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「クイン、起きてるか」

「お兄ちゃん?」

「今すぐだいじなものだけ持ってくるんだ。家を出るぞ」

「どこかにいくの? でもお母さんが……」

「大丈夫だよ、俺がなんとかするから」

「……うん」





 * * *





「自分が一体何をしたのか、理解しているのか」

 ラウラの腕を掴んだまま、サイは冷ややかな言葉を浴びせる。サイとしては今すぐにでもアルマを追い掛けたいという気持ちがあったが、思考とは裏腹に身体は思うように動かなかった。とっさの判断で隣にいた青年にアルマを任せ、サイは己の内側が怒りで染まりきらぬよう必死に抑える。


「……あなたには分からない」

 サイの鋭い眼光に青ざめた顔のまま視線を逸らすラウラ。吐き出された言葉は語尾を弱め、消え入るような呟きに変わるが、それでも拒絶の態度は変わらなかった。


「何故だ? 何故そんな態度をとる? アルマの持つ力のことであれば、俺の故郷に行けばどうとでもなる。アルマはずっと家族に会いたいと悩み続けていた。頼むから、アルマから逃げないでくれ」

「逃げてなんかいない! あなたには分からない事なのよ!」

 ラウラの拒絶はサイの心に刃を突き立てる。鋭い痛みとともにえぐられてゆくのは、言葉を重ねても想いが届かぬ無力感からか。激しい感情をあらわにするラウラの中に垣間見えたのは、弱くて脆い人間の輪郭だった。


 何が彼女をこんなにもかたくなにしているのか、サイは何も知ることができない。このままでいいはずがないのに、解決の糸口が見つからない。


 それでも一縷の望みにかけて口を開こうとした矢先、ラウラの腕をずっと掴んでいたサイの指先が掴まれた。とても小さな手のひらは、アルマのものよりも小さくて、雑に触れてしまえば壊れてしまいそうなほどにか弱くて、儚さを感じさせる。


「だめ!」

 必死になってラウラの腕からサイの指を剥がそうとするそれは、とても小さな幼子のものであった。薄茶色の髪はアルマによく似ていて、サイに向ける淡褐色の瞳には涙が溢れている。幼子の懸命な姿を見て、サイは固まるように動きを止めた。


「君は……」

「レン! なぜこんな所に来たの、家にいなさいと言ったでしょう!」

 唐突に現れた幼子の行動は、サイだけではなくラウラの動揺も誘う。


「おかあさまを、いじめないで!」

「……娘、か」

 懸命に吐き出される言葉には、母親を守ろうという強い意思がみえる。レンと呼ばれた幼子がラウラの娘であるのならば、アルマの兄妹にもなる。サイは無意識の内に力が込められていた指を緩慢な動作で開くと、硬い表情のままラウラを開放した。背後で足音がして、さらなる闖入者ちんにゅうしゃが姿を現す。


「母さん、……その人に全部話そう。アルマを助けてくれた人なら悪い人じゃないはずだ。それに俺達……いや、この村の皆も限界が近い」

 現れたのは10代後半くらいの青年。あどけなさの残る顔立ちではあるが、その眼差しは揺らぎの狭間にあってなお決意を秘めている。


「エレク……あなたまでそんなことを。……駄目よ、絶対に駄目。そんなことをしてしまえば村の皆が大変な事になるわ」

「ラウラの言う通りじゃ、エレク。お主が自分勝手な事をすればこれまでの全てが無に帰す事になる。我らで決めた事ではないか」

 静観していたナムも口を挟み、エレクの行動を制止しようとする。


「それが間違ってたんだよ! そうやって都合のいいものしか見ずに、目を閉じ耳を塞いでいたから犠牲がどんどん増えていったんだ! 怯えながら生きるのはもう嫌だ。アルマの悲しむ顔も二度と見たくない。……あの時は勇気が無くてアルマを守れなかったけど、俺は戦う事を決めたよ、母さん。俺はもうあなたのように逃げたりはしない」

 エレクの言葉にびくりと肩を震わすラウラ。ナムの言葉をつゆほども意に介さず、エレクは心の内側に溜まっていたものを吐き出していく。


「犠牲とはなんだ? この村で一体何が起きている」

「全てお話します。行きましょう、アルマが心配だ」


「やめんかエレク! ラウラの決断をお主が否定してどうするんじゃ。何と言おうとも、一度はアルマを見捨てた人間がいまさら都合のいいことをぬかすでないわ」


 エレクは村長の声に耳を貸さず、ただひたすらにサイを見つめている。

 懇願のようにも見えるそれを、サイは頷く事で返した。


「待って、待ちなさい!」

「エレク!」


 ラウラの足元で震えるように身体を寄せる幼子。

 サイはその姿にちらりと視線を送った後、部屋を出ていくエレクを追って村長宅を後にした。




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