覇王軍壊滅

キィネの実。それはアーシュマハ大陸遥か東の海の島国では、クィナという訛った名称で呼ばれていた。そのクィナの実はかつてユウゾウがリョーガイ暗殺のためにユーグリッドに提案した毒薬である。その毒物は無味無臭であり、10日ほど摂取を続けさせれば肺炎に罹り、病死に見せかけて暗殺できるのである。


ユーグリッドはその毒の果実の情報をユウゾウから聞きつけると、キィネの実についての文献を詳しく読み込んだ。その結果それが大昔の時代では作物の肥料として使われていたという知識を得る。その時代ではキィネの実は作物を大きく実らせ、成長促進の効果があるとして各種農業で重宝されていたのである。


しかし後の時代になると、キィネの実は肺に重大な影響を与える中毒性の高い毒物であることが判明した。少量ならば人体に影響は出ないが、大量に摂取すると命に関わるほどの肺病が引き起こされるのである。


その猛毒性が証明されて以降は海外の国々でもキィネの実の輸出入が禁止されていた。本来ならば現代では入手不可能な薬物である。だがユーグリッドはリョーガイとともに新しい貿易経路を開拓していく最中で、西海のとある小国が国際法違反にも関わらずキィネの実を栽培していることを突き止めた。その国は中毒性を利用した作物の恒久的な商売を企んでいたのである。


ユーグリッドはその小国に密貿易を西海の国々に触れ回ると脅しつけ、それを暴露されたくなかったら安値で大量にキィネの実を買わせろと強引な取引を持ちかけたのだ。結果、ユーグリッドはその小国から秘密裏にキィネの実を大量に輸入することに成功した。そしてその毒物を覇王軍に飲ませようと謀略を巡らせたのである。


その具体的な策略は1つ、予めキィネの実を使った農園をアルポート王国国外で作っておき、覇王がアルポート王国を攻めてきた際にわざと略奪させて米を食べさせるという方法である。


覇王軍が食料に困窮すれば困窮するほどその効果は絶大となり、兵糧攻めを上手く行えば覇王軍を全滅させることができる算段をつけていた。


そして覇王軍が兵糧に困窮するためには、まずその補給源であるボヘミティリア王国を完膚なきまでに滅亡させる必要があった。そのために彼の国で大量虐殺を行い、焼き討ちを敢行したのである。


そしてその残忍な挑発行為によってまんまと兵糧不足となった覇王を激怒させ、アルポート王国にまで大軍を攻めさせた。そして目論見通り覇王軍は兵糧が枯渇し、キィネの実を肥料とした農園を襲撃し、全軍が毒の米を朝昼晩毎日のように食らうことになった。


その果てに遂にユーグリッドの謀略が成り、覇王軍の残り4万の軍勢は全てキィネの毒によって肺炎を患ったのである。


もはやこの深刻な病を抱えた将兵たちに戦える力など残っていない。海外事情に詳しくない覇王軍は、完全にユーグリッドとの情報戦に敗北したのである。


全てはユーグリッドの手のひらの上。ユーグリッドはその神算鬼謀の限りを尽くし、ついに積日の宿敵、覇王の大軍を尽く死の淵に追いやったのだった。




「兄上! 兄上ッ!! しっかりしてくださいませッ!!」


2月27日夜9時半、血相を変えたデンガハクが地面に倒れ伏した覇王の巨躯を何度も揺すっていた。


だが瀕死の覇王はもはや意識が朦朧としており、今自分がどこにいるのかも定かではない。覇王はその巨体に違わぬ大食漢。毎日のようにキィネの毒米を大量に喰らい続け、誰よりも病状が深刻に進んでいたのである。


「胸が・・・・・・胸が苦しい・・・・・・」


やっとのことで絞り出せた声には、もはやかつての偉大なる覇王の面影はない。国や兵や名声、全てを失い自分の命すら失おうとしている覇王は、もはや怪物の抜け殻でしかなかった。何の力も残されていないその巨漢の王には、もはやこのまま死を待つ以外に選択肢はなかったのである。


