第35話 緊急訓練の話 7

「生きていくために、嘘をつく」


 そうだろう。

 アンリは、取憑いた霊を〝生き霊〟だと言った。〝死霊〟だなどと言えば、「では、死霊にとりつかれた理由に心当たりはあるのか」と尋ねられるだろう。


 実は、地上に監禁したまま放置してきた女性がいます、などと言えるわけがない。

 今回のことも、本人としては黙っておきたかったのだろう。


 いくら恐怖に遭遇しようが、辛い目に遭おうが。じっと耐えて誰にも打ち明けなかっただろう。


 だが。

 彼の部屋は四人部屋だった。


 首をしめる女の霊に怯える彼を、同室者は扱いあぐねた。

 結果。

持衰じさいに会いに行け』と、言われた。


 アンリにとって断ることは出来ない。〝被害者〟を演じる自分が、誰かの手助けを拒むのは変だ。


 だから。

 嘘をついてやって来た。


「ライト……」

 ソフィアはジョイスティックを握りしめ、車いすを転換させた。膝に人形を乗せたまま、ライトと向かい合う。


「彼女を、助けてあげてください」


 まっすぐに彼をみつめた。目に焼き付いているのは、『助けて』という文字。ぎゅっとソフィアは膝の上の人形を強く抱く。そうだ、といまさらながら思った。


 あの女性。

 ナターシャという名の亡霊は、A705の女と違い、自分に危害を加えようとはしなかった。気づいてほしくて髪を引っ張ったり、視界に入ってきたりはしたが、アンリがそうされたように、首を絞めたりはしなかった。


 膝立ちになり、倒れ込んだ時も、よく考えてみれば、両腕を下げて自分に近づいてきた。


 あれは。

 倒れ込む、というより、抱き着いてこようとしたのではないだろうか。


 だとしたら。

 きっと、彼女は誰かに救いを求めているのだ。

 自分の姿を見、自分の無念を知る人に。


「ソフィア。僕と、それからセイラはこの艦の持衰なんだ」


 ライトは静かにソフィアに告げる。小さな息をひとつ吐くと、床に膝をついて彼女と目線を同じにした。


「この艦に害を及ぼすものなら、いくらでも排除するよ」


 ライトは、ソフィアの膝の上から人形を抱き上げると、口角を上げて笑って見せる。


「例えばそうだな」

 ライトはソフィアを見つめたまま、目を細めた。


「電気員が言っていた、配電盤から伸びる腕の話を覚えているかい?」


 ソフィアはおずおずと頷く。

 覚えている。エラー表示が出るから確認をしに行けば、配電盤から腕が伸びてきて、スイッチを操作するのだ。慌てて逃げようとした彼は、網膜認証装置にも驚かされたのではなかったか。


「あんなのがしょっちゅう続けば、艦のシステム全体に影響が及ぶだろう? だから、持衰は、排除した。戦闘機乗りの少尉も同じだ。彼だけにとどまらず、艦内すべての戦闘機乗りに、『落ちろ』と言い続けられたらたまらない。だから、その間際で持衰が排除した」


 ライトは次々と、自分と持衰が〝屠った〟怪異について語る。

 淡々と、緩やかに。


 だけど。

 どこか冷淡に、そして突き放すように。


「僕と、それから持衰の役割というのは、この艦を無事、地上に戻すことだ」

 ライトは肩を竦め、冷ややかに告げる。


「哀れな亡霊を救ってやることでも、監禁致死の男を断罪することでもない」


「でも、目の前でいま、困っている人がいるのよ!?」


 ソフィアは膝の上で拳を握った。

 ライトの言うこともわかる。自分たちは、自分たちの任務を遂行しているだけだ、と言いたいのだろう。ナターシャの件はそうではない、と。


 これはあくまで、アンリの素行が招いた結果なのだ、と。


 だが。

 ソフィアはぐい、と顎を引いた。


 救いを求めている、という点では「相談に来た」兵員と同じなのではないか。


 それがただ、生者からの相談なのか、死者からの相談なのかが違うだけで。

 困り果て、苦しんでいることに違いがないのであれば、手を貸してやろうと思うのが人情ではないのか。


「可哀そうに……。監禁されて、そのままで……。きっとものすごい恐怖だったでしょうに」


「そんなことは、僕には関係ない」


 戸惑うように言うライトに、ソフィアは一瞬呆気にとられる。


 出会った時から、随分と多面体な姿を持つ男だな、と思っていたが。


 多面体なのではない。

 この男と自分は価値観が違うのだ。

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