第19話
「千鶴! 置いてくわよ!」
「ちょっと待ってよ、翔子!」
けんけんとローファーのつま先を玄関の床で叩いて急いで靴を履く。視線の先には翔子、舞子さん、静音さん、友喜音さんの4人があたしを待っていた。夏輝さんは何でも陸上部の朝練に付き合うとのことで朝早くにもう寮を出ていた。
「ごめんごめん、お待たせ」
「じゃぁ行きましょうか」
「うん」
翔子の微笑に迎えられてから、4人揃って学校に向かう。
先日翔子があの幼馴染みの翔ちゃんだと思い出してからと言うもの、翔子は目に見えて態度が柔らかくなって急速に昔の仲のよさが戻ってきたような気がした。
この2ヶ月余り、ほぼ唯一と言ってよかった翔子とのぎくしゃくした関係が改善されて寮生活はこれから順調に進んでいくのかもしれないと思った。
あれこれと翔子と昨日の宿題のことや今日の授業のこととかを話しながら歩いて5分。校門に到着して校庭を歩いて下駄箱まで行く。
上履きに履き替える間も翔子とのお喋りは止まらない。
まるで今までの分を取り返そうとしているんじゃないかってくらい、あたしと翔子は急速に仲を取り戻していった。
教室に入ってからは席が少し遠いのでそこで別れてしまったけれど、もう翔子との関係は大丈夫だと思えたからどこか晴れ晴れとした気持ちで席についた。
「おはよ、千鶴」
「おはよう、羽衣ちゃん」
羽衣ちゃんが席につくなりやってきたのでにこやかに朝の挨拶をする。
「ご機嫌だね、千鶴」
「そう?」
「なんか福井さんのこと、名前で、しかも呼び捨てになってるし、いったい何があった?」
「実はね……」
そう前置きしてから翔子が実は幼馴染みだったことを羽衣ちゃんに話す。
「なるほどねぇ。そりゃ千鶴が悪い」
「えー! だって翔子ってばあのころまるで男の子みたいな恰好だったし、ずっと翔ちゃんって呼んでたからまさか翔子があの翔ちゃんだなんて思わなかったんだもん」
「でも福井さんは千鶴のことを覚えてた。それなのに千鶴は気付かなくて他人行儀な感じだったんでしょ? わたしでも傷付くと思うなぁ」
「うぅ……、羽衣ちゃんまで……」
「まぁでも、思い出せて仲良くなれたんでしょ? 結果オーライよ」
「うん、まぁね」
このまま関係がぎくしゃくしたまま残りの高校生活2年間を同じ寮で過ごすことになるかもしれなかったことを考えると、思い出せてよかった、と言うのは偽らざる気持ちだ。
それから羽衣ちゃんと他愛ない話で授業が始まるまでの時間を潰した。
今日のお弁当は何かなぁ。
お昼休憩になると楽しみなのが彩也子さんのお弁当だ。
朝ご飯だけでなく、寮生6人分のお弁当まで作ってくれる彩也子さんのお弁当は毎日の楽しみのひとつだった。
羽衣ちゃんとふたりで、薄曇りの中、どこで食べようかと話していると珍しく舞子さんがお弁当を持って1組の教室にやってきた。
「あれ? 舞子さん、どうしたの?」
「たまには弁当を一緒に食べるのもいいだろ?」
そう言って舞子さんはお弁当を掲げてみせる。
羽衣ちゃんに視線を移すと頷いてくれたので、羽衣ちゃんはOKのようだ。
「じゃぁどこで食べる? だいぶあったかくなってきたから木陰のあるところがいいなぁ」
「それなら裏庭がいいな。あそこは樹や花壇がたくさんあるし、日陰もある。花壇で目の保養にもなるしな」
「じゃぁそこにしよっか。羽衣ちゃんは?」
「わたしもそこでいいよ」
「ん、じゃぁ行こっか」
3人で連れ立って裏庭に向かう。
舞子さんが言ったとおり、裏庭には木陰になりそうな樹が等間隔に植えられていて、その間にはところどころにベンチもあった。
そのうちのベンチのひとつに腰掛けると花壇が一望できて、中には夏の花が咲き誇っている花壇もあった。
「いい場所だね」
「だろう? おまけにあんまり人が来ない。うちはよくここで昼飯食ってんだ」
「へぇ、そうなんだ」
そう言ってお弁当を開けると、ご飯にブロッコリーやハムなんかを焼いたもの、かまぼこ、鶏のから揚げ、さくらんぼのお弁当が姿を現した。