「兄上ッ!! お立ちくださいッ!! 我々はもうここから逃げ出さねばなりません!!」


かろうじて毒米を喰らわず生き残れたデンガハクは懸命に死にかけの兄に声をかける。その巨大な兄の腕を自らの肩に回して立ち上がり、引き摺るようにして本陣の天幕を出る。


だがそこには絶望が広がっていた。先程まで立っていたはずの兵士たちが皆地面に横たわり、血を吐いて死んでいたのである。その光景は覇王軍のどこの陣営を歩きまわっても同じだった。


(どうする!? このままでは兄上は死んでしまう!! 今アルポート王国に攻められれば、我が軍は確実に一人残らず死に絶えてしまう!! どうする、デンガハク!! 俺はこのまま兄上を抱えて、どこに逃げればいい!?)


キョロキョロと辺りを見渡すと、デンガハクは近隣に繋げてあった覇王の黒馬を見つけた。軍馬だけはユーグリッドの毒米を喰らわず、干し草だけを与えられていたのでまだ健全だった。


デンガハクは覇王をその巨大な黒馬に何とか担ぎ上げて乗せる。その巨躯は体がフラフラとしていて今にも倒れてしまいそうだった。


その時、消え入りそうな兄の声が聞こえた。


「ハク・・・・・・我の大斧も持ってこい・・・・・・大斧がなければ、我は敵と戦えぬ・・・・・・」


覇王は鐙の上でやっとの思いで座りながら、デンガハクに指図をする。


だがデンガハクは兄の体を気遣って断った。


「無理ですッ!! 今の兄上のその体では、大斧を振るうことなどできませぬッ!! あんな巨大な斧を持っていては却って兄上の負担になります!! どうか今は逃げることだけをお考えください!!」


デンガハクは無茶をしようとする兄を必死に説得する。


だが覇王は震えが止まらぬ体で弟の諫言かんげんを却下した。


「ならん・・・・・・我は覇王・・・・・・未来皇帝・・・・・・例え病魔に冒されていようとも、我は誇り高くあらねばならぬ・・・・・・お前も覇王デンガダイの弟ならば、我に恥をかかせるな・・・・・・我は最期の時まで、覇王としての矜持を貫く・・・・・・」


その喋るのもやっとであるはずの兄を見て、デンガハクは涙の粒を落とす。もはやそこには覇王に対する畏怖や尊敬の念が消えており、ただ兄弟としての情愛だけが残されていた。


自分の兄はもう助からない。ならばせめて最期の時まで兄の意志を尊重しよう。そう断腸の思いで決断し、デンガハクは大斧を運んだ。自分では両手を使わないと支えきれないその巨大な斧を、兄の大きな背中に携えさせる。


兄はその時また苦しそうな咳を出し、大量の血を黒馬の上に吐いた。それでも覇王は愛馬から落ちることから抗い、懸命に両足に力を入れる。


「行くぞ・・・・・・ハクよ・・・・・・行く先はお前に任せる・・・・・・我はもう、自分で前を、見ることすらできなくなってしまったのだ・・・・・・」


その弱りきり変わり果ててしまった兄の姿を見て、デンガハクは両頬に雫を垂らす。。もはやデンガハクでさえも涙で視界が見えなくなっていたのだ。


デンガハクは黒馬に乗り、兄は弟の背中に凭れ掛かる。バウワー家兄弟たちは、当て所もない逃避行へと黒馬を走らせたのだった。




一方で時間が経ち、2月28日朝6時になった頃のこと。雪が降り積り大地が白く染められる中、アルポート王国では全軍出撃の勅命が王によって下されていた。既に王は覇王軍に毒米を仕込んでいたことを諸侯たちに打ち明け、後は敵軍を殲滅するだけだと討伐を号令したのである。


