25
雨で
あまりにも自然な動作で振るわれたワルターの剣が、警戒をしていたはずのサイの脇腹に風穴を開けた。
サイに油断は無かった。ワルターから目を離した意識すらない。気がついた時には、正面から押し出されたワルターの剣はサイの身体を傷を付けていた。
「くっ」
「どうした、何も見えていないじゃないか」
笑いながら迫るワルターを見て、サイは痛みを我慢しながら距離を離す。
(いつの間に動いた?)
血が服の下から滲み出る。止まらない汗が、致命傷にもなりうる傷を認識してサイに警鐘を鳴らす。荒く吐き出された息を鎮めるように、左手で傷口を抑えながら、サイはワルターの持つ剣に視線を向けた。
凶悪な姿を晒すワルターの剣は、既に幾人もの命を喰らっているのか、赤黒い塊が表面を覆っている。
初撃は見えなかったが、ゲト・サイラスの扱っていた暗殺剣のような
「想いだけでは何も変わらんぞ、サイ導師」
サイの動揺を見て、ワルターの黄金の瞳が優位を感じたのか喜悦の輝きを得る。
脱力したまま、今もゆらゆらと揺れているワルターの右腕。ワルターの左腕は肩より先がなかった。
「それも……邪眼の力か」
出会った頃のワルターには確かに両腕があった。
今思い返してみれば、それすらも確証のない曖昧な記憶へと塗り変わる。
幻を見せられていたのか、元より義手であったのか、どちらが真実なのかは分からない。一つ分かる事は、堂々とした様相でサイを見つめるワルターには、一分の隙も無いという事だけだった。
ワルター・エンドの底は
「これが神の力だよ、サイ導師。だが、これで終わるのも味気無い。最期に一つだけ聞かせてくれ」
「……何だ」
「あんたは、この村の人間を救うと言った。百歩譲ってアルマを救おうという気持ちは分からんでもない。しかし、もう気付いているだろう? この村の老人連中は俺と同類の悪党だ。それを知っても
呆れているようにも見えるワルターの疑問。
理解できぬものを見るような視線には、僅かばかりの憐れみが垣間見える。
サイはワルターの瞳から視線を逸らさぬまま、脇に押し付けた己の掌から、魔導の熱を生み出した。
脳が焼き切れそうな程の苦痛がサイの全身を駆け巡る。焦げ臭い匂いを充満させて、血の流れていた部位を焼き固める事でサイは急場しのぎの止血に成功する。
その様子を見てもワルターは動かない。
それは余裕から来るものか、只の性分か。
サイは重い息を吐き出した。
「アルマが助けてくれと言ったんだ。それ以上に理由はいらない」
「なんだ……それ、だけかよ。……興醒めだ、サイ導師。……なぁ、俺が予言してやろうか。いつかあんたは、あんたが救った人間に足を
「そんな先の事を気にしていられるほど、器用じゃないんでな」
「ふーん。……どうだサイ導師、俺の下につかないか? 今回の事は水に流してやってもいい」
「くだらん三文芝居は止せ。お前はそういった
「あらら、考える余地もなしか。全く寂しいねぇ。半分は本気だったんだが、まあ仕方ない。それも一つの選択だ」
漏れ出たワルターの言葉は、消えゆく呼吸の終わりに真実を潜ませる。
ワルターは手に持つ剣をサイに向けて、愉しそうに
雨が降っても尚、地から沸き立つ熱気が周囲を包み込む。
いつ戦いが再開してもおかしくはない状況の中──ワルターが口を開いた。
「目は口ほどに物を言う。覗かせて貰うぞ、あんたの根源を。そして、絶望の中で殺してやる」
耳の奥に響くワルターの声。
サイはワルターの瞳から目を逸らせない。
刹那の静寂と共に時が奪われる。
そして、
サイは己の思考が底なし沼の奥深くへと引きずり込まれる感覚に陥った。
精神が囚われる。
本能がサイに訴えかける。
この存在に抵抗してはいけないと。
サイの身体が言う事を聞かない。
閉じる事の出来ない瞳孔が、雨粒に反射して見える。
幾重にも増え続ける黄金の瞳にサイの視界は奪われた。
頭の中を指で掻きまわされているような不快感。
平衡感覚を乱されてサイの足元も揺らぐ。
「──どうした、サイ導師」