「お、さくらんぼ、いいね。後でひとつちょうだい」
「いいよぉ」
そう言いながらお弁当をパクつく。手の込んだお弁当ではないけれど、6人分作るのだ。贅沢は言っていられないし、贅沢を言えば彩也子さんに失礼だ。
「そう言えば千鶴は翔子と最近仲がいいな」
お弁当を食べながら舞子さんがそんなことを言ってきた。
「うん、誤解が解けたと言うか、なんと言うか。まぁ色々あったけど結果オーライでね」
「ふぅん。それでもう呼び捨て、ねぇ」
「それが何か?」
「うちだってさん付けなんて他人行儀な呼び方じゃなくて呼び捨てがいいなぁ」
「そんなもう2ヶ月ずっとそう呼んでるのにいきなり変えられないよ」
「翔子はあっさり変えたのに?」
「それは……」
幼馴染みだとわかったからだ。
でも舞子さんは誠陵館に来てから知り合ったんだから翔子とはぜんぜん違う。
「じゃぁうちも千鶴と深い仲になったら呼び捨てにしてくれるのか?」
「深い仲って言ったって……」
もぐもぐとご飯を食べていると、お弁当をほとんど食べ終わっていた舞子さんはさくらんぼを口に含んだ。
「じゃぁ深い仲になろうぜ……」
舞子さんがさくらんぼを口に含んだまま顔を近付けてくる。
「ひょっ、はひふるひ!?」
「さくらんぼを口移しで食べさせてやるんだよ」
ごくんとご飯を飲み込んで舞子さんから逃げようと仰け反るけれど、何故か羽衣ちゃんがあたしの背中に手を当てて押し留めた。
「羽衣ちゃん!?」
「なんか面白そうだから陣内さんに味方することにした」
笑いを含んだ声で言われて愕然とする。
「羽衣ちゃんは誰の味方なのよー!」
「今は陣内さん」
「裏切り者ー!」
叫んではみても背中には羽衣ちゃん、前からは舞子さんの唇が迫ってくる。
こんなことであたしのファーストキスが……。
そう思いつつも何とか逃げようと顔を動かしたりして舞子さんの唇から逃れようとしたとき、ふと思い出した。
前もこんなふうにキスを迫られたときに翔子が助けてくれて、ファーストキスだって言ったときに怒られたことを。
あれはなんで怒ったのだろうと疑問に思ってたけれど今その理由がわかった。
翔子が引っ越すことが決まって、翔子と離れたくなくて泣いていたあたしは、きっとまた会おうねと言って翔子とキスをしたんだった。
小学1年生か2年生くらいのときのことで、今の今まですっかり忘れていたけれど、あたしのファーストキスの相手は翔子だったのだ。
それを思い出すとファーストキスだからと逃げていたけれど、実はここで舞子さんにキスされてもファーストキスじゃない。
むしろ静音さんが言ったように舞子さんにしてみればカウントされないお遊びのようなものだと思えて覚悟が決まった。
抵抗をやめた途端、舞子さんの唇が重なり、さくらんぼが口の中に入ってくる。
甘酸っぱい味が口の中に広がると同時に舞子さんがすぐに唇を離した。
「なんだ、つまんないの。もっと足掻いてくれないと面白くないじゃん」
「そう言う問題!?」
「うちにとってはそう言う問題。ま、口移しできたから次からは……」
そう言って嫣然と笑った舞子さんにぞくっとする。
キスの次はいったい何が待っているのだろうと思うと想像するだに恐ろしい。
でも舞子さんはもう何事もなかったかのように残りのさくらんぼを食べ始めた。
「ふぅ……」
「なんだ、これで終わり?」
「終わりって羽衣ちゃんは何を期待してたの!?」
「んー、色々」
「お望みならそっちの子にも口移ししてやるぞ?」
「わたしはノーマルなので遠慮しておきます」
「それは残念」
あっさりと引き下がった舞子さんはお弁当を食べ終わって買っていたペットボトルのお茶を飲んだ。
なんか釈然としない。
あたしには色々と迫ってくるクセに羽衣ちゃんには淡白なのはなんでだろう?
舞子さんの真意が掴めなくて、あたしはさくらんぼを食べながらしばらくの間頭を悩ませた。
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