第33話 緊急訓練の話 5

「すごいな。訓練でコレか」


 ライトはソフィアから腕を解くと、感嘆の声を上げて立ち上がる。まだ艦は小刻みに揺れているが、大きな衝撃はない。ただ、アナウンスは引き続き室内に流れてくる。


「被害状況甚大。二階隔壁AからCを閉じます。在室する兵員は撤退せよ。繰り返す。六〇秒後に、二階隔壁AからCを閉鎖。兵員は撤退」


 その後、アナウンスは、もし逃げ遅れた場合は、耐圧スーツとヘルメットを着用後、カラビナを船体のどこかにつなげ、と指示を出している。


 ソフィアはそのアナウンスを聞きながら、徐々に体から熱が放出されていく。ライトを意識している、と感じさせるのは嫌だったので、顔のほてりが引いていくのは嬉しいことなのだが。


 同時に心から沸き上がるのは。


――― これ、訓練だよね……。


 その思いだ。

 やけにリアルなのだ。


 合成音声は次に、作業員に対して、隔壁を溶接するように命じている。

 宇宙という真空状態で、残りのクルーを守るためには必要なのかも知れないが、「逃げ遅れた人がいたらどうするのだ」という思いが、ソフィアをぞっとさせた。

 怪我をした。逃げられない状況に陥った。作業を優先させた。


 その結果。

 結局、切り捨てられるのだ、と。


「二階がやられたんなら、船底にあるうちなんて、宇宙の藻屑だね」


 ぽんぽん、と頭に何かが触れたと思ったら、ライトだ。

 ソフィアから手鏡を取り上げると、ゆったりと笑ってみせる。


「訓練だよ。大丈夫。艦は攻撃されていない」


 余程自分は怯えた顔をしていたのだろうか。ソフィアはぎこちなく笑うと、自分の指を組み合わせた。そうだ、訓練なのだ。落ち着こう。


 そう思って、ふと苦笑する。ライトに、「訓練中、一緒にいよう」と言って貰って良かった。ひとりだときっと不安で、結局艦内を彷徨い出て怪我をするか、迷惑をかけていたかもしれない。


「何か飲む?」


 ライトは尋ねてソフィアに背を向ける。ソフィアの意見を聞いておきながらも、「何か飲ませよう」とは思っているらしい。「はい」と返事をするまでに、ライトは手鏡を片付け、パウチされた飲料を持って戻ってきた。


「さっきの泣きぼくろの女の話だけど……」


 ライトは左腕に人形を抱えたまま、右手でソフィアにパウチ飲料を差し出す。大人しく受け取り、ソフィアはうなずく。ライトは封を切って飲み口に唇を寄せながら、ソフィアを見下ろした。