──どうしたの、サイ……。
ワルターの言葉が、遠い日に置いてきた誰かの言葉と重なる。
瞬間、抵抗する事すら出来ずにサイの意識は暗闇の中に落ちていった。
* * *
寒さが呼び覚ますのは、いつだって同じ感情だ。それは不意に聞こえる雑音のように、サイが心の奥深くへと隠していた記憶の扉を、無遠慮に叩く。
「どうしたのサイ、そんな顔をして。帰ってきたなら早く夕飯を食べなさい」
サイの目の前には、食事の準備をしている女性がいる。
それはいつもと変わらぬ風景であり、違和感はない。
だけれど、サイは知っている。
目の前にいるのが、人の形をしただけの何かだということを。
言葉は話せる。
だというのに、どこまでいってもサイには理解出来ない存在。
「母さん、今日もクインの熱が下がらない。街で医者を探してみたけど、相手にしてくれない」
「サイ、あの人達はお金が無い人には何もしてくれないわ。無駄なことをしないで」
「だけど母さん、このままじゃクインが死んでしまう」
「あの子は身体が弱いから、そうなったら仕方ないわね。でも大丈夫よ、私にはサイがいるもの」
なぜこの人は、笑いながらそんな話が出来るのだろう。
「母さん。そんなのは駄目だよ」
もう何度も繰り返された光景。
彼女とは、言葉をいくつ重ねても分かり合うことはできなかった。
少しでもサイの要領が良ければ、違った結果になったのか。
分からない。
分かるのは、言葉は無力ということだけ。
「…………もういいわ。部屋に戻ってなさい」
「母さん……」
会話はいつも一方的に打ち切られた。
追いすがっても話は通じない。
幾重にも刻まれた傷は、年月を重ねる事で深くなる。
「兄さん……熱い」
「大丈夫だクイン。俺がそばにいるから」
小さな妹の手は、残り少ない命を現すように微熱を放つ。
まるでそれは、蝋燭の火が消える前の一瞬の煌めきのようで、サイの不安を掻き立てた。
元々身体の弱い妹は、いつもサイの事ばかり気にしていた。
もっとわがままを言ってもいいのに。もっとやりたいこともあるだろうに。それが叶わない事を知っているから、今もただ優しい微笑みを浮かべるだけだ。
何も出来ない。
祈るようにずっと手のひらを握りしめていたサイは、まどろみの中で妹の寝息が聞こえていることに気付く。
呼吸は落ち着いている。少しだけ安堵して握っていた手を離すと、サイは音を立てぬように妹の眠る部屋からそっと出ていく。
妹が病気になってもう一週間が経つ。
日に日に動けなくなっていく妹を見ている事に、サイは耐えられなかった。
妹の熱は下がらず、体力がどんどん落ちていく。
二日目まではまだ自力で動けていた。
三日目以降は立ち上がることも出来ない程に衰弱した。
こんな事になるなんて。
もっと早く、サイが何かを変えていれば。
毎夜、妹が眠った後、サイは街で妹を助ける手段を探しにいった。
持たざるものに医者は何もしてくれない。
母親も当てにはならない。
サイにはなにもない。
街の中でサイの声に耳を傾けてくれる人間もいない。
サイの言葉を聞いても、多くの者がめんどくさそうに視線を外す。
誰かを助ける余裕のある人間が、この街にはいなかった。
みんな同じだ。
凍てつく寒さはサイの歩みを鈍くさせる。
世界がサイの行動全てを否定しているように思えて、負の感情が精神を蝕む。
「なんでなんだよ……」
心を縛るように根を生やしたやるせない怒りが、握りしめたサイの拳に痛みを与える。
より濃い暗闇が夜を染めようとして地が漆黒に濡れてゆく。
地面を見つめていたサイは、このまま足元から自分自身が溶けてゆくのではないかと思えて怖くなった。
「ほう、このような夜分に子供が一人、珍妙ではあるがモノノケの
唐突に言葉を投げ掛けられ、息が止まりそうになる。
声の中にどこか抜けた空気感がある。
それが逆に、サイの心に吹く風となって、怒りの感情を
月明かりが僅かに差し込む。
いつの間にか降り始めていた雪に紛れるように、その人はいた。
