第8話 勘違い?③

「馬鹿なことを――あんなもの、姫が戯れに嘯いているだけだ」


「ぬ……?いや、そんなことはないだろう。昔から、姫様がロロ殿を好いているのは誰の目にも明らかだったではないか」


「そんなことは――」


「そなたも、同様に、姫様を好いていたのでは?」


 きょとんとした顔で無邪気に問われては、ぐっと言葉に詰まるしかない。


「いやはや、生まれたころから姫様を傍で見ていた身としては、娘を嫁にやるような寂しさもあるが、『自由の国』を建設したいと夢を語る姫様らしいご判断だ。想い合う二人が、互いの心に忠実に、愛を口に出来る国が出来るとあれば、それはまさに夢のような国だろう」


「っ……馬鹿な、ことを――限度が、ある……!」


「むぅ……何が不満なのだ。あんなに素晴らしいお方に見初められたというのに」


「そういう問題じゃない……!」


 苦い顔でロロは呻くように反論する。


「そもそも、奴隷ごときが、焦がれて良いような方じゃない――!」


「ふむ……?しかし、姫様から求婚の言葉を頂いたのではないのか?」


「それはっ……そう、だがっ……」


 上手く言葉に出来ずに歯噛みして、片手で顔を覆って舌打ちする。

 一つ大きく息を吐いてから、ロロはゆっくりと気持ちを口にした。


「姫は、ギュンターの治世下から、紅玉宮で蝶よ花よと囲われて生きてきた」


「む……?まぁ、そうだな」


「娘を溺愛していた皇帝は、権力に目が眩んですり寄ってくる貴族どもを徹底的に警戒し、変な虫がつかぬよう、姫に極力近づけぬようにしていた」


「その通りだ」


「だから、昔から紅玉宮に務める男たちは、親子以上年が離れている者ばかりで――歳が近いのは、俺くらいだった」


「……ふむ。まぁ、確かに」


 それは事実だ。親馬鹿の極みだったギュンターの意向が反映され、ミレニアに恋慕し誑かしかねない年齢や性格のものが徹底的に排除されていたのは、誰が何を言っても事実だろう。勿論、溺愛の果てに、それぞれの道に秀でている最高級の従者を揃えようとした結果、ベテラン勢ばかりが集まった、という側面もあるだろうが。


「だから――姫は、勘違いをしておられるだけだ。恋だの愛だのに興味を持つ時期に周囲を見回しても、他の選択肢がなかった。俺はたまたま、護衛として傍にいることも多かった。帝都の魔物侵攻のときも、革命の時も、護衛として姫の命を救った。そういう極限の非日常の中、緊張だのなんだのという感情を、恋だと勘違いされただけだ。……そうでもなければ、あの高貴な御方が、俺のような下賤の輩にそんな心を抱くはずがない」


「……むぅ。そう来るか」


 ガントは顎に手を当て、あくまで主人からの恋情を頑なに拒否する従者に唸る。


 ガントはミレニアを生まれたころから知っている。ロロが紅玉宮にやってくるよりずいぶん前から、彼女の護衛として務めていたのだ。


(ロロ殿と出逢う前は、本当に子供なのかと疑わしくなるほどに、我儘の一つもおっしゃらず、誰よりも皇族らしい矜持を持った、高潔なお方だった。必死に女帝になるため、人知れず努力を重ねていらっしゃったあの方が――皇族として相応しい振る舞いをかなぐり捨て、奴隷を手に入れようと、野心も全て擲ち、尊敬する父君が苦言を呈しても、それでも、と我儘を言って望んだ時点で、既に姫様の心はこれ以上なくロロ殿に奪われていたという何よりの証拠だと思うが……それを言っても、ロロ殿は納得しないのだろうな)


 思わず苦笑する。いつの時代も、男女の色恋沙汰は、第三者から見れば単純でも、当人たちの間ではどこまでも拗れてうまくいかぬことがある。

 だが、それを第三者の力で無理に解き解そうとしても、うまくいかないから、なおのこと不思議だ。


「まぁ、こればかりは、なるようにしかならんだろう。私は、二人の行く末を黙って見守るとしよう」


「勘弁してくれ……」


 笑いながら背を向けるガントに、眉間に皺を寄せてロロが呻く。


(ロロ殿を雇い入れてからの姫様は、本当に幸せそうだった。――愛が欲しいとずっと嘆いていた少女が、初めて、愛を与える喜びを知って、笑ったのだ)


 ガントの脳裏に浮かぶのは、遠くなった紅玉宮での日々。

 兄たちに冷遇され、父からは女ということを理由に最後まで彼女の野望の理解を得られず、狡猾な貴族たちの嫌らしい視線を一身に受けていた少女は、泣き言ひとつ言わなかったが、それでもどこか寂しそうだった。

 紅玉宮に飾ってある母の肖像画を眺めては、幼い少女が首飾りをぎゅっと小さな手で握り締めて、じっと張りつめた横顔を晒していた日々を、ガントは昨日の事のように思い出せる。


 それが、ロロが来てから、一変したのだ。


 彼女が嫌だ嫌だと逃げ回っていたダンスや歌やお茶会や――どう考えても意にそぐわぬであろうそれらを詰め込まれる毎日で、少女はいつだって幸せそうに笑っていた。「ロロ」「ルロシーク」と歌うように従者に呼びかけては、うっとりと頬を染めて、嬉しそうにその瞳を覗き込んでいた。


 母の肖像画の前に立つ頻度が、紅い首飾りに手をやる頻度が、圧倒的に減った。


 奴隷と皇女が結ばれることなど、不可能だと誰もがわかっていたが――それでも、幼気な少女の心に咲いた、生まれて初めての恋の花を無情に踏みにじるほど大人げない従者は、紅玉宮に存在しない。あたたかい瞳で、二人の恋心に気付かぬふりをしながら、遠巻きに見守るだけだ。

 ――誰よりも、ミレニア自身が、その恋の花が実を付け成就することなどないと、知っているはずだったから。


(だが、何の因果か状況が変わり、初めて、姫様が想いを口にする権利を得たのだ。放っておいても、そのうちロロ殿は観念するだろう)


 ロロがミレニアに尋常ではないほど心酔しているのは誰の目にも明らかで、その愛が海よりも深いことは疑う余地がない。

 どうせ、時間の問題だろうと結論付けて、若い二人のもだもだした恋模様を、大人の余裕で見守ってやろうとガントは口の端に笑みを刻んだのだった。

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