地上 その三
愛する息子 サトルへ
そう遠くない将来、あなたにこのメッセージを送る日が来ることは覚悟していましたが、こんなに早くとは思ってもいませんでした。できればあと少し時間をもらって、せめてあなたが二十歳となった姿だけはこの目で見たいと願っていたのですが、どうやら叶わぬことのようです。
ですがこれも運命。
私の母方の家系は、みな女性が短命だったのですが、特に私はそれが顕著に現れたということだそうです。
少し早すぎるとは思うけど。
でも今、そんなことを愚痴ってもしかたないですね。
せめて最後くらいは母親らしくしなくては。
さて、なにからお話をしようかしら。
ああそうでした。いくつかの思いを伝える前に、まずあなたには謝らなければなりません。
あなたが父親というものを知らずに育った責任はすべて私にあります。
私の、自分でも持て余しているやっかいなこだわりが、親子で暮らすというごく当たり前の環境をあなたから奪ったのです。
そして今、あなたは、直接知る唯一の肉親を失おうとしています。
家庭の温もり、家族の団欒というものを満足に味あわせてあげられなかった母を、どうか許して下さい。
今まで話をしたことはありませんでしたが、あなたの父親は宇宙工学関連のエンジニアです。今もヨーロッパの某国にある宇宙開発関連の企業に在籍しているはずです。ですからあなたが成長するにつれ、宇宙のことや計算関係のことに興味を示し、のめり込んでいくのを見て、私の好む好まざるとは関わりなく、この子は父親の気質をしっかり受け継いでいるのだと、複雑な思いを抱いたものです。そしてあなたの父親のお父さん(あなたのおじいちゃんね)も、同じ分野でのエキスパートであったと聞いています。
ですからあなたがこの先、父や祖父と同じ道で活躍するだろうことを母は確信しています。そして今の私は、あなたからその可能性までもを奪わなかったことに胸をなでおろしています。
あら、先生に急かされちゃった。思っていたより残り時間がないみたい。
ちょっと急ぐわね。
九年前、私はある人の勧めでパスカルを購入しました。
……。
ああ、今、自分で購入なんて言葉を使って、ものすごい違和感がありました。
パスカルは家族の一員ですものね。パスカルもこのメッセージを見るかもしれないから謝っておかなくちゃ。ごめんね、パスカル。
えっと、なにを言おうとしてたんだろう。
ごめん、なんだか考えがうまくまとまらなくなってきました。
このメッセージを残したあとは、あなたとの十六年間に感謝しつつ、残された時間を過ごそうと思っています。
違う。そんなこと、今あなたに言う必要ないよね。
ちょっとまってね。
うん、そうだった。
もうすぐサヨナラですが、パスカルがいてくれるので私は安心しています。
あのときあなたが、パスカルを受け入れてくれて本当に良かった。
お金のこと、住むところのことは心配しなくても大丈夫ですからね。
違う違う、そんなことを言いたかったんじゃないの。
私は母として失格だったけれど、それでもあなたが息子であったことには感謝しています。だから、あつかましいお願いかもしれないけれど、私がいなくなってからも、時々でいいから、私のこと、思い出してくれるとうれしい。そして「ママ」って呼んでくれたらうれしい。
ごめんね、最後まで自分のことばっかりで。
こんなんだから駄目なのよね。
サトル、本当にこれで最後です。
母はあなたのことを愛しています。
これまでも、そしてこれからも。ずっとずっといつまでも。
さようならサトル。体に気をつけてね。
母 ミサより
◇ ◇ ◇
天井の発光パネルから朧月のような淡い光が降り注ぐ室内は、暖かな薄闇に満たされ、小さな寝息が規則正しいリズムを刻んでいる。
二時間前、パスカルの手によってロボットチェアからベッドの上に移し替えられたサトルは、それからずっと、呼吸一つ乱さず眠り続けていた。
無理もない。病み上がりの体で二十二時間睡眠をとらず、わずかな液体サプリメントを口にしただけで頭脳を酷使してきたのだ。さらに日本宇宙機構の切れ者、富永とのマンツーマンでのやりとりの後には予測通りの流星雨出現があって、アストロラウンジでの会合は収拾のつかない盛り上がりとなり、そのまま流れ解散となったのである。
若干十七才のサトルにとって、生まれて初めて経験する過酷で充実した二十二時間だった。その身体には今、気力体力ともに、ただの一滴たりとも残されてはいないだろう。
ママ……
細くか弱いサトルの声が室内に響いた。
パスカルはすっと席を立ち、サトルの眠るベッドに向かった。枕元にあるバイタル・チェッカーのデータを確認し、少しずれた毛布の位置を整えると、しばらくサトルの寝顔を見つめてから自分専用の作業デスクに戻った。
眠りに入る前のサトルからパスカルに与えられた仕事は、二回目に出現した流星雨のデータ整理であったが、大半は端末コンピューターレベルで事足りる単純作業で、パスカルは計算プログラムによるデータ処理の進捗状況を監督するだけでよかった。
作業デスク上の端末モニターは数字とアルファベットで埋め尽くされ、そのデータ群は数秒ごとに書き換えられていく。パスカルは表示されるデータを全て読みとり、サトルの考案した独自の手法で検証を行っていく。なので二十分毎にサトルの様子を窺う以外は、作業デスクの前に張りついていた。
滑らかなアイボリーホワイトの頭部が、モニターのデータ更新のたびに、明るく、暗く、照らされる。時折そのタイミングが小さな寝息とシンクロする。
七回目のサトルのバイタルチェックから戻ったとき、ポンという丸みを帯びた音とともに、画面の右隅に小さなウインドウが開いた。パスカルはわずかに頭部を傾け、ウインドウを視野の中心に入れた。
〈こんばんはパスカル。十一時間十五分振りだね。前回はホストで忙しそうだったからあまり話が出来なくて残念だった。実はあれからずっと、個人的に君と話がしてみたいと思っていたのだ。どうだろう。今、君の処理能力に余力はあるだろうか〉
パスカルはモニターの手前にある端末操作パネルに右手を伸ばすと、人間の目では到底捉えきれないスピードで五本の指を踊らせた。
〈こんばんはミウラさん。ちょうど退屈していたところです〉
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