サイが顔を上げた先にあったのは、真っ白な服に優しい瞳で自分を見つめるひとりの大人。
「あ……」
やっとのことで、自分を見てくれた人間を前にして、サイの口は言葉を忘れる。
「どうかしたのであるか」
不思議な色の目をした男が首を傾げる。
雪に隠れていた真っ白な服は、仕立て良く装飾のされた道衣であった。
場違いではある。
サイが見たことの無い貴族のような雰囲気もある。
普段であれば声を掛けない類の大人であったが、誰からも無視をされ、相手にされなかったサイは、優しく気遣う声を聞いて、泣きだしそうな顔で想いを吐き出す。
「妹が病気なんだ……」
初めて会う人間なのに、凄く懐かしいような気がして、サイはたどたどしくも言葉を伝えた。
「ほう、案内したまえ」
「……え?」
「困っているのであろう?」
「うん」
「ならば、我に出来る事をしよう。まあ、我に出来ないことはないのだがね」
あまりにも自信満々に言い切る男に、サイは面を食らう。だが、男の言葉はサイにとって心地よいものだった。
それはサイが心の底から渇望していた言葉。
言葉の意味を噛みしめていると、にこやかに笑う男の表情が、サイの次なる言葉を待っている事に気付いた。
慌てて意識を取り戻すと、すぐにサイは妹の待つ場所へ男を案内する決意をする。
「お主はひとり、妹御の為頑張っていたのだな。誠に将来有望な男子である」
からからと笑いながら、確かな足音を立てて後ろをついてくる見ず知らずの男。
背後から感じる大きな力。
それはサイに新たな力を与えた。
「おじさん……」
「なにかね?」
サイはずっと考えていたもう一つの決断をした。
「僕を。僕達を助けて」
* * *
サイの頭蓋を貫かんと白刃が迫る。
「くっ!!」
間一髪の所で首をひねり、ワルターの剣を躱すサイ。
「はは、この短時間で夢から目覚めるかよ」
感嘆の声を上げるワルターを尻目に、サイは現状を即座に把握する。
「
宙に静止した剣が返す刀でサイの首元を狙っている。サイは瞬時に脱力し、低姿勢になりながら身体を捻ると、地面を滑るよう手をついてワルターの剣から逃れる。
「お前の狭い
泥にまみれ、荒く吐き出される息。
サイの黒髪が怒りを示すように広がる。
鋭い黒眼は、ゆらめく髪の間からワルターを貫く。
魔導を集めたサイの瞳が、次第に虹色へと変化する。
その時、サイは中空に存在する奇妙な歪みを見つけた。
(奴の力は限定された空間に作用している。あの歪みがその前兆だとするなら、効果を発揮するまでには時間差がある)
サイは、ワルターの瞳の直線上に一瞬たりとて身を留めぬよう身体を動かす。
魔導で強化された手脚が、鋭角に動くサイの四肢に加速を生む。緩急をつけ一足毎にワルターの力の範囲外へと逃れてゆくサイ。
万全ではない身体が悲鳴を上げるが、サイにはそれを気にしている余裕はない。
「おいおい、気付くかよこの化け物め」
それを追うように速度を上げ、笑いながら剣を振るうワルター。
勢いよく迫る剣を弾きながら抜刀されたサイの剣が、熱を放ち朱く光り輝く。
「ははははは、そんなモノまで持っているのか。面白い、ならばこれはどうだ──」
『止まれ! サイ・ヒューレ!!』
ワルターの声が幾重にも重なると、見えない力が
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
強い意志の力が、サイを拘束しようとしていた
同時に全身の力でワルターの射程圏内に飛び込むと、サイは全霊の力を持って地から空へと剣を振るう。
ワルターの濃紺の髪がはらりと落ちる。
サイの斬撃は、ワルターに届かない。
足を動かしひとつふたつと切り結ぶが、ワルターは僅かな四肢の移動と剣の操作でサイの剣を弾く。まるで何もかもお見通しとでも言わんばかりに。
「もう
「
「……なぜそこまで弱者に囚われる。それほどの力、
「迷惑だね」
「
「だとしても、俺の道にあるものだ。もう避けて通るつもりはない」
