十一 苺ジャム
「とは、言うものの、本当の所は分かりません」
急に回りが明るくなる。先程までとは打って変わって空気が緩まる。
「だってそうでしょう、人だって自分たちが何処から来て何処に向かうのか、正確に答えれる人なんていないんですから、私達にだけ存在を証明しろだなんて、土台無理な話です」
先程までの妖艶で、容易に心を捕まれそうな雰囲気は消え、湯呑からの湯気で丸眼鏡が曇る、なんとも微笑ましく思える、小白に戻っていた。その姿を見て、思わず吹き出してしまう。
『怪異』を操る物。
「だったらあの家は、何だったんですか?」
「そうですね…」
湯呑を持ったまま、少し上を見る。
「あの、私あれから少し妖怪…妖かしですか、に、ついて調べたんです。あの家はマヨイガと言う物なんでしょうか?」
「マヨイガですか、なるほど。確かに人を惑わし、招き入れる所は似ていますが、ただ、マヨイガは招き入れはしますが、人を襲ったりはしません」
「だったらなんだったんですか?」
「そうですね、私が調べた所、あれは逆柱が住む家だったんじゃないかと思っています」
逆柱。確かにあの部屋で見た柱は独特の気配があった。
「但し、逆柱も人を直接襲ったりはしません。なぜ、人を襲ったりしたのか、あの黒い人の影のような物はなんだったのか。調べようと思っていたのですが、調べる前に家は崩壊してしまったので。逆柱には手を出さないで、と伝えたつもりだったんですが」
あの時、小白と引き離された時、確かに「さかば」と言っていた。あれは逆柱の事だったんだ。
卓上の茶請けのおかきが気になるのか、先程から突いたり、匂いを嗅いだりしていたが、ようやくちょびちょびぽりぽり食べ始めたあおに、二人の視線が集まる。
「なんだよ…」
不可抗力とはいえ、あの家を壊してしまったのは自分達だ。なんともバツが悪い。
「…すいません」
「いえいえ、謝ることは有りませんよ。些細なことです、それよりも」
「痛、いたたたた!」
あおの頭に、不用意に生えた耳を摘む小白。
「なにしやがる」
慌てて振り払い、耳を手で隠す。
「どうしてあおさんが、突然妖かしになったのか、今の所はよく分かりません。ただ、まだ『化ける』ことに慣れていないのか、気を抜くとこの通りです」
何事も無かったかのように、お茶を啜る小白。
「このままでは、いずれどこかで誰かに気が付かれるかもしれません」
妖かしになったあお。誰しもが受け入れてくれるとは考えにくい。
「あの、どうすれば」
ハッキリ言って紬には、どうすればいいか見当も付かない。小白をじっと見つめると、少し間があって、
「そうですね。紬さん、私にあおさんを預けてくれませんか?」
「え?それはどういう事ですか」
小白さんがあおを預かる。あおを何処かに連れて行ってしまうのだろうか。あおが居なくなる。心に不安が波紋のように広がる。
「ご心配なく。何処かに連れて行く気はありませんよ」
まるで心を読まれたかの様に、優しくそう告げられる。良かった。でも、それならどうするのか。小白はゆっくりと二人を見て続けた。
「春明堂を再開しようと思います」
春明堂を再開?言葉の意味が理解出来ず、紬の目は点になっていた。
「あの、それはいったい?」
「あおさんをこのままには出来ません。かと言って、紬さんからも引き離すつもりもありません。ならいっそ、ここに二人で住んでしまおうかと。幸いここには
ここに小白さんが住む。この春明堂に。
思っても見なかった回答に、再度目が点になる。
でも。
「そうですね、いいですね。うん、いいと思います」
声の調子を上げ答える紬に、にっこり笑顔で返す。
「先のことは分かりませんが、あの黒い人影は何なのか、あおさんはどうして妖かしになったのか、その辺りから調べる直すつもりです」
黒い人影。いま思い出しても、胸をぐっと掴まれるような嫌な感じを、余韻で思い出す。
「さて、あおさんは人として社会に紛れ込まなければなりません。そこで、名前が必要になってきます」
「名前?あお、じゃ駄目なんですか?」
「勿論、問題ありません、名前は。ただ、より紛れ込むためには、名字が必要です」
なるほど、確かにそうだ。
「そこで、あおさん。貴方は今日から、
「月代蒼。それって…」
「はい、ここに一緒に住むわけですから、不自然にならないように、私の弟になってもらいます」
あおが小白さんの弟になる。なんとも不思議な感じがする。
「忙しくなりそうですね」
まるで、良いイタズラを思いついたような、企みのある笑顔を浮かべる小白。
「あの、私もお手伝いしに、来てもいいですか?」
「勿論、大歓迎ですよ」
これから毎日、小白さんに会えると思うと、なんだか顔がニヤけてしまう。
「蒼もよろしくね」
先程からまるで、他人ごとのように聞いている蒼に向き直り、改めて挨拶する。
「おう」
状況が分かったのか分からないのか、なぜか得意気だ。
「細かい所は追々決めるとして。他に質問はありますか?」
先生みたいな口調に、思わず笑ってしまう。この人は不自然な人だと改めて思う。
「あの、ひとついいですか?」
「なんですか」
「あの時、小白さんと引き離されたその後、どうやって、私達の居場所が分かったんですか?まるで迷路みたいな家だったのに」
そう、あの時、何処からともなく現れて、私を助けてくれた。でもどうして居場所が分かったのか、あんなにも異質で怪奇な場所だったのに。
「苺の匂いですよ」
「苺の匂い?」
「はい、紬さんからした、甘い苺ジャムの匂いが、居場所を教えてくれました」
そう言うと、陽だまりのように優しく微笑んだ。
こりつきにけり【狐狸憑きにけり】 三夏ふみ @BUNZI
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