こりつきにけり【狐狸憑きにけり】
三夏ふみ
前口上
暗闇に登る月が、琥珀色から鮮やかな
そして何処からとも無く現れた暗雲を、その巨大な目が吸い込み、そこから逆再生のように暗雲が吹き出し
暗雲がみるみる骨格を形作ると、音無き咆哮を上げ大地を揺るがす。吹き出す暗雲は勢いを増し、果てなく広がっていく。黒に蝕まれゆく空の下では、魑魅魍魎が地の底から無限に這い出し、虚ろに迫って来る。
青い瞳をした青年が、その変わりゆく世界の様をじっと睨みつける。風に吹かれるその髪は短く白い、頭の上には先が尖った耳があり、腰と臀部の間からは生える尻尾は二又に分かれている。猫又、その容姿は古来からそう呼ばれる妖怪のそれだ。ぐっと堪える口元、腰に
なにもできなかった自分。
ただ、見つめる。
眼下に広がる光景は、まるで…
「まるで地獄の蓋が開いたみたいやな」
猫又の右隣に佇む褐色の肌に金髪の、六尺は越えるであろう大男が、その言葉とは裏腹に緩んだ口元から牙を覗かせ、さも楽しげに笑みを浮かべる。
「あながち、冗談ではないかも知れません。黄泉への門が開いたようです」
青年を挟んで左隣、吸い込まれそうな琥珀色の瞳に、長い銀髪の細面で華奢な体に毛並みのいい尻尾がある、これまた背の高い男が、澄ました顔で告げる。
「なら、間に合わんかった言うことやないかい。なんや、けったい話やな。そもそも鵺の奴が、つい取ったちゃうんかいな」
大斧を肩に担ぎ、もう片方の手で掻く頭の額には、1本の角が見える。
「ほんま、次から次へと厄介事を起こしてくれるわ、嬢ちゃんは」
「紬は悪くない!」
右隣には黒鬼、左隣には妖狐。二人に挟まれた猫又が吠える。
「なんや小僧、わしは本当の事言うたまでや」
互いに引かず、睨み合う二人。
「大体、お前がちゃんとしとらんから、こないな事になっとるんちゃうんか、なにが「紬は俺が守る!」だ、笑かしよるわ」
図星を点かれのか、猫又は下唇を噛み俯く。
「なんやもう言い返せんのか、ほんま情けないやっちゃな」
「だまれ!だまれ!だまれ!」
そう言うと今一度、空に現れた巨大な髑髏を睨みつける。その青い瞳には、もう迷いはない。
「紬は俺が助ける!そこで見てろ!」
そう言うと、勢い良く断崖から踊り出る。
『怪異…』
そう言い放つと、あっという間に崖下に小さくなっていく。
「上手く乗せましたね」
二人のやり取りを、涼しげな眼差しで終始見ていた妖狐が、にこやかに言う。
「かかか、なんの事やら」
そう言われ、大斧を肩に担ぎ、両腕を引っ掛けながら、わざとらしく笑う。
眼下には、溢れかえる死霊の群れに、巨大な髑髏が畏怖を振りまきながら向かってくる。
「なんや、そうは言うても弟分が心配か?」
琥珀色の瞳で遠くを見つめる姿に、悪ガキのように問いかける。
「心配だなんて。そもそも弟分でも有りませんし。
「ただ、なんや?」
「いえ、何でもありません」
「なんや歯切れがわるいのぉ」
それには答えず、薄っすら微笑む妖狐。
黒鬼はじっと目を見据える、琥珀色の瞳の奥の真意を探るように、そして。
「おい、化け狐。お前の腹積もりがなんや知らんけど。わしはお前の駒になった覚えは、さらさらないで」
肩に担いでいた大斧を、弾くように半回転させ、妖狐の首元に突き付け、睨みつける眼光は鋭く、殺気すら感じさせる。
「ただ、嬢ちゃんには。百万回死んでも返せん、ちょったした借りがあるだけやからな」
「ええ、わかってますとも」
雄叫びを上げ、死の行進を止める気配のない、大髑髏と死霊の群れを目の前に、二人は睨み合う。
「まぁええわ」
そう言い、突き付けた大斧を一回転させ下ろすと、地面に付き立てる。
「そういえば、鞍馬の奴どないしたんや?見当たらんようやけど」
さっきとは打って変わって、キョロキョロとわざとらしく額に手を当て、辺りを見渡す黒鬼。
「ああ、鞍馬さんなら、援軍を呼びに行くと言って、早々に何処かへ飛んでいきましたよ」
「なんやて!あの、すっとこどっこい。マイペースにも程があるで」
「相棒が居ないと不安ですか?」
「相棒ちゃうわい!あぁー、どいつもこいつも」
「あ、それと…」
「なんや、まだなんやあるんかいな」
「鞍馬さんから伝言で「戻るまで任せた」だそうです」
「…ほんま、どいつもこいつも」
そう呟くと、後頭部を掻く仕草を見せる。
『怪異、武蔵坊!』
黒鬼が正面に見開き力強く呟くと、褐色の肌がみるみる赤黒い鉄色に変わる。体つきもより屈強になり、まるで焼ける鉄の塊だ。
「ほな、ひと暴れして来るか!」
首を左右に一度鳴らすと大斧を片手に、崖下に勢いよく飛び出し消えていった。
「さて…」
黄泉の門が開いたとなると、彼女が気が付いたかも
しれない。
片手を肘に、もう片方は顎に当て、思考を巡らせる。目の前に広がる、この世のものとは思えない光景は、一切目に入ってはいない。
「じゃかましいわ!ぼけ!」
「なんだと!」
不意に風に乗って、聞き覚えのある声がする。声のする方に目をやると、先程まで押し寄せる亡者達を相手に、大立ち回りをしていた筈の二人が、どこでどうなったか、いつもの小競り合いが始まっていた。
「やれやれ…」
その光景を見て妖狐は、額に手を当て呆れ果てている。
「仕方ないですね」
そう呟くと、ふわりと崖下に消えてた。
頭上では決戦の赤い月が、死霊の群れと立ち回る妖かし達を、煌々と照らし出している。
死霊の群れが湧き出るその中心で、少女が鈴を両手に握りしめ、祈るように両目を瞑る。
「健気だねぇ。どうせここまでは、誰もたどり着けやしないよ」
黒く艷やかな毛並みの大狐が、耳元まで裂けた真っ赤な口でニタリと笑う。
だが、少女は動じない。
なぜなら彼女は知っている。
どんなに不可能と思われる状況でも、あの人達なら、必ずなんとかしてしまう、と。
今までもそうだった、あの日、私を助けてくれた、あの時から。
そう、あの夜も、
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