第192話 うそ


「…………大丈夫かっ、ミライ、心出」


 眩い光が消え、ようやく目を開けることができた。


 目を閉じている間、盾からぴき、ぴき、という不気味な音がしていたが、なんとかコハクちゃんの一撃を防いでくれた。


「はいっ、なんとか持ちこたえましたね」


 ミライはすぐに返事をしてくれたが、心出からの返事がない。


 慌てて周囲を確認すると、意識を失って倒れている心出を発見した。


「……えっ? 嘘だろ! 心出っ! なんで、完全に防いだはずじゃ」


「誠道さんが手刀で気絶させたじゃないですか」


「…………みんな無事でまずはなによりだ」


 そういやそんなこともあったなぁ。


「そんなっ、私の【離澄虎リストラ】で壊せないなんてっ」


 大きな白い虎コハクちゃんは、フルマラソンを完走したあとのランナーのようにフラフラで、息も上がっている。


 ペース配分など考えずに、さっきの【離澄虎リストラ】で持てる力をすべて使い切ったのだろう。


 もし仮に、俺たちがコハクちゃんの言う通りハクナさんを攫っていた場合、俺たちを殺してしまったら居場所を聞き出すことができなくなるというのに。


 そんな冷静な判断ができなくなるくらい、いまのコハクちゃんは焦っている。


 心配している。


 恐怖している。


 混乱している。


「お母さんがっ……私にはお母さんがいないとっ」


「コハクちゃん! コハクちゃんは勘違いをしているんだ!」


「うるっ、さい。あなたたちなんか信じた私がっ……」


 コハクちゃんがせき込みはじめる。


 力を使いはたしてその巨大な体躯を維持できなくなったのか、体から光の粒子が舞い上がり、空気中に霧散していく。


 俺が盾を消滅させると同時、巨大な白い虎は完全にその姿を消した。


 代わりに地面に横たわる猫耳少女が現れた。


「大丈夫ですかっ? コハクさんっ!」


 ミライがコハクちゃんに駆け寄るも。


「触らないでっ! 私は、お母さんをッ、どこにやった、の……」


 コハクちゃんはミライが差し出した手を振り払った。


 力を使いはたした体で、それでもミライを睨みつけるその姿がとても痛々しい。


「コハクちゃんっ! 俺たちがハクナさんを攫うような、そんなことするわけないだろう!」


「うるさいうるさいうるさい! お母さんを、私の大切なお母さんを、どこにやって」


「おうおう……。まさかこいつらにも負けるとは」


 そのとき、背後からあざ笑うような声がした。


 背筋がぞくりと寒くなるような嫌悪感を抱かせる、不気味な声。


「さすがはマーズの連れってところだな。ちょっと計算が狂っちまったが、まあ、これでもいいだろう」


「誰だっ!」


 警戒しながら振り返り――頭が真っ白になる。


 だって、そこにいたのは。


「……え、テツカ、さん?」


 くたびれた白衣を着た、ハクナさんやコハクちゃんのために動いてくれていた優しくて優秀な医者、テツカさんだった。


 いまはその白髪をオールバックにしており、メガネも外している。


 うだつの上がらない冴えないおじさんはどこにもおらず、まるで悪人のような気持ち悪い笑みを浮かべている。


 身震いするほど冷たい風が、俺たちの周りに吹き荒れはじめた。


「せっかくコハクにお前たちを殺させてから、真実を明かそうと思ったんだが、まあいい。ここで真実を明かしてもそんなに変らないし、ご褒美を前にこれ以上じらされるのも…………もう飽きた」


「テツカ、さん? なにを言って……」


 コハクちゃんの声が風に流されていく。


「テツカさん……」


 俺もコハクちゃんと同じで、目の前でなにが起こっているのか、全然理解できていなかった。


 ミライだって、同じ気持ちを抱えていると思う。


 雲が太陽を隠してしまい、あたり一面が薄い黒色で覆われた。


 薄暗い中で見るテツカさんの顔は、ひどく恐ろしかった。


「……なぁ、コハク。いまさら気づいても遅いんだよ。いや、俺がバラしてやったから気づけただけか。だってお前は正真正銘のバカだからなぁ!」


 テツカさんは眼鏡を押し上げる動作をして――自分がいまメガネを外していることに気づき、誤魔化すようにその手でオールバックにしている髪をかきあげる。


 ……いや、あなたの方が正真正銘のバカでは?


 テツカさんは咳払いをしてから俺たちを指さした。


「こいつらが母親を攫ったなんて、その場の思いつきでついた適当な嘘を信じるなんて、本当にバカだよなぁ。母親のこととなるとすぐに冷静さを失う。騙すのが簡単すぎて逆に憐れみすら覚えたよ」


 くっくっくっ、とテツカさんは腹を抱えて笑いはじめる。


 コハクちゃんは、


「……え、……あっ、え」


 とつぶやきながら、まばたきを繰り返している。


 呼吸がどんどんと短くなっていき、震える体を自分の腕で抱きながらきつく目を閉じた。

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