第23話
期末試験が終わると授業は午前中だけのAM授業になる。
追試を受ける生徒は午後に追試を受けて、それでも規定の点数に届かないと夏休みの補習が待っている。
寮生の中で唯一の赤点の夏輝さん――舞子さんはギリギリで赤点回避だった――は、友喜音さんに勉強を見てもらったおかげで、追試はクリア。これで夏休みの補習がなくなったと豪快に笑っていた。
ともあれ、これで全員期末試験のことは忘れて、残りの授業を終えれば夏休み!
と言うころになって、ふと友喜音さんが言っていた夏祭りや花火大会のことを思い出した。
そのことを夕飯のときに尋ねてみると、夏祭りは7月27日にこの近辺で一番大きな神社の末社で前夜祭が、28日に本社で本祭が行われるらしく、この近隣の住民はこぞってその祭りに来るとのこと。
花火大会は街に出て、会場である港までバスに揺られてから水上花火大会を眺めるとのことだった。
ちょうどそのことを話題に出したこともあってか、彩也子さんに後で101号室に来てほしいと言われたので晩ご飯が終わって、お風呂も入ってから101号室に向かった。
101号室はさすがに唯一エアコンがついている部屋だけあって、扇風機しか使えない自分の部屋とは温度が違う。涼しい部屋の中で、彩也子さんは床に何かを広げていて、部屋の隅っこでは舞子さんが文字通り死んでいた。
「あぢぃ……」
「何言ってるの。十分涼しいじゃない」
「うちにはこれでも十分暑いんだよぉ……」
力のない声に、ホントに暑がりなんだなぁと認識を新たにする。
「千鶴ちゃん」
呼ばれたので彩也子さんのほうに向き直ると、彩也子さんは畳の上に広げていたものを持ってあたしに見せてくれた。
それは紺色に薄い青やピンク色の紫陽花が散りばめられた浴衣だった。
「うわぁ、浴衣だぁ」
「千鶴ちゃんの浴衣よ。柄はだいぶ前のものだけど、手直しするからちょっと羽織ってみてくれる?」
「はい」
彩也子さんはだいぶ前と言ったけれど、保存に気を使っているのか、パッと見で生地とかが傷んでいるようには見えない。
それをTシャツと短パンの上から羽織って衿を合わせてみると少し長い。でもそこまで大きく違うものではないから彩也子さんは帯を取り出すと、丈を合わせながら帯を締めてくれた。
「袖のほうは……大丈夫そうね。丈がちょっとだけ長いから帯を締めるときに調整すればいいから手直しはなしにするわね」
「はい」
「じゃぁ次はこれ」
そう言って押し入れから取り出したのは下駄だった。ピンクと赤の中間くらいの鼻緒がついた下駄でそれを履くように言われたので足を通してみる。
ぴったりとは言わないまでも歩くのに支障はなさそうな感じだったので、これも手直しはなし。
「とりあえずはこれでOKね。髪は当日にセットしてあげるからそのときにね」
「何から何までありがとうございます」
「いいのよぉ。寮生のみんなが楽しく過ごせるのが私の幸せなんだから」
なんてできた人だ。
部屋の隅っこでぐだぐだになってる舞子さんに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
そういえばと思って友喜音さんと話してたときのことを思い出して彩也子さんに尋ねてみる。
「彩也子さん、あたし、家事とかぜんぜんできなくて、大学とかでひとり暮らしするときに大変かもしれないからあたしに料理とか手伝わせてもらえませんか?」
「あらあら、まぁまぁ」
彩也子さんはやおら近付いてきて、その豊満な胸にあたしの頭を引き寄せて抱き締めた。
「ささ、彩也子さん!?」
「嬉しいことを言ってくれるわね」
とても柔らかいふたつの膨らみの圧がすごくて息が苦しい。
「でもいいのよ」
「ダメなんですか?」
「うん。お姉さんの仕事を取っちゃダメ。今も言ったけど、寮生のみんなが快適に暮らせることが私の役目であり幸せなの。それに学生の本分は勉強でしょう? 勉強に集中できるように私がいるんだから、今はそんなこと気にしなくていいの」
うーん、友喜音さんは喜んで引き受けてくれると言っていたから彩也子さんはふたつ返事でOKを出してくれるだろうと思っていたのに、意外なところでダメ出しを食らってしまった。
