第103話 世界で一番強いもの

「最愛の弟を失う方が、守れない方がよっぽど怖いことなんだぁぁああああ!」


 イツモフさんの渾身の叫びを聞いてもなお、俺はなにが起こったのかまだ完全に理解できていなかった。


 カイマセヌの【超巨大鬼殺美悪ハイデスキャビア】を、イツモフさんが金色に光る右足で殴り返した。


超巨大鬼殺美悪ハイデスキャビア】はそのままカイマセヌの体にぶち当たり、カイマセヌは床の上にどさりと落ちた。


 ……つえぇ、すげぇ…………かっこいい。


 心が純粋にそう思っていた。


 そして、同時に羨ましさと悔しさも。


 ……俺は、弱い。


 カイマセヌが舌打ちをかます。


「けっ、ボロボロの体でそれ以上なにができる? もう死ぬしかねぇんだよお前らはなぁ! 【鬼殺美悪癌頭キャビアガンズ】!」


 圧縮された無数の暗黒エネルギーがイツモフさんの体めがけて放たれる。


「だから、守るって言っただろ。――【黄金の盾あそうぎ】」


 金色に光る無数の札束がイツモフさんの前に出現し、それらが幾重にも重なって盾となり【鬼殺美悪癌頭】を防ぐ。


「……は? 札束、盾だと?」


 カイマセヌが口をあんぐりと開けている。


 それは俺も同じだ。


 いきなり札束が現れて、しかもそれが盾になって攻撃を防いだ?


「おい、お前」


 イツモフさんの声は鋭く、そして冷たい。


「私が隠しているお金の場所が知りたいんだろ。教えてやるよ。【亜空間超金庫なゆた】」


 イツモフさんの左側の空間が歪んでいき、円形の小さな窓のようなものが浮かび上がる。


 その中には、大量の札束が入っていた。


「私は、ジツハフを守るためにこれまでずっとお金を貯め込んできた」


「……へっ、だからどうした? 今さらそのお金で見逃してくれなんて言っても遅いぞ」


「バカかお前は。私の固有ステータスは【金の亡者】。私は、私が【亜空間超金庫なゆた】に貯めてきたお金を消費して戦う、正真正銘の金の亡者だ」


 それを聞いて、俺は不覚にもちょっと笑ってしまった。


 ジツハフくんを守るためにお金を貯めてきたって、お金で解決するためじゃなくて、物理的な意味だったのね。


【新偉人】もかなりレアなステータスだと思ったが、イツモフさんもかなりのレアステータスの持ち主らしい。


「愛も力も人情も、お金の前では無に等しい。世界で一番強いものはお金なんだよ」


 本当に最低な宣言だと思う。


 だけど、金の亡者であるイツモフさんが発したからか、最高にお似合いで、最高に格好いいと、そう思ってしまった。


 ごめんなさい。


 世界中の博愛主義者さん。


 お金はやっぱり、大事だよね。


 そして、イツモフさんがそんなお金より大事にしているものは、きっと。


「ふざけんな! 世界で一番つえぇのは、最強の力を持ったこのピロードロー・カイマセヌ様なんだよ! 【鬼殺美悪毘威凄妬キャビアビースト】ォオオ!」


 大声で叫んだカイマセヌの体に暗黒エネルギーがまとわりついていき、やがてカイマセヌは巨大なオオカミのような生き物に変身した。


「消え失せやがれ! 【鬼殺美悪胤爆妬キャビアインパクト】!」


 唸り声をあげて、猛スピードでイツモフさんめがけて突撃していく。


 が、イツモフさんは眉一つ動かさない。


 憐みの視線は変わらない。


 弟を守るため、恐怖に打ち勝ったイツモフさんの立ち姿は思わず見とれてしまうほど凛々しくて、美しい。


「遅すぎる。――【絶望の金縛ふかしぎ】」


 冷徹にそう唱えたイツモフさんの体の前で、暗黒の狼の動きが止まる。


 よく見ると、オオカミの体に、金色の札束がまとわりついていた。


「……なっ、動けねぇ。重すぎる」


「さっき言っただろう。世界で一番強いものは命でも愛でもお前でもない。お金だと」


「ちげぇ、世界でいちばんつぇえのはこのお」


「お金がまとわりついたお前は動けていない。それがすべてだ」


「ふざけんな。それで防いだつもりかよ! 【鬼殺美悪除淵恕キャビアボンバー】!」


 叫び声と共に、暗黒の狼の体が爆散する。


 至近距離での大爆発にイツモフさんが巻き込まれ……いったいどうなった?


