に入れてください!」


 ジルバの手を振り払ったロロは、いつもの無表情を青ざめさせ、余裕のない顔でミレニアへと近づく。

 必死の形相で言い募り、足を踏み出したロロに気圧されるようにして、ミレニアはじりっ……と後退った。


「ジルバ……!控えさせて――」


「そんなことを言っている場合か――!」


 ギラリ、と余裕を失った紅い瞳が光る。

 半歩後退ったミレニアに対し、大股で距離を詰めたロロは、焦りをにじませる声で言い募った。


「アンタに身の危険がある時に、なりふりなんか構っていられない――!高確率で魔物が待っている道のりを独りでなんて行かせられるか――!」


 普段の寡黙さを吹き飛ばし、必死に言葉を重ねるロロの後ろで、ジルバは軽く肩を竦めて「ほら、言っただろう。金貨一枚だ」と軽口を叩く。

 払いのけた手の勢いは本気だった。もう一度ジルバに命令すれば、彼は本腰を入れてロロを地面に這いつくばらせようとしてくれるだろうが、今のロロの剣幕から察するに、即座に本気の抵抗を示すだろう。日の高い往来のど真ん中で、剣闘場もかくや、というレベルの激戦になりかねない。

 それがわかっているせいか、ミレニアの命令があるまでは再度ロロに手出しをする気はない、と態度で示した風の魔法使いに渋面を刻んでから、ミレニアは仕方なくロロへ向かって反論をする。


「独りじゃないわ。優秀な戦闘員が私も他の皆も守りながら行軍してくれる。確かに商隊が魔物に襲われたのは事実だけれど、過去の観測記録を見返しても、魔物の巣があるわけではないでしょう。高度な知能を持った魔物がいるとは思えない。何の憂いも――」


「魔物の巣の発生予測は立てられないと言ったのは、アンタだ!帝都の東に出来た巣だって、誰一人予測なんかしていなかった……!過去、この辺りに巣が観測されなかったからと言って、今この瞬間にそれが発生していないなんて、何の根拠があって言える!?」


 唾を飛ばしかねない勢いで訴えるロロの言葉に、ミレニアは口を噤む。――その主張を否定するだけの客観的な論拠を示すことは出来ない。

 押し黙ったミレニアに、必死にロロは主張を続ける。


「もしも、魔物の巣が発生していたら――いつかの帝都侵攻並の勢力を持っていたら――!」


「その可能性は、否定はできないけれど限りなく低いわ。あの時と同等の知恵を持った魔物とその眷属がいるのであれば、もっと被害報告は甚大でしょう。この街は”司祭”が派遣されているから結界で守られているとしても、まだ人員が十分に配備されていない小さな村が、この周辺にはいくつもあるわ。知能が高いのであれば、商隊を襲ったりするよりも村を襲う方が効率的だと考えるでしょう。……流石に、一つの村が壊滅したとなれば、すぐに情報が知れ渡って、もっと大騒ぎになるわ。そうでない以上、巣が発生して高位の魔物が眷属を率いているわけではなく、通常の魔物が――」


「だが、可能性はゼロじゃない――!」


 それを言われてしまえば、何も言えない。昨日初めて巣が発生したばかりで、最初に近くを通りかかった商隊が襲われたのだ、という可能性は否定できないからだ。


「警戒をした結果、杞憂なら何の問題もないんだ……!万が一の、最悪の事態に備えて、俺をそっちの隊に組み込んでアンタを守る任に就かせてくれ――!」


 もはやそれは、懇願に近い。

 全ての余裕をそぎ落として、切羽詰まり青ざめた顔で主張するロロを、ミレニアはじぃっと見上げる。


 一瞬、場に静寂が張りつめる。

 周りにいたジルバも、ネロも、ファボットも、レティも、何も言わずにミレニアの判断を待った。


 しばらく何かを考えていたミレニアは、何一つ揺るがぬ確かな意志のこもった瞳で、ゆっくりと唇を開いた。


「――却下よ。隊の編成は変えない。お前は、変わらず後方部隊の将を務めなさい」

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