神の使いは目立たず平穏な学園生活を送りたい。~神に最強を約束されているハズなのに、変人たちに囲まれるせいで理想の学園生活を送れないんですが?~

和橋

0章 前日譚 

第0話 とある貴族の最後


 神の使いが死んだ。


 その衝撃的なニュースは光よりも早く全世界に伝わった。その死を惜しむ者もおれば、喜びに顔を震わせる者もいる。

 

 そして、すぐに生まれると言われる次の使いを排除しようとする者も——。

 



「——早くっ!! 早くしろニーナ!!」


 屋敷には怒号と血液が飛び交う。豪勢なカーペットや廊下に点在する芸術品は、血しぶきにまみれてその煌びやかさをを失っている。


「待って、この子をどうするの!?」


 間に合わない。そうわかっているからこそ出る言葉。


 ニーナは顔をこれでもかというほどに歪め、その端正な顔つきは見る影もない。


「どうするも何も、連れて逃げるしかないだろう!?」


 一度会話二人がかわすたびに、耳を劈くほどの断末魔が屋敷の壁を蹴ってニーナたちに届く。


 マキシムが後ろを振り返ると何十人も居たであろう使用人たちの血しぶきがかかったマントを纏う、全身を包んだ数人が視界に入る。


「くそっ、間に合わない、か」


 身を挺して時間を稼いでくれた使用人たちに心の中でマキシムは頭を下げながら、いつ振りかの魔法を思い出す。


「ニーナ、一人で逃げろ。俺が食い止める」


 魔法の腕は使用人たちよりも多少腕が立つとはいえ、戦闘のプロからしてみれば蟻とダンゴムシ程度の差でしかない。


「そんなっ! いやよ! あなたも一緒に——」


「だめだ。俺たちはその子のために生き、その子のために死ななければならないんだ。それが定めなんだ。それが神の子、いや、神の使いを生んだ僕たちの使命だ」


 マキシムはニーナに向けていたやさしさにあふれる視線をたっぷりと送り、ニーナの瞳から涙が零れ落ちる前に踵を返す。


「そう泣かないでくれニーナ」


 瞳から熱い何かが零れ落ちてくるが、きっと何かの勘違いだろう。


「君といられて幸せだった。その子を、私たちの子を頼んだよ」


「うぅっ」


 嗚咽とともに遠ざかる駆けていく足音。止まらない謎の液体のせいでぼやける視界を拭い、詠唱を唱える。


「まぁ、魔法はあの子に任せるとするか。偉大なる大地よ。この私めに偉大なる神力を。中級魔法、土壁」


 想定していたよりも黒づくめの集団が近づいていた。自分にしては早い完成だったのだが、それでも一刻の猶予すら与えまいと前のめりに信じられないスピードで突っ込んできていた。こんなことなら学生の時にもっとまじめにやっていればよかったと後悔をするが、それは今更というものだ。


 見ることのないわが子の将来に胸を馳せながらありったけの魔力を注いで作った、自分の魔法史上大傑作とも呼べる代物が目の前の廊下を塞ぎつくす。


「さて、これで何秒稼げるのか……って、もうか」


 最高傑作のはずの土壁には雷のようなヒビが全体に走り、もうすでに崩れ落ちそうになっている。命を懸けて逃げる時間を引き延ばせるのがたった数分程度なんて。情けない。今思えば俺の魔法の才は全部あの子に吸い取られてしまったのかもしれないな、なんてことを考えながら魔力が尽き、力の入らない体を重力に身を任せる。


 朦朧とする意識の中、ついに土壁は木っ端微塵になり、黒づくめの衣装を風に揺らす者たちは、すれ違いざま、あくまでついでかのようにマキシムの首筋を滑らかにナイフで切り込む。


「さよならわが子よ。気高く、生き——」

 


「はぁっ、はぁっ!」


 腕に抱えるのは純白の布を纏った愛する我が子。こんな事態であってもきっと安らかに目を瞑って母の熱すぎる温もりをその身すべてに感じ取っているのであろう。

 ぽつり、ぽつりと我が子に降りかかる雫。雨は……降っていてもここは橋の下。雨漏りなんてするわけがない。

 ニーナは自分の顔を指でなぞると、あろうことかありえないほどの発汗。

 

 あぁ、きっと使いすぎたのだ。初めての体験にニーナは、魔力不足とはこんなものなのかとを身に染みて感じる。

 しかし、それもその筈。ニーナは平民よりも魔法に優れるといわれる貴族の出とはいえ、蓋を開ければ平民に毛が生えた程度。そんな彼女が逃げるために風魔法、『空走』を限界まで連発していればそうなることは火を見るよりも明らか。


 先ほどからも我が子を持つ腕にすら力が入らなくなってきている。

 

 ただでさえ今日は雲の合間を縫うようにしか届かない月光は、日中でも薄暗い橋の下に届くわけもなく。ニーナは暗闇とその弱弱しい温もりを帯びた布に、背中を合わせる冷たい岩の壁しか感じ取れない。

 

 いつの間にか足の力が抜け、瞼さえも開けられない。しかし、愛の力というべきか、腕の力だけは朧げな意識の中でも緩めない。


 薄々、ここがきっと自分の最後なのだろうとニーナは察しながらも考えが過る。

 どうしてこんなことになってしまったのか、と——。





 時間は少しばかり流れ、暗闇に吹く木枯らしは、熱を発しなくなった母の体温を緩やかに吸い取っていく。


 それを察したかのように日が路を照らす。しかし、永久凍土のように冷めた地面に温もりを授けるにはまだ幾分足りないようだ。


 そんな中、修道女のマキシー・ルイフェンは寒さに身を捩りながら、朝の日課の散歩をしていた。自分が経営する孤児院を出て、狭い路地を抜けると、左右に道が現れる。左はスラム街に、右は小さな橋が架かっており、その先には中流階級の住居や、そのまだ先には上流階級、いわゆる貴族の屋敷がいくつかある。


