三題噺「ガム」「告白」「絵本」
白長依留
第1話 「ガム」「告白」「絵本」
――この絵本にはね、不思議な力があるんだよ。
小さい頃にだだをこねて買って貰った絵本。高校二年生になったいまでも、本棚の片隅に捨てずに置かれていた。当時はこの絵本を読んで貰えないと、寝付かなかったそうで、手がかかるんだが掛からないんだか、分からない子供だったそうだ。
今になって目覚ましが鳴る。
感傷的な気分になってしまったのは、いつもより早く起きたせいか。絵本を手に取るとなるかしさが染み渡るように、心を満たした。
「絵美! そろそろ起きる時間でしょ」
時計を見ると、思ったよりも時間が経ってしまっていた。急いで学生鞄に教科書や筆記用具を詰め込むと、部屋を出て一階に駆け下りていった。
早起きしたおかげで、いつもとプラスマイナスゼロで学校に着くことが出来た。
絵美は部活動には入っていない。それでも、部活動に入っている生徒と同じ時間に登校している。
教室に着き、窓辺の自分の席に座る。窓から外を見れば、サッカー部の人たちが朝練を開始した所だった。
「あ、絵本。持ってきちゃった」
机の引出に教科書を仕舞おうとしたところ、鞄の中に絵本が紛れ込んでいたのだ。本当はまだ時間に余裕があったのに、母親に急かされた所為だ。
教室にはまだ誰もいない。誰にも見られていないのを良いことに、絵美は絵本を開いて懐かしむように読み出した。
それは、騎士に恋する姫と、姫に恋する騎士の物語。互いに告白出来ない身分差。子供向けの絵本とはいえ――子供向けだからこそ、世の理不尽を描いていたのかもしれない。
「不思議な力……」
それが両親が幼い娘をあやすための建前だったということは、さすがにもう気付いている。そんなおとぎ話のような事があるわけがないのだ。
ゆっくりと絵本を読んでいた所為だろう。読み終えた頃には朝練も終わりに近付き、人の声が教室に近付いて生きていた。
絵美は絵本を素早く鞄に片付けると、再び校庭を見る。そこにはもう、朝練をしている学生は誰も居なかった。
「姫……姫!」
近くで声がして振り返ると、まだ誰も教室には来ていない。空耳かと絵美が思って居ると、机の上に小さい騎士がぴょんぴょん跳ねながら「姫、姫」と連呼していた。
「え? え?」
目を白黒させて絵美が驚いていると、机にのせていた手の甲にキスをするような仕草をする騎士。
「な、なぜ私の信愛を受け取って下さらないのか」
受けるとも何も、いきなり何してくれてるのかと文句を言いたくなる。
「そうじゃない、そうじゃなくて」
なんで絵本に描かれていた騎士が眼の前にいるのか。なぜ、自分を姫と呼んでくるのか。訳が分からず混乱する絵美。
そこへ、教室に生徒が入ってくる。焦った絵美は騎士を鷲づかみにすると、胸ポケットへとねじ込んだ。
モガーモガーと声が聞こえてくるが、騎士の体が小さいだけあって声も小さい。絵美だけに聞こえるような声量だ。
「おっす、おはよう。今日も早いんだな」
「頭痛が痛いみたいな挨拶しないでよ」
不意を突かれたせいで、ついついキツい返しをしてしまった絵美。しまったと思ったが、言われた当の男子学生は、一瞬キョトンとしたが笑い声をあげて「だな」と納得していた。
絵美がいつも校庭を見ながら目で追っているサッカー部の遠野誠司。
よりによって、暴言をはいたのが遠野とは思わず、胸ポケットの騎士を握りつぶしそうになる。
(姫……なぜですか姫!)
かすかに聞こえる声で抗議してくる騎士。頭がパニックになって固まっていると、遠野は自分の席に何事もないかのように着いた。
絵美の斜め右前が遠野の席だ。遠野はホームルームまでの時間を確認したのか、時間があるとみると、鞄からお菓子を取り出す。チョコやガム、クッキーなど色々揃っている。
遠野のお菓子好きはクラス内で有名だ。休み時間になれば、何かしらお菓子を食べているのだ。それで太らないのだから、それだけ部活動でエネルギーを使っているのだろう。
(姫の御前で、姫よりさきに食事に手を付けるだと。なんという無礼者、許せん!)
胸のポケットから顔を出した騎士が、手に持った剣を遠野へと放り投げる。投げられた剣は放物線を描いて、遠野の頭に突き刺さった。
「てっ」
なんてことをしてくれたのか。胸のポケットにいる騎士に視線を向けると、何かを成し遂げたような顔をしていた。
(なにしてくれてんのよ、バカ)
(無礼者を退治しただけですぞ。褒美はあの巨人が食していたお菓子をいただければと)
(お菓子が欲しいなら買ってあげるし、作ってもあげるから馬鹿なことしないで絵本に戻ってよ)
「明石? なに独り言いってるんだ?」
「ななな、何でも無いよ。ちょっと今度どんなお菓子作ろうかと独り言言ってただけ」
「へえ、明石ってお菓子作れるのか?」
目を爛々と輝かせて、遠野が椅子を引き摺りながら近付いてくる。
近い近い近い。
顔がほてりそうになるのをなんとか我慢し、絵美はぎこちない笑みを浮かべる。遠野はどんなお菓子が作れるのかとか、料理好きなのかと問い詰めるように話しかけてくる。
「ふ、普通にクッキーとか、ケーキとか……だよ」
「お、クッキーいいね。オレ好きだぜ」
お菓子が好きという意味なのに、心臓が高鳴りそうになる。
(姫、この不届き者はもしややんごとない身分のお方なのですか。だとしたら私の命で――)
胸のポケットを握りつぶして黙らせる。騎士の所為で落ち着き始めた頭がまたパニックに戻り、思ってもない事を喋ってしまった。
「そんなに好きなら、作ろっか?」
「お、まじ? ラッキー」
喜んで席をたった遠野は、自分の席に戻るとガムをもって戻ってきた。
「分割の前払いでやるよ。あとで、ちゃんとお礼するからな」
今度お菓子をつくる事になった絵美。引くに引けなくなったが、もうこのままお菓子を渡しながら告白でもしてしまおうかと、淡い思いが芽吹く。
いつのまにか静かになっている胸ポケット。そこにはすでに騎士はいなかった。そして、雪崩れ込むように教室に入ってくるクラスメイトたち。
家に帰ってクッキーを焼きながら絵本を見ていると、騎士が持っていた剣が無くなっていた。
三題噺「ガム」「告白」「絵本」 白長依留 @debalgal
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