第28話 てへぺろ

 その後、俺と聖ちゃんはすぐにオークション会場へ戻った。


 入口付近に立ち、いよいよエロティックモード発動というところで、聖ちゃんが俺の背後を陣取る。


 なるほど。


 俺の後ろにいれば見られないからね――いやそもそも見る気なんて全然これっぽっちも針の穴の大きさくらいしか考えてないから!


 よっしゃあやるぞ。


 いざ楽園へ!


 エロティックモード!


 唱えた瞬間に目の前が真っ白になったが、視界が徐々に鮮明になってくる。


「おおぉぉ」


 やべぇ、視界に映る肌色の面積が明らかに違うぞ。


 ああ、二の腕だぁ。肩だぁ。鎖骨だぁ。


 肌色がいっぱいだぁ…………ん?


 服を着たままの人もいるぞ?


 でもまあいいや。


 だって半分は裸だしね。


 待ち望んでいた光景に、俺は頬が緩むのをこらえきれない。


 ああ、太くて盛り上がった二の腕――これは男だ、違う!


 フライパンでも入っていそうなほど盛り上がった胸板――これも男だ、違う!


 ギャランドゥに胸毛――これも男だ、違う!


 ああもう!


 あいつもこいつもそいつもどいつも男、男、男ばっかりだよ。


 俺の楽園はどこですかぁ……って。


「裸になってんの全部男じゃねぇか!」


 俺はすぐにピンクの魔本を開く。


 そこにはたしかに、


《エロティックモードと心の中で唱えなさい。これであなたは、服が透けて見えるようになるでしょう》


 と書かれてあったが、よく見ると右下に、テレビショッピングの『あくまで個人の感想です』よりも小さな文字で。


《ただし男子限定です。てへぺろ》


「これ作ったやつ性格悪すぎだろ! いじる気しかないじゃん! こいつの思惑通りに動いてんじゃん俺!」


 俺は膝から崩れ落ち、床に両手をついた。


 ああ、もう恥ずか死にたい。


 もしこの魔本の作成者が今の俺を見ていたら、さぞ大爆笑していることだろう。


 しかもこの作成者、『てへぺろ』なんて恥ずかしげもなく死語を……あ、これは古の魔本だからいいのか。


「あの……もしかして誠道さん」


 聖ちゃんから声をかけられる。


 笑いをこらえているのか声が揺れている気がしたんですけど、気のせいにしておこう、てへぺろ。


「男性の裸しか見られなかったって、それはつまり誠道さんはそっち系の人だったって」


「いやそれは断じて違う」


「でも今、誠道さんは四つん這いですし、まるでその体勢は」


「気にするな。さーて。犯人はどこかなぁ」


 慌てて立ち上がって、泣いている自分に気づかないふりをしながらオークション会場を見渡す。


 うん、やっぱり男の服しか透けてないけど……もしかしてここの観客はみんなそれを知っていたのかな?


 その可能性を考慮したくはないので、もう考えるのやめます。


 それに……。


「聖ちゃん。いた。あいつだ」


 紆余曲折波乱万丈艱難辛苦あって俺はこの世界からひどい裏切りを受けたが、聖剣ジャンヌダルクを盗んだやつを発見することができた。


「え、あの人、ですか?」


「そうみたいだ」


 聖ちゃんも少し戸惑っている。


 無理もない。


 想像としていた犯人像と違っていたのだろう。


 俺はその人物に声をかけるべく、ゆっくりと近づいていった。

「ねぇ、ちょっといいかな?」


 俺が声をかけたのはオークション会場の係員だった。


 年齢は十歳くらい。


 スーツに着られている感が拭えない、まだまだ子供の係員だ。


 オークション会場に入ったときから、その幼さゆえに目立っていた男の子である。


「はい。お客様。どういったご用件でしょうか?」


 彼の言葉遣いはいたって普通。


 しかし、その子は窃盗という行為に対する罪悪感と、窃盗がばれることに対する恐怖からか、俺たちを見た瞬間に目を泳がせた。


 よかった。


 悪いことをしたという自覚は持っているみたいだ。


「ご用件っていうか、ちょっと外に出て話をしない?」


「ど、どうしてですか?」


「それは君が一番わかってるんじゃないかな」


 そう指摘すると、彼の顔があからさまに曇った。


「ぼぼぼ僕はあなたの慰めものにはなりたくない。こここ睾丸をむしり取る趣味もありませんってばぁ」


「この子が怯えていたのは俺が変態だからでした! いや俺は変態じゃねぇから!」


「あなたにはさっき落札したその子がいるじゃないですか。その子に睾丸を取ってもらえばいいじゃないですか!」


 この子は、俺という変態の神様から変態な性癖を植えつけられると思ったようだ。


 ゆっくりと後ずさって逃げようとしている。


「あなたが盗んだものは、私の大事なものなんです!」


「あっ……」


 聖ちゃんが叫ぶように言うと、その子は足を止めた。


 俺たちがなぜ話しかけてきたのか、ようやく理解したのだろう。


 肩をびくりと跳ねさせ、観念したのか申しわけなさそうにうつむいた。


「ごめんなさい。だって僕、お姉ちゃんのためにお金が、病気だから……」


「いいから、一旦外に出よう」


 俺は今にも泣き出しそうな彼の手を取って、オークション会場の外に出た。


 人には誰しも、大人だろうが子供だろうが、誰にも知られたくない現実を抱えている。


 後、このオークション会場で変態のロリコンドMで通っている俺が幼い男の子と一緒にいたら、今度はショタコン属性まで追加されかねない。


 コップを拭いているダンディなマスターの前を通って、俺たちは外に出た。


 お姉ちゃんの病気……か。


 同情したいのはやまやまだが、盗みはよくない。


 でも、彼を怒ったり懲らしめたりしてやろうという気持ちは浮かんでこなかった。


 聖ちゃんも同じ気持ちのようで、いたたまれなさそうにうつむいていた。


「……あ、誠道さん。この子の言ってたとおり、私に睾丸をむしり取ってほしいときはいつでも言ってくださいね」


「男という性に絶望したときは、お願いするよ」


 そんなやりとりをしながらバーの裏手、人気のない路地裏に駆け込む。


 呼吸を落ち着かせてから、俺は静かに泣く彼に話しかけた。

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