メッキを剥がす酒はミネラルウォーターですか?
安達粒紫
業
「このあいだ、デジタル一眼レフをちょっと気が向いたから買ったのだが、これが使い勝手が良くて…」
らら太は友人の相原の自慢話を浴びながら池袋を歩いて行った。
馴染みの酒屋がある…即ち午後五時以降のJR池袋駅東口から出て、
直線にすれば500mくらいの距離の位置を目指していた。
和民、白木屋、つぼ八、等と言ったフランチャイズと同じくらいの値段で料理を出す、どこか中華料理屋を彷彿とさせる外観の庶民的居酒屋がある。
よって色んな意味で味わい深かった。
「今日はピカソ(当時あったドン・キホーテ系列の店)を覗いてみたいな、いいか?」、「やめときませんか、僕は早く飲みたいです」
らら太は相原に対して学校時代の学年は同じでありながら相手が歳上なため、人生上の規範に則り敬語を使用していた。
相原は生ビールに目がない僕を良く理解している。
すぐに店に向かった。
ーーーーーーー例の庶民的居酒屋の中ーーーーーーー
らら太と相原は、お互い美術作家という特性上、次第に話は、その道へ落ちていった。(関係はないが、その日の店の料理は何故か食指を動かすものではなく、それは両者とも同じ認識だった。話題が尽きかけると…特に毒舌家の相原は酒のアテを罵ったが、らら太も決して人後に落ちなかった。それは普段、値段からは考えられないほど美味であるから、という理由で起きる贅沢病の様なものかも知れない。)
始まった美術談義は特段高尚なものではなかった。が、俗でもなかった。
ただ「当たり前」ではあったかもしれない。
らら太は一応アクリル画を土俵としている。
相原は立体作品、所謂インスタレーションを主戦場としていた。
しかし学生時代の油画科の入試の際、絵を描かなければならなかったため、お互いの共通言語として、やはり、デッサン、油絵は、在ったといえば在った。
時間が経ち午後10時を過ぎても、相変わらず、らら太と相原は、時には活発に、時には陰鬱に議論を交わしていた。
「時には」料理に批判的精神を浴びせることも忘れずに…。しかし、根底には享楽というものがあり…ーーーーが、近くの席に、それこそドスッという音を立てて椅子に座った者があった。それは、デップリ肥えた身体に、無精ひげを生やした無頼漢…季節外れのトレンチコートを羽織り、髪を伸ばして後ろで括っている。そのうえ鳥打帽まで被っていた。という不思議な恰好…さらには不穏な雰囲気さえ方々に放っている、ある種難解な存在…。
男は一升瓶を猪口にそそぎ、舐めるように飲み始めた。
らら太はなにか、こたえるものを感じ、つとめて快活に相原へ、近頃亡くなったアメリカの、写実主義の大家の話を振ってみた。
だが相原は、一転して、ああ、とか、うん、とか答えるだけで表情というものを無くしてしまった。
しまった話題が不味かったやもしれない…と、らら太はすぐさま相手の心理を推察したが、相原も、男にあてられたのか?…らら太は、結果的にそう思わずにいられなかった。
それほど無頼漢の放つオーラがこちらに侵入してきていた。
男に一瞥を加え、逃れるように、らら太は考えていた。これは、カタキ役の寸法に、ぴたりと嵌った仕草や態度…時代劇なら、こんな人物が高い上納金を受け取り濁声で笑うのだろうか、ならば必殺仕事人や大岡越前に成敗されるのか?などと。
全く沈黙してしまった相原を置いて、らら太は、一切を排除したいような心境で通俗的な事を黙考した。
しかし、男の醸し出すものに、いよいよこたえだしたらら太は相方がいるのにも配慮せずiPhoneに入れてあるSpotifyアプリで音楽を…メタルかパンクか何かそういったものを聴き、この場を、この男を、やりすごそうと鞄をまさぐりだした。
「栗ちゃん、久しぶりだね」と、はっきり唐突に相原が口を開いた。
それは、どこか明後日の方角へ響いたに違いなかった…が、男はハッとこちらを向き「これは、どうも相原先生じゃないですかッ。一向に気づかず、すみません。いや、本当にすみませんでした!」ーーーーつまり男も美術人であり、見た目よりずっと若く…とどのつまりは、相原の美術予備校講師時代の教え子らしい。
と、かつての先生を認識するが早いが、その「栗ちゃん」は、上下関係をあからさまに意識しだし、ーーーそれは、後から相原が泥酔しながら語ったところによると、単に学歴主義により導き出された大学ヒエラルキーの高低差からくるものだったーーー彼はビールを相方のジョッキへ注いだりしだした。
どうやら大岡越前か必殺仕事人は相原のようだった。
らら太は美術予備校の元講師にジェスチャーをして、もう退散しようと合図を送った。
ほとんど泥酔漢だが、どこか冷めた態度で「栗ちゃん」と接していた相原は、それを了解した。
ーーーーー店を出てからJR池袋駅へ向かう途中ーーーーーー
らら太の心は沈んだままだった。相原曰くあの無頼漢は、素行が悪いという事らしい。
一例をあげると、よく大学のアトリエに女性を連れ込んでいたとかで学校側から何度も注意をされるようなことを繰り返した挙句、そのうちの一人が身ごもり結婚。下剋上を夢見て海外留学を狙っていたらしいがご破算どころか借金。これに懲りずに浮気、とにかく異性との交友関係が酷く、結果極貧生活に身を堕したと。
…一応それを聞きいた後も、結局らら太は、一層暗澹とした気持ちになった。
生憎、相原の相方は、他人の参事を聞いて、かえって幸せになるなどという精神的な作用は働かない性分だった。
らら太は、そうーーーーなぜ今日に限って自慢話好きで自己顕示欲の強い相原と飲むことにしたか…なぜ今日に限って料理の出来が良くなかったか…なぜ今日に限ってその料理に愛想笑いすらしなかったか…なぜ今日に限って無頼漢が……繰り返される「なぜ」……をずっと考えていたーーーー相原の話す「栗ちゃん」の悪癖に耳を傾け適当に相槌を打ちながら。
らら太は、カルマの生成と解放、表象、前世からの因縁の事など、ある程度酔っ払った頭に浮かんでは消える意味ありげな色々に気を取られながらも、千鳥足の相原を尻目に、そういえば絵仏師、つまり絵師として大成するには僧籍にあらねばならぬ時代があったことなどを思い出していた……。
メッキを剥がす酒はミネラルウォーターですか? 安達粒紫 @tatararara
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