 舞い上がる黒煙のせいでなにも見えない。


「だから、最強はお金だって言っただろう」


 黒煙が一気に晴れる。


 その中から現れたのは、札束で体をくるまれて身動きを封じられ、床の上にあおむけに寝転がるカイマセヌと、それを仁王立ちで見下ろすイツモフさん。


 そして、二人の間で黄金の輝きを放ちながら燃え尽きていく、役割をきっちりと遂行してみせた札束の盾。


「力の本質を知らない世間知らずに、私が、お金が、負けるはずがない」


「くそがっ、うごけ、ねぇ」


「身をもって思い知れ。お前なんかより、お金の方がはるかに強くて重いと」


 イツモフさんの目が金色に光りはじめる。


「……おい、おま、え、なにを……」


 その目を見たであろうカイマセヌの声が、はじめて震えた。


 鬼のような気迫をまとったイツモフさんに、明らかに怯えている。


「待て、俺が世界を取ったあかつきには、お前の望むすべてを」


「私が望むすべては、もうジツハフが持ってきてくれた」


 イツモフさんがカイマセヌの体を思いきり蹴飛ばす。


 お金の重さで身動きが取れていなかったカイマセヌの体が吹っ飛び、白い壁に激突、そのまま壁に貼りつけられる。


「ぐがっ」


 黒い液体を吐血するカイマセヌ。


 イツモフさんを見るその目には、先ほどまでの威勢はもう宿っていない。


 自分を鼓舞するように強い言葉は発しているが、この状況ではもはや虚しさを加速させるだけ。


「てめぇ、この俺様をよくも……ふざけんなよ」


「わかってるじゃないか。私の名前はイツモフ・ザケテイル。私はいつだってふざけて生きているが、私が本当にふざけている間にやめておけばこうはならなかったんだ」


 イツモフさんが睨みを利かした瞬間、カイマセヌの目が見開かれた。


 悟ってしまった自分の運命に、なおも抗うかのような言葉を発していく。


「待て、俺は、ようやく復活して、勇者を倒して、こんなはずじゃ」


「うるさい。もう黙れ」


 カイマセヌの口を札束が覆う。


 カイマセヌの声にならないくぐもったうめき声が、遺跡内に響き渡った。


「冥土の土産に覚えとけよ、この噛ませ犬野郎。最後に私たち人間を守ってくれるのは、愛でも優しさでも友情でも、ましてや強大な力でもない」


 淡々と言葉を発しながら、イツモフさんが一歩一歩カイマセヌに近づいていく。


「お金があればどんな問題も解決できる。お金は法律よりも、人間の命よりも、はるかに重い」


 そして、カイマセヌの目の前で立ち止まったイツモフさんは。


「だからこそ、私は知っている」


 睨むでもなく、憐れむでもなく、無表情でカイマセヌの怯えきった顔を見つめ。


「ジツハフを傷つけたお前が受ける、私の全財産を込めたこの一撃は」


 黄金の輝きを放つその右手の拳を振りかざし。


「世界中のなによりも、重い拳だ」


 眩いほどの煌めきが遺跡内を包み込んだ。


「――破散しろ。【無料大数の終焉インフィニティ】」


 イツモフさんが振るった拳がカイマセヌの腹にめり込み、そこから無数の札束が飛び散っていく。


 断末魔の叫び声とともに、腹を中心に二つに折れ曲がったカイマセヌの体が、遺跡の壁にめり込みながら黒い煙となって消えていった。

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