第36話 緊急訓練の話 8
「そりゃ、アンリさんとナターシャさんのことは、私だって関係がないけれど!」
思わず怒鳴り、それから気圧されたような表情のライトを見て、ソフィアは咳ばらいをする。
おちつけ、おちつけ。何度も呪文のように自分に言い聞かせた。
「でも、助けを求めているんですよ?」
できるだけ柔らかくそう言ってみるが、ライトは長いまつげをぱちぱちと二三度ゆすらすと、首を右にかたむけた。
「当初は、そうじゃなかった。彼女は、アンリをとり殺そうとしていた」
「そうだったかもしれないけど、途中から私のところに来たじゃない!」
「それは、君が聞く耳を持ったからだ」
ライトは心底意味が解らない、と言いたげにため息をつく。
「いいかい、ソフィア。さっきも言ったけど、生きている人間は嘘をつく。でも、死んだ人間の言葉は聞くな。聞いても助けられないからだ。かなえられない」
「どうして!」
ソフィアは瞳に怒りの炎を宿らせて、ライトの言葉をはねつけた。ソフィアはきつく拳を握り込む。
なぜこの男は、助けてやらないのだ。自分には力があるのに。霊を視、霊の声を聞きくことができるというのに。
「ナターシャさんと話をしてみてよ! せめて、彼女の身体をみつけてあげて!」
閉じ込められ、命を奪われ、そのまま放置されたナターシャ。
『助けて』
そう訴えたナターシャ。
せめて、彼女の遺体を親族なり、友人たちの元に返してやりたい。
「ナターシャは、『助けて』と、言ったんだ」
ライトは言い聞かせるように、語気を強めた。
「そんなことはできない」
「どうして!」
平行線だと思いつつ、ソフィアは声を荒げる。
「どうしてそんなに割り切れるの? 困ってるのよ!? 知らない人に『助けて』って訴えるぐらい、辛い目にあってるのに……」
だが、ソフィアの語尾は潰える。
目の前にいるライトの表情を見て、「言っても仕方がない」と胸から沸き起こる感情を飲み込んだ。
ライトは、困惑したように自分をみつめている。彼が腕に抱えている人形もそうだ。揺れなど感じないのに、瞬きをゆっくりと繰り返す。まるで、ソフィアを心配するように。
「……ごめんなさい」
ソフィアは呟く。胸にくすぶる感情が、その声を焦がしたせいで、随分かすれた。
言っても、仕方のないことを自分は言っているのだろう。
ゆるり、とうつむいてまつげを伏せた。ライトの目も、人形のガラス細工の目さえ気になる。
自分は又〝求められた役割〟以上のことをしようとしたのだ。
ソフィアは握りしめた拳を緩め、ジョイスティックに伸ばす。予想以上に握りしめていたのか。手を開くと、小刻みに震えていた。
「今日はありがとう。ひとりでいるよりは安心できました」
ソフィアは顔を上げ、それでも必死に笑顔をとりつくろった。
演習中、不安でなかったことは確かだ。そのことについては礼を言わねば。
車いすを操作し、扉に向かう。足早にライトが先回りした。
「あの、ソフィア……」
戸惑いながら、ライトが声をかける。
「なんですか」
短く問うと、彼が抱える人形と目が合った。不思議だと思う。どうして、物言わぬ人形まで、こんなに気づかわしそうな顔をするのだろう。
そして。
人形に心配されるほど、自分はひどい顔をしているのだろうか。
「霊は単純だ。自分の心に正直だし、ある意味、欲求しかない」
ライトは静かに語りかける。
「嘘をつくことも、たまにあるけど……。巧妙でも悪質でも無い。だからね、ソフィア」
名前を呼ばれ、ソフィアは二度、まばたきをする。
「生者と死者の言葉が並べられたら、死者の言葉を聞いた方が良い」
ライトは彼女に告げた。
「サイモン・キーンは言っている。『自分は、適量の風邪薬を飲んだ』と」
ソフィアは。
無意味に顔を上げたまま。
ただただ。
唖然とライトの言葉を聞いた。
「サイモン・キーンは、君にそのことを伝えたがっていた。『自分は、適量の風邪薬を飲んだのだ』と」
彼の指が伸び、そっとソフィアの頭にふれる。その指は頭を滑り、頬を包んだ。腰を曲げ、ライトは顔を近づけてくる。
「それが真実だ。揺さぶられるな。君が霊のために何かしたい、とおもうのなら」
ソフィアの耳元で、ライトは囁いた。
「サイモン・キーンの言葉を信じてやってほしい」
彼の呼気が耳朶を撫で、鼓膜を震わせる。彼から吹き込まれたいくつもの言葉が胸に充満し、ソフィアは無言のまま、目を見開いていた。
「おやすみ、ソフィア」
ライトがジョイスティックに軽く触れた。車いすが緩やかに前進するに及び、ようやくソフィアは意識を覚醒させ、呟くように応じた。
「おやすみ、ライト」
扉が開かれ、ソフィアは営倉から出た。
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