「強いが悲しい男だ。そんなんじゃ誰もあんたを理解出来んだろう。ここいらで終わりにして、もう一つの地獄でまた会おうじゃないか。あんたの
「やるかよ──」
──サイ、あなたは何も分かっていないの。変な事を言わないで、いい子だから私の言う事を聞いて。
「うるさい」
──あなたの人生を私に頂戴。
「うるさいんだよ」
──サイ。
ワルターの身体が雨を弾きながら地に溜まった泥水を跳ね上げる。
鋭く踏み込まれた脚は地面を滑りながら、サイへ猛然と迫る。
サイはぬかるんだ地面にすり足で体勢を整えると、抜刀していた剣を鞘へと納めた。
「観念したか!!」
ワルターの怒号が飛び、雨粒の一つ一つが流れゆく景色を引き延ばす。
精神が研ぎ澄まされることで、雑音がサイの耳から消えてゆく。
「──あぁ、
それは、サイが幼き日に誓った決意の言葉。
口に出した瞬間、白色光がサイの全身に集まってゆき、泥のように重かったサイの身体に力を与える。
「迷い子を
それは、己の可能性を示した言葉。
サイは鞘を寝かせ、全ての力を右掌に集中させる。
「果てよ、果てよ、果てるのは。世に
それは、不条理を断じる刃となりて。
「なんだそれは」
ワルターは目の前にいる男に、言いようのない恐怖を感じて速度を上げる。
「知れ、生命の尊さを。祈れ、去り行く
命が、サイの存在を世界に色濃く根付かせて、魂を
サイの眼が、ワルターの瞳から外れない。
「その目で、俺を見るな」
怯えるようなワルターの眼が、サイから逃れようと外れてゆく。今まで見せていた余裕が嘘かのように、ワルターは何か良くない事が起きるという予感を感じ取って、
「そして、過ぎ去りし日とともに我が色に染まれ絶望よ……」
「やめろおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
勢いよく射出されたワルターの凶剣が、サイを狙って空を行く。
──不確かな希望で夢を見せ、綺麗な言葉を並べるだけしか脳の無い俺に、一体何が出来る。この世はこんなにも苦痛であふれているのに。
『サイ』
──それでも俺は皆に生きていて貰いたいんだよ。なあ……皆が今よりほんの少し、ほんの少しだけでいいから幸せになれればいいんだ。それは、そんなにも難しい事か?
『ふむ。どうしたね、サイ』
──俺はいつになっても何も出来ないのに、なんで生きている。
『それはお主がサイ・ヒューレである事に通ずるな』
──俺が、俺である事?
『人は苦難を歩むもの。しかし、サイ・ヒューレはあらゆるものに耳を傾ける事の出来る人間である』
──耳を傾ける?
『今一度お主自身に問うてみよ。どうにも見失いやすいが、とても大事なのものだよ』
ふとした瞬間に思い出されるのは、サイを救ってくれた人の言葉。
それは否定の言葉でも、耳障りの良い肯定の言葉でもなかった。
正確に捉えようとすれば難しい。
ただ
いつまでも心の奥底でめらめらと燃えるそれは、サイの重くなった心もお構いなしに、只々純粋にサイの命を前へ前へと押し進める。
それは、サイがサイとして生きている証。
──わたしのサイ。
「俺の人生は俺のものだよ。母さん──」
一息で解き放たれたサイの剣が、横一文字に世界を結ぶ。
まばゆい光が立ち込め、白い軌跡がありとあらゆる事象を切り裂いてゆく。
「やめてくれ……」
解き放たれた衝撃がワルターの剣もろとも吹き飛ばし、ワルターの全身を駆け抜ける。
激しい勢いで地に転がるワルター。
泥にまみれながらも、ワルターは思うように動かない手を使い、自身の身に起きたことを確かめようとする。
「俺の、俺だけの力だ……」
「もう終わりだ、ワルター・エンド」
ゆっくりと振りぬかれたサイの剣が、淡く輝いて光を失う。
地面に溜まった泥水に反射して見えたもの。
ワルターの瞳は何もかもを失ったように、真っ白に染まっている。
見えていた景色も変わり、万能の力を感じることが出来ない。
「あ、ああああああああああ」
現実を受け入れられず、ワルターの慟哭が続く。
