地上 その五の二
サトルは自ら導き出した計算結果を前に悩んでいた。
先に日本宇宙機構から提示された五つの落下候補地点のうち、四カ所を不適切としてリストから除外していた。過去に地上へ落下した宇宙の巨大建造物の事例から、南太平洋以外では、破片の一部が陸地に落ちる可能性が考えられたからだ。
とにかく〈もちづき〉は大きい。一九七九年に落下したスカイラブの重量が約七十八トン、二〇〇一年のミール約百三十七トンに対し、〈もちづき〉は七百トンある。大きくてもひとかたまりのまま落下するのであればまだ良いのだが、大気との摩擦で各部がバラバラに分解し、全長千キロを超える帯状のエリアに部品が拡散することになる。これらすべてを海に落下させるとなれば、現在の〈もちづき〉の軌道から算定して、適切な候補地点は南太平洋の一カ所のみなのだ。しかも、軌道制御のタイミングが少しでも狂えば大気圏への進入角度が変わり、落下地点は想定から大きくずれることになる。その場合の落下地点は事前の予測が困難だった。
サトルはもう何十回と行ってきた検算を、再び実行するようパスカルに指示した。結果はすぐに出る。
すべて問題なし。
これで計算上のデータはすべて出そろった。計算結果そのものには自信がある。だが大きな懸念もあった。計算通りの制御を行うことの難易度が恐ろしく高いのだ。
今回扱うのは砲弾型のロケットではなく、複雑な形状の宇宙ステーションであるため、制御操作は十回のステップに分けている。最初の操作で〈もちづき〉の挙動を把握し、結果をフィードバックさせながら次の操作を行うという動的な手順で、精度は高まるがオペレーターの負担は大きい。最低でも百ミリセック(〇・1秒)の精度を要求される操作が十回続くことになる。
試しに、日本宇宙機構から提供された〈もちづき〉のバーチャルシミュレーターで手順通りの操作を行ったところ、二十五回目のトライアルでようやくノーミスを達成できた。もちろん〈もちづき〉の搭乗員は特別に優秀な宇宙飛行士であり、サトルの操作技術による結果をそのまま当てはめて考える必要はないだろう。だが時間的余裕から考えても、事前のリハーサルはできない。一発勝負なのだ。
人間とは、失敗する存在である。ならば操作ミスを想定した、もっと冗長性のある手順が必要なのではないだろうか。だがそうなると、手順はさらに複雑化し、ステップも二十を越えてしまうことがわかっている。手順の増加はミスを誘発する可能性を高める。答えの見えないジレンマがサトルの心を悩ませた。
この結果を提示してもいいのだろうか。
サトルの責任範囲は計算に基づく操作手順を作成するところまでであり、あとは日本宇宙機構が、すなわち富永が、その可否を判断するのだから、無用な悩みであるとは自覚している。だが、そう割り切るにはサトルは若すぎた。
悩みが解消されないまま、富永と約束した時間になった。
パスカルが回線を接続し、ホログラフィック・ディスプレイが真珠色の輝きを放つと、もう三度目となり、すっかり見慣れた富永の顔が浮かび上がった。
サトルはロボットチェアの背もたれの角度を一段階上げ、大きな深呼吸をした。すぐ後ろにパスカルが寄り添う気配を感じながら、カメラとマイクのスイッチを入れる。
「約束の時間ジャストだ。良い結果が出たようだな」
富永の声を聞いた瞬間、サトルの悩みは吹っ切れた。今の自分に出来ることはすべてやった。だからよけいなことは考えるな。ありのままを伝えればいいんだ。
「計算結果には自信があります。ですが実用性には疑問を持っています」
「頼もしい第一声だ」
富永が白い前歯をみせた。
「まずは計算結果を確認してください」
サトルが右手を挙げて合図を送ると、背後のパスカルが端末操作を開始する音が聞こえてきた。
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