 普段なら、捨てられた赤子や自立できない幼子を孤児院に連れていき、助けるためにスラム街に赴くのだが、今日ばかりは何故か、右の小さな橋に引き寄せられた。


 それは気まぐれか、はたまた運命か。マキシーの頭の中には、いるかもしれない助けるべき命の存在は神隠しされたように消えていた。そして、なぜだかぼやがかった頭のまま、数歩進み、橋のちょうど頂点——この小さな橋では二メートルほど先——に差し掛かったところで朝日が露見しだす。橋に差し込む強い光にマキシーは目を細めると、それと同時に刺すような冷たさの風が細めた目に突き刺さる。


「うっ」


 目を細め、うめき声を上げると、防寒対策にもなっている帽子が我慢ならないといった調子で風に乗ってゆく。優雅に揺れた帽子は少しすると、ぱたりと橋の下の川の両端にある地面に力なく横たわる。


 はぁ、とマキシーはため息をつきながら魔法術式を展開し、三メートルほど先の帽子の落下地点まで風の中級魔法『空走』を使い、修道服の裾を風になびかせながら優雅にも感じられる仕草で軽やかに下に落下してゆく。


 『空走』を使った影響で再び逃げるように帽子が後ろに逃げて、橋の下に隠れる。


「もう、今日はついていない」


 『空走』を解除し、マキシーはくるりと体を半回転させる。


 目の前に広がるのは予想よりも広く暗い闇に少し腰が引けたが、幸運にも朝日が照らす光と影の狭間に帽子は落ちていた。


 さっさと取ってしまおうと、急ぎ足で帽子に近づいて腰を屈める。掴んだ帽子をはたいてホコリを落とす。


 ぱっぱっぱっ、とはたく音が橋下に不気味に響く。あまりの不気味さに、早く上がってしまおうと、魔法を展開しようとしたその瞬間。


 橋が作り出す、あちら側の光と闇の境目。光が照らすぎりぎりの場所の一点だけが、眩く光輝いていた。


 鏡で太陽の光を反射させたときのような眩しさに、不安に細めていた目を、さらに糸のように細める。


 マキシーは頭を光の射線からずらし、光源を覗く。


 最初は放浪者が橋の下でのたれ死んでいるのかと思ったが、数メートル先にある手は、放浪者の者とは思えないほどきれいな手をしていた。


(女性……?)


 そう気づいた途端、マキシーの頭からは恐怖が抜け落ち、それとすり替わるように好奇心が据え置かれていた。


 一歩、二歩、と近づくにつれて好奇心が心臓を急かす。そして、心臓が最大心拍数を記録しようとしたとき。


 マキシーは目を疑う。


 えらく整った顔の美女が、布を抱いて眠っていた。こんな薄暗い橋の下で?


 マキシ―は嫌な予感を感じ取り、すぐさま「大丈夫ですか?」と声をかけるが、返事はない。


 軽くゆすろうとマキシーが肩を掴む。しかし、すぐさま手を自分のほうへと戻す。


 薄暗い中、自分の手を見る。何かの間違いではないのだろうか。そう思ってしまうほどに、目の前にいる人の体は冷たかった。濡れた手で触ってしまえば、永遠にくっついてしまいそうなほどに。


 死んでいる。


 暗闇に阻害され表情が読み取りにくいが、それでもわずかに穏やかな顔をしていたことにマキシーは気が付いた。


 一瞬動揺で我を忘れそうになったマキシ―だったが、死、というものには見慣れている。そう自分に言い聞かせて立ち上がる。

 

 実際、スラム街では、集めれば山を作れてしまいそうなほど死に向き合ってきた。


 だがしかし。今日は、まるでここまで来るように何者かに仕向けられたようで、なんとも言えない不気味な気分になる。


 変に触れて病気を移されたら困る。


 マキシ―は暗闇の中の表情に引き寄せられていた視線を、左右に映る光源へと目を戻した。

 

 あまりの眩さにクラリと眩暈を覚えるが、きっと暗い所に居すぎたせいなのだろう。目元を少し抑え、マキシーは壁伝いに歩き出す。


 ゆっくりと歩を進めるマキシー。しかし、それを止めるかのようにわずかに響いた、幼子の掠れた鳴き声にもならないうめき声。


 一瞬、体調が悪すぎて幻聴までも聞こえるようになってしまったのかとマキシーは頭を抱えたが、橋下に反響するその声で、幻聴ではないことに気づく。


 どこだ。声の元は。女……ではない。さっき確かに死んでいることを確認した。


 なので、マキシーは冷静になるよう努める。しかし、再び女に吸い寄せられる視線。彼女が生ける屍ではないことを望む瞳。


 その悲願の瞳のおかげか、女は先ほど見た時と変わらず、安らかに永遠の眠りについている。

 

 「ふぅ」とため息を出すと同時に、持っていた緊張感が一緒に吐き出される。と、同時にピクリと女の抱えているわずかに布が動く。眩暈は収まっている。見間違いでもない。


 新たに生まれた緊張感は先ほどとは比べ物にならないほど軽いが、それでもわずかな恐怖というスパイスにより、心臓がせわしなくマキシーの体を打ち付ける。


 体を屈め、手を伸ばす。


 今までに触ったことのないような良質な絹の布を捲る。するとそこに現れたのは、綺麗な顔立ちをした赤子だった。

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