「助けて、って言ったわけだよね」


 ソフィアも同じようにパウチ飲料の飲み口を口に含んだ。パッケージを見なかったが、どうやらリンゴ味のようだ。甘酸っぱい香りが口から鼻に抜けた。


「そう、読み取れました」

「綴はそのままだよね? 特に並べ替えがあったとか……」


「ないです」


 ソフィアは驚いて目を見開く。ちゃんと、文章として成り立つことがそこに書いてあった。


「でも、どうして私のところに……? アンリさんの所に行けば良いのに」


 ソフィアにはどちらかというと、文章内容より、そちらが気になる。


 何故。

 執着対象のアンリの所に行かないのだ。

 不満げにそう思ったが、「あ」と小さく声を上げた。


「今、訓練で忙しいから?」

 正解を求めてライトを見たら、噴きだして笑われた。


「ちょ……、やめてよ」

 ライトはソフィアから背を背け、喪服の袖口で口元を拭っている。どうやら、パウチ飲料を少々噴きだしたらしい。


「多分、だけど」

 ライトは、それでもまだくつくつと笑いの余韻を残して振り返る。


「サイモン・キーンが関わっていると思う」


「サイモン・キーン!?」 

 予想しない名前に、ソフィアは目を丸くする。


「ほら、彼が君に告げたがっていただろう?」


 ライトは、ちう、と音を立てて飲料を飲むと、腰を折ってソフィアに顔を近づけた。ふわり、と彼の呼気からもりんごの香りがする。


「君も、彼の声を聞きたがっていた。というか、とてもサイモン・キーンを気にしていたからね」

 ソフィアの双眸をみつめ、ライトは穏やかに微笑んだ。


「以前、サイモン・キーンの言葉を君に伝えようとしたときがあったろう? あの時、邪魔し続けてた、っていうか……。『こっちの話を聞いて』と妨害してきてたのが、あの女だし……」

 ライトは、ふふ、と小さく笑った。


「君に話を聞いて欲しかったんだろう。人気者だな、君は。誰に対してもオープンチャンネルなのに、受信機がうまく作動しないとはね」


「……私自身は、サイモン・キーンの声以外、聞きたいと思いませんけど」


 口をへの字に曲げてソフィアはそう言ったものの、それでもあの、「助けて」の文字を見た直後は、「どうすればいいの?」と思ったことは確かだ。


「総員に告ぐ。敵艦再接近。機首を上げる。足場を確保せよ」


 では、彼女はどうして欲しいのだろう。そう尋ねようと口を開いたソフィアは、だが、合成音声のアナウンスに声を飲み込んだ。


「軍靴の電磁石作動。必要とあればカラビナを使用せよ。機首を二十度浮上予定。敵艦上部を抜け、回避後、敵艦尾につく」


 ライトが手に持っていた飲料パウチを椅子に向かって放り、人形をソフィアの膝の上に乗せた。


「え……?」


 戸惑っている隙に、ライトの軍靴も電磁石が作動したらしい。彼は、がちり、がちりと重い足音をたてながら、車いすの背後に回る。


「艦が斜めになる。気を付けて」


 首だけねじって振り返ると、ライトが車いすのグリップを後ろから握って支えてくれているらしい。床に固定しているとはいえ、斜度によって車いすが不用意に動くことを危ぶんでくれているのかも知れない。


「機首、上昇開始」


 アナウンス後、ライトが言う通り、床が傾斜していく。


 さっき、ライトが椅子の座面に放ったパウチ飲料がその角度に負けて床に落ちる。自分の膝の上に置いていたパウチもそうだ。床に転がり落ちて、壁まで移動する。驚いて見遣った机の上の持衰への贈り物は、すべて接着剤で固定されているため、揺らぎもしない。接地した家具の全てが、この角度に耐えていた。 


 ソフィア自身も、多少前屈みになっていないと、すぐに車いすのシートにもたれかかりそうだ。人形を前抱きにして、腰に力を入れると、ライトが背後から話しかけてくる。


「アンリのあの写真、おかしいとおもわなかった?」


「へ?」

 思わず振り返ると、ライトと目が合う。


「僕、彼女の写真を見せて欲しい、って言ったんだよ」


 ソフィアはおずおずと頷く。ライトの語尾に、アナウンスの「十度上昇。続いて、十三度」という言葉に驚いた。まだ、これで十三度か。


「普通さ。恋人の写真って、ひとりで写ってる?」

 ライトはソフィアに苦笑いしてみせた。


「いや、そりゃ……。こう、『撮ってあげる』って言ったんじゃないですか?」


 ソフィアの同僚にも、写真に撮られることが大嫌いな人間がいる。

 だから、恋人と一緒の写真というのは一枚も無いのだそうだ。


 だけど、写真を撮ることは好きらしく、旅行に行けば彼女の写真を携帯端末におさめたり、美味しそうな料理を一緒に食べる前には、彼女を入れた写真を撮り、SNSでアップしたりしている。


 そのことをライトに伝えると、くすり、とライトは笑う。


「そんな写真に見えた? あれ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る