第21話
静音さんの秘密を聞いてからしばらく、そのことが頭から離れなくて勉強にもなかなか集中できなかった。
これではいけない。
今は目の前の期末試験のことだけを考えていないとまたいつもどおりの点数になってしまう。
せっかく友喜音さんが勉強法を教えてくれて、それを実践してきた成果を見せるときが来たと言うのに静音さんのことが頭から離れてくれなかった。
性的虐待。
あたしはそんなことを経験したことがないからわかんないけど、本当は静音さんだってつらい思いをしてるのだろうと思う。
口調には抑揚がなくて、表情は無表情だ。何を考えてるのかわかんないとこはあるし、突拍子もないことを言って焦らされたりする。
でもそれはそういう過去の経験から形成されたものなのだろうと思うと納得はできた。
まぁだからって舞子さんに迫られてそれを許してしまうのもどうかとは思うけど。
ひとりで勉強しているとついつい静音さんのことを考えてしまうので、ここは誰か他の人と一緒に勉強したほうが気が紛れるんじゃないかと思って勉強道具一式をまとめる。
さて、一緒に勉強するならどっちがいいだろう。
もちろん翔子か友喜音さんだ。
翔子は同じ2年生だし、試験範囲も一緒。
友喜音さんは学年トップだから何かあったときには一番頼りになる。
どちらにするか迷って、友喜音さんのところに行くことにした。
今の勉強法を教えてくれたのは友喜音さんだし、わかんないとこは教えてもらえる。
3年生は1学期の期末がほとんど3年間の総決算みたいなところがあるから、お邪魔かなとも思ったけど、ただひとりで勉強していると静音さんのことが思い出されて手に付かないから誰かと一緒のほうがいい、と言うだけだからそう邪魔にはならないだろう。
そう決めて201号室の扉をノックする。
すぐに返事がして用件を伝えると『どうぞ』と声がかかったので友喜音さんの部屋に入る。
「すいません、お邪魔しちゃって」
「いいよ。ひとりで勉強してて行き詰っちゃったり、飽きたりしたときに誰かと一緒だと気分転換もできるしね。気にしないで」
「ありがとうございます」
やっぱり友喜音さんは優しい。
友喜音さんの部屋には勉強机以外に使えるテーブルの類がないので、いったん自分の部屋からテーブルを取ってきて、それを畳の上に広げてから勉強を再開する。
しばらくカリカリとシャーペンの音だけが響いて、30分くらいしただろうか。友喜音さんが勉強机で大きく伸びをした。
「休憩しようか」
「あ、はい。じゃぁあたし、飲み物取ってきますね」
「うん、よろしく」
あたしは立ち上がって部屋を出ると階下の台所に向かう。もう片付けが終わったらしい彩也子さんはいなかったので、食器棚からコップを取って、冷蔵庫から麦茶を、冷凍庫から氷を取って、飲み物をふたつ入れる。
それを持って201号室に戻ってひとつを友喜音さんに、ひとつをあたしのテーブルに置いて人心地つく。
「そういえば友喜音さん、夏休みはゴールデンウィークみたいに実家に帰省するんですか?」
「ううん、帰省するのはお盆だけ。あんまり長く帰ってるとお母さんが気を遣うから」
親子仲が悪いんだろうか?