「歪んでるんだよ。……世界も、俺も。でも……きっとそれが普通なんだ」
小さく呟くと、サイは目の前にあるものを目を閉じる事なく、ずっと見続けた。
* * *
時が流れ、長く続いていた雨足が去った。
ワルター・エンドによって引き起こされた虐殺から既に十日が過ぎている。
ハイアト村では王国より派遣された兵士たちによる状況の確認も行なわれていた。
ワルターの凶行がハイアト村に隠されていた裏の顔を白日の下に晒したからだ。
王国兵達は奴隷売買の実態について調べていたようだが、村長の死と、捕らえられてから一切の口を閉ざしたワルターにより、解決にはもう少しだけ時間が掛かりそうだった。
サイも事情聴取されたが、詳細までは知らなかった為に直ぐに解放された。
とにかく、今のハイアト村には問題が山積みだった。
逃げ出していた村の女子供は戻ってきたが、ワルターに逆らった為に殺された者も多い。
村の復興が難しい現状と、頼る者のいない人間の多くは近くの街に移住するという別の道を歩む者で大半を占める。
それをサポートをするための人手は、サイの口添えでイズールの手によって手配された。
彼自身も無償でやるつもりはなく、商機を窺っての行動である。
村にとっては伝手がなければ身の振り方すらままならぬ者も多いであろうし、大変な道ではあるが結果的に良い方向に進む事だろう。
イズールとはそういう男だ。
盗賊の一味であったクェアロとアミユの姿も、いつの間にかなくなっていた。
サイは事が落ち着くまで村に滞在しながら、アルマの面倒を見ていた。
そんなサイの姿が今、日が昇ろうとしているハイアト村の門の前にある。
「本当に一緒に行かないのか?」
サイは見送りのエレクに声を掛けた。エレクには痛々しい生傷が残ったままではあるが、動けるくらいには回復したようだ。
頭をかきながら、少し申し訳なさそうにしているエレクがサイの言葉に苦笑を漏らす。
「すごく悩んだんですけどね。レンの事もありますし、街で生活を安定させるまではと思いまして。……それに、母さんともきちんと向き合おうかなと」
「時間が解決してくれる事は思いのほか少ないからな。……しかし、それは愛ではなくただの
「そうなのかもしれません。……だけど、まだ自分の答えは出せてませんから。……答えが出たら、きっとそれがどんな結果でも納得できると思います。だからそれまでは頑張ってみます」
決意に満ちたエレクの表情は、迷いを振り切った一筋の強さを覗かせる。
エレクの視線がすっと下におりると、サイの隣で小さくなり、うつむいているアルマへと向く。
母親であるラウラは最後まで姿を見せなかった。
今はもう塞ぎ込んでしまい、誰も受け付けない状態になっている。
エレクはアルマに対して何と声を掛けるか迷っていたが、気を取り直して小さく咳払いをする。
「あー、アルマ。俺が行くまでに、たくさん友達を作っとくんだぞ」
エレクの暖かい掌が小さなアルマの頭に乗る。
エレクは口元を緩ませて、懸命に涙をこらえている家族に優しく微笑んだ。
声にならない嗚咽と共にアルマは小さく頷くと、サイの背中に隠れた。
「エレク、事が済んだらグアラドラに来い。俺の方で話は通しておく」
「ありがとうございますサイ導師。それじゃ、アルマ……元気でな」
歩き始めたサイについていこうとしたアルマは、振り返る。
「……にいちゃん」
「行ってこいアルマ! 兄ちゃんもすぐに追いつくから!!」
「うん!!」
ふと見上げた空があまりにも眩しくて、サイは腕を上げて陽の光を遮った。
流れる雲と、綺麗な青が瞳に吸い込まれてゆく。
「暑くなりそうだな」
追い付いてきたアルマの頭に手を乗せると、サイは歩き始めた。
小気味よく並んだ足音が、命の音を奏でている。
世界が生きている。
何が終わろうとも、これはずっと続くのだろう。
ならばそれでいいかと、サイは思った。
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