第40話 ロビーでの話 1

◇◇◇◇


 二日後。

 ソフィアは、宇宙港のロビーできょろきょろと視線を彷徨わせていた。


――― あ。いた。


 軍服ばかりの中で、ライトの喪服は随分と目についた。


 軍専用だから基本、軍関係者しかいないのだが、つい数十分前までは、迎えに来た家族たちでロビーはごった替えしていた。三カ月の航海では見ることができなかった私服の老若男女を見て、ソフィアは妙な感慨を覚える。


 なにしろ、航宙母艦には〝老人〟と〝こども〟。それから〝私服〟がなかったのだ。


 たった、数カ月だというのに、世界がまぶしい。


 まだソフィアは外には出ていないが、それでも壁面がガラス張りになっているロビーで、日の光を全身に浴び、そのぬくもりや明度に浄化された気持ちだった。


 いま、ソフィアの数メートル先では、中尉がライトとなにか話をしている。


 中尉はひたすら恐縮し、ライトが、にこやかにうなずいているのが見えた。

 彼が左腕に抱えているのは、人形。セイラだ。


 だが、ソフィアが今まで見てきた人形セイラではない。


 三つ編みをほどき、洗髪された金の髪は緩く波うち、汚れを落とされた顔は白磁のようだ。ぱっちりと開いた目には、髪と同じ色の長いまつげが縁取り、衣装はサテンのワンピースに、真っ白なエプロンドレスを着せられていた。その裾からのぞくのは、編み上げのブーツで、活発そうな彼女には、そのブーツがとても似合っていた。


――― きれいにしてもらったんだ。


 大事そうに抱えられた人形セイラを見ると、ソフィアはなんだかほっとした。


 自分の役目を終え、今からきっと彼女を必要とする誰かの元に行くのだろう。


 そう思うソフィアの先で、中尉が両腕を伸ばす。ライトはそんな彼の腕に、セイラを引き渡した。


 中尉は両腕に抱える人形に目を細めていたが、ライトに何か言われて苦笑した。それから、彼が差し出した大きな紙袋を見やり、改めて人形を左腕に抱えなおす。


 どうやらライトが、『両腕で抱えると、この紙袋が持てませんよ』と言ったのだろう。


 かなり大きな紙袋の中身は、きっと人形への贈り物だろう。

 中尉は四苦八苦しながら、片手に人形、片手に紙袋を持ち、ライトに頭を下げて立ち去って行った。


「ハートさん」


 不意に背後から声をかけられ、ソフィアはジョイスティックを操作して振り返る。

 そこにいた人物が、当初誰だかソフィアには分からなかった。


 酷く痩せた人だ、という認識と、ひょっとしたら病気なのだろうか、との推測ぐらいしかなかった。

 その女と、目が合う。


「ご無沙汰をしています」

 その声でようやく、サイモン・キーンの妻、エマだと気づいた。


――― 別人みたい……。


 相変わらず目の下の隈が濃い。化粧で誤魔化しているが、肌の色も悪い。この三カ月でなにがあったのだ、と思うほどのやつれ具合だが、着ている服は相変わらず値の張りそうなもので、爪も綺麗に春めいた色を施されていた。


「お久しぶりです、ミセス・キーン」

 ソフィアの挨拶に、エマはわずかに睫毛を伏せた。


「今日、お仕事からお戻りになる、と聞いて……。サイモンの声をお届けせねば、と思ってね」


 かすれた声に、宇宙港のアナウンスがかぶる。どうやら出発間際の便があるらしい。搭乗手続きを急かせる内容だった。


「私が宇宙に行っても、サイモンはまだ奥様のところに?」


 ソフィアは見上げた姿勢のまま、わずかに首を傾げた。エマは何度も何度も首を縦に振る。小刻み過ぎて、震えているようだ。


「サイモンは、貴女に伝えてほしいって。『巻き込んですまない』、『悔やみきれない』、『許してほしい』。って」


 痩せてくぼんだ目で、ぎょろりとエマはソフィアを見下ろす。いや、睨みつけているように見えた。


「どうして、貴女は許してあげないの。サイモンを」

 よろめくようにしてソフィアの前に跪く。


 つるりとした宇宙港の床に、ごつ、と膝がぶつかる鈍い音がした。同時に、ぎゅ、と力いっぱいソフィアの手を握ってくる。


「もうずっと、許しを請う彼を、どうしてあんたは……」

「それは、奥様が本当の言葉を私に伝えてないからではないですか?」


 エマの瞳をみつめ、そう尋ねる。途端に鋭い痛みを手に覚え、眉根を寄せた。視線だけ動かすと、エマが自分の手に爪を立てている。


「……どういうこと……」


 ぎゅいぎゅいという、変な音に交じり、エマが吐き捨てる。なんの音だろうと訝るソフィアは、それが彼女の歯ぎしりの音だと気づいた。


「何を言っているの、貴女は……」

「サイモン・キーンは、私に、『自分は、適量の風邪薬を飲んだ』と」


 淡々とソフィアはエマに告げる。彼女の目が限界まで開くのを間近で見た。虹彩が広がり、喘ぐようにエマは短い呼吸を繰り返す。


「サイモンは、貴女に謝りたい、と……」


「ええ、そうなんでしょう。事故を起こしたことを。そして、私を巻き込んだことを、サイモン・キーンは私に謝ってくれているんでしょう。ですが、彼は同時にこうも言っていませんか?」


 ソフィアは腰を折り、間近で彼女の顔を見た。


「自分は、適量の風邪薬を飲んだのだ、と。どうしてこのようなことになったのか、本当にわからない、と」


 声は質量を伴って、確実にエマの身体を打った。びくり、と震えた彼女は反動でまた、ソフィアの甲に爪を立てる。


「私は、サイモン・キーンを許します。これは不幸な事故でした」

 手から伝わる痛みをこらえながら、ソフィアは視線をそらさない。


「あの日、私があの歩道を歩いていたのも、サイモン・キーンが車を運転していたのも。すべて不幸な偶然です。私はサイモン・キーンを恨んではいない。だから、彼は私の前に姿を現さなかった。知っているから。わかっているから。気づいているから。私が、恨んでいない、ということを。だけど」


 瘧に似た震えに全身を支配されたエマに、ソフィアは首を傾げて見せた。


「サイモン・キーンは、『適量の風邪薬を飲んだのに、どうして』と貴女には訴え続けるでしょうね。これからも、ずっと」


「違う!!」


 エマは悲鳴を上げ、立ち上がった。ぎょっとしたように周囲の人間がこちらを見やるが、彼女は気にもしない。よく手入れされた髪をかきむしり、「違う、違う」と首を振る。


「あんたがサイモンを許さないから、彼は消えないのよ!」


 エマの怒声を、ソフィアは淡々とした様子で見上げる。


 いつもなら。

 数か月前なら、きっとソフィアは、うなだれる彼女の肩に手を置き、声をかけたろう。


『奥様もお辛いですね』、『サイモンに伝えてください。私はなんとも思っていない、と』、『どうぞ奥様。もうお気になさらず』、『サイモン。どうぞ、御心安らかに、神の元へ』


 それが、自分の役割だと思っていたから。与えられた役目だとおもっていたから。


 詫びる加害者家族を寛大に許し、慰める被害者。

 それがソフィアの演じる役だと思っていた。


 だが。


「許しを請うのは私ではない。あなたです」


 ソフィアは断じる。


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