そんなあたしの心を読んだみたいに友喜音さんが続けて言った。
「お母さんとの仲が悪いわけじゃないのよ。ただ、お母さん、私が帰ってると無理しちゃうから」
「無理?」
「うん。ほら、私ってあんまり服とか持ってないでしょ? お小遣いだってそんなにないからコンビニとかにも寄らないし、彩也子さんが主催してくれるパーティくらいしか出ずに、勉強してばっかりじゃない。だから帰るとあれこれ世話を焼いてくれたり、何か買ってくれようとしてくれたりして、無理するから」
「いいお母さんじゃないですか。友喜音さんのことを思っていろいろ考えてくれてるんじゃないんですか?」
「それはそうなんだけどね。そういえば話してなかったね。私のうち、母子家庭なの」
「え? そうなんですか?」
「うん。私が幼いころに両親が離婚して私は女手ひとつで育てられたの。まだ私が幼いころは就職なんてすごく難しい時代だったから、お母さんはパートや派遣なんかで何とか働いてお金を稼いで、私を育ててくれたの。だからとても貧乏で、質素な暮らしをしてたわ」
「そうだったんですか……」
「うん。でも幸い私は勉強はできたからとにかく勉強して、うちの学校に入学したの。ほら、うちの学校って特待生制度があるじゃない? 学費が免除されるからお母さんに負担はかからないし、寮に入ればお母さんにお弁当とか洗濯とか負担かけなくてすむし、寮なら寮費も安いよね。だから私はここにいるの」
「はー、人に歴史ありですねぇ」
「そうね。だから帰省するとお母さん、何かと私の世話を焼こうとして頑張っちゃうから長く帰省してるとお母さんの負担になっちゃう。だからお盆と正月以外はあんまり帰らないの」
「なるほど」
「そういう千鶴ちゃんはどうするの?」
「あたしもお盆以外は帰らない予定ですよ。なんせ親の転勤先が遠いですからね。お盆におじいちゃん、おばあちゃんの家に集合して、そこでお盆過ごしたらここに帰ってきますよ」
「じゃぁみんなお盆以外は帰らない予定になるのね」
「他のみんなも夏休みはそうなんですか?」
「うん、去年がそうだったしね。舞子ちゃんは帰ると親がうるさいから帰らない、静音ちゃんはどういう理由かは知らないけどあんまり実家に寄りつかないわね。翔子ちゃんは単純に勉強していたいみたい。私がここに残るから何かあったときに教えてもらえるからって言ってたわ」
「夏輝さんは?」
「夏輝ちゃんは翔子ちゃんより単純よ。ここのほうが居心地がいい、だって」
「なんか夏輝さんらしい」
「そうね。でもみんないるから去年は花火大会とか夏祭りに行ったりして楽しかったよ。彩也子さんがみんなの浴衣縫ってくれてね」
「彩也子さん、浴衣まで作れるんですか!?」
「うん。毎年夏になると彩也子さんはみんなの浴衣を縫ってくれるわよ。今年は千鶴ちゃんもいるから彩也子さん、張り切ってるんじゃないかしら」
「彩也子さん、何でもできるんだなぁ」
これには素直に感心してしまう。料理上手で家事全般が得意、しかも浴衣が縫えるくらい裁縫の腕も上手、と。
前にも彩也子さんをお嫁さんにする男性はすごい幸せだろうなぁと思ったけど、彩也子さんなら子供ができたとして子供服とか小物入れなんかも自分で作ってしまいそうだ。
「何でもってわけじゃないと思うけど、家事全般に関しては感心するくらいできるわよね」
「そうですね。あたし、ずっとママ任せだったから家事とかぜんぜんで彩也子さんくらいできるのってなんか羨ましい」
「ふふ、その気があるなら彩也子さんに教わるといいわ。彩也子さんなら喜んで教えてくれると思うわ」
「それは想像できます。でもなんであんな美人で、胸も大きくて、優しくて、家事も完璧な彩也子さんがなんで寮母なんてやってるんだろう?」
「それはわからないわね。噂はいろいろあるみたいだけど、彩也子さんはいつもにこにこして多くを語らないし。ただひとつ言えるのは彩也子さんは寮生がたくさんいて、賑やかなのが好きってことね」
「なんかそれはわかるなぁ。食事のときとか、すごい楽しそうだし、幸せそうだもん」
「うん。だから千鶴ちゃんが入ってくれて、より賑やかになって嬉しいのは彩也子さんだと思うわ」
「そうですね」
あたしはひとりっ子だからお姉ちゃんがもしいたら、彩也子さんみたいなお姉ちゃんがいいなぁって思う。
ちょっと歳が離れてる気はしないでもないけど、それはそれでありだと思った。
「少し話しこんじゃったわね。勉強、再開しましょうか」
「そうですね」
半分くらいなくなった麦茶のコップをテーブルに置いて、あたしはテーブルの教科書に目を落とした。
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