「でも料理に洗濯、掃除……おまけに浴衣とか、いろいろしてもらってるのにあたしたちが何もしないのは悪いですよぉ」
「それならちゃんと勉強して、少しでもいい大学に合格すること。そうすれば私がやったことは無駄じゃなかったんだって思えるから、千鶴ちゃんはちゃんと勉強を頑張っていればいいのよ」
そりゃ確かによりいい大学に入れるに越したことはないけど、そのために1日のほとんどを寮生のために費やして、彩也子さんは自分の時間なんてものがないのではないかと思えた。
だから素直にはいとは言えなかった。
「それとね、お料理やお洗濯なんて合格してから覚えても問題ないわよ。合格して、それでも教えてほしいって言うならお姉さん、つきっきりで教えてあげるわよ」
「むぅ……、じゃぁ約束ですよ。大学に合格したら料理教えてください」
「いいわよ。手取り足取り教えてあげるわ」
そこでようやく抱き締めていた腕が緩んだのでたわわな果実から顔を離す。
「約束ですからね」
「えぇ、約束」
にっこりと微笑まれて、この笑顔の前ではどんなに言葉を尽くしても彩也子さんの考えは翻らないだろうと思えたのでそれ以上は食い下がらなかった。
浴衣のほうは終わったので、もう戻っていいと言われたこともあり、彩也子さんの部屋を出るとばったり翔子に出くわした。
「あら、千鶴、彩也子さんの部屋で何してたの?」
「浴衣着せてもらってた」
「あぁ、千鶴は今回が初めてだもんね。どうだった?」
「うん、紫陽花の柄が可愛い浴衣だったよ。翔子は?」
「あたしは蝶柄の浴衣よ。巾着は無地だけど、留め具が蝶の形をしていてね。ちょうどいいアクセントになってて可愛い浴衣と巾着よ」
「へぇ、そうなんだ。みんなの浴衣姿、早く見てみたいなぁ」
「月末になったら見られるんだからそれまでの楽しみに取っておきなさい」
「うん」
頷いて、ふと常識人の翔子も彩也子さんの手伝いを買って出たことがあるのではないかと思って尋ねてみることにした。
すると『あるわよ』とあっさりと返事が返ってきた。
「でも断られた?」
「千鶴も言ったの? まぁ千鶴の性格だとそういうのもわかるわ。でも彩也子さんは寮生のために働くのがとても嬉しそうだからあたしも折れたんだけどね」
「どうして彩也子さんはあんなによくしてくれるんだろうね」
「あたしも噂以上のことは知らないわ。その噂もホントかどうかも怪しいような話ばっかりだしね」
「そうなんだ」
「ただひとつだけ確実だろうことはどこかの高校の家政科を卒業して、そのままここの寮母になった、ってことだけね」
「高卒で寮母!?」
「そうみたいよ。だって大卒だったら今彩也子さんが28歳だから6年前から寮母をしてることになるでしょう? でも噂はそれ以前のものからあるのよ。だから少なくとも家事に精通していること、6年以上前から寮母だったと言うことを勘案すると、家政科みたいなところを卒業してそのまま寮母になった、ってのが一番信憑性のある噂ね」
「ほぇぇ……」
ここに来てからと言うもの、できた人だできた人だと思ってたけど、そんなに前から寮母をしていたのか。
大学に行かなかったから、寮生がよりいい大学に合格するのが嬉しい。
そんな感じなのかもしれない。
「でもそのころからあんなに胸が大きかったのかな」
ふと呟いてしまった言葉に翔子が眉間に皺を寄せた。
「千鶴も彩也子さんや舞子みたいな巨乳が好きなわけ?」
「べ、別にそういうつもりで言ったわけじゃないよ!」
「どうだかっ」
ふんっと鼻を鳴らして翔子は不機嫌そうに台所に消えていった。
あたしが平均サイズの微妙なおっぱいだから、あんなに大きいなんてどういう気持ちなんだろうってただそれだけだったのになぁ。
でもその言い訳を言う隙も与えずに去っていってしまった翔子に今さらそれを言っても機嫌は直ってくれない気がしたので仕方なくあたしは自分の部屋に戻ることにした。
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