数少なくなっていた諸侯たちは皆戦意に溢れ、仲間の仇討ちのため、一族を守るため、そしてアルポート王国に勝利を齎すために全軍が出撃した。


1万2000のアルポート軍が北南東の城門を開き、水堀の上に掛けられた跳ね橋を駆ける。覇王軍の合計4万の兵が布陣する北南東の各陣営には、アルポート軍4000の兵がそれぞれ殺到する。


覇王の敵軍を発見するや否や、手当たり次第に殺害した。それはもはや戦闘ではなく殺戮だった。キィネの毒に冒された覇王の兵たちはもはや立ち上がることすらできず、何の抵抗もできないままアルポート軍になぶり殺される。アルポートの雪原は忽ち王国を中心として、コの字型の血の海と化した。


覇王の兵たちは戦うこともできず、逃げることもできず、そして自分が殺されることすら認識できぬまま無残な屍の山となる。ただ武器を体に刺された瞬間に、産声のような悲痛な声を上げて絶命する。その阿鼻叫喚は大地に広がり渡り、アルポート王国の全地域を震撼させるほどの泣き叫ぶ声がこだました。


アルポート軍は皆もはやボヘミティリア王国での大虐殺よりも残忍な嗜虐心に呑み込まれ、殺戮の限りを楽しんでいる。病床に溺れる覇王の兵たちを最大限に苦しませながら惨殺したのだ。血に飢えたハイエナの群れが、死にかけの象の群れを食い散らすように、それは凄惨かつ圧巻な光景だった。


「覇王を見つけ出せェッ!! 絶対に逃がすなァッ!! 見つけ出して殺せェッ!!」


その虐殺の快楽の波に呑まれたアルポート王国の大将軍、ソキン・プロテシオンが全軍に号令して叫び散らす。彼の者も自ら白銀の剣を抜き、あらん限りの覇王軍の兵たちを串刺しに刺し殺している。


もはやここに正気の者などいない。大将軍の命令などなくとも、皆我先にと覇王を殺したがっている。あの憎き覇王も今毒に冒され瀕死となり、誰の手でも容易に殺せるようになっているはずなのだ。皆覇王の生首という大功を欲しがっている。


その血気と殺気が盛んなソキン軍の元に、一人の伝令兵が急ぎ足でやって来た。


「伝令!! アルポート王国北の山奥に、覇王のものと思われる黒馬が駆けていくのを発見しました!! その山奥に覇王が逃げ込んだものと思われます!!」


その伝令兵の報告にソキン軍の兵たちの血が湧いた。我先にと今にもその山へ向かって狩りを始めたがっている。


「・・・・・・わかった。その山奥に我が軍4000の兵を率いて山狩りをしよう。覇王が死んでいようが生きていようが、覇王の首は陛下の元に差し出さねばなるまい。そなたは引き続き山に戻り、覇王が逃げた痕跡を探し出すのだ!」


「御意っ!」


伝令兵は馬に乗って再び北山へと駆け出していった。その報告が終わった直後、ソキンは背後から馬が駆け寄ってくる爪音つまおとを聞く。振り返ると、それは黄金の鎧を身に纏い、海城王の黄金の剣を右手に構えたアルポート王国国王、ユーグリッド・レグラスであった。


ユーグリッド王自身もこの殺戮に参加しており、幾人もの覇王の兵を虐殺している。その黄金の剣は既に赤黒い鈍色に光っていた。


「これは陛下、ご足労をおかけしました。たった今我々ソキン軍は北陣の覇王軍を全滅させた所でございます。今は北山に向かったと思われる覇王の追跡を開始しようとしている所です。陛下はどうかこのまま王城へお帰りくださり、我々の吉報を玉座でお待ち下さい」


ソキンは慇懃無礼な態度で馬上から礼をし、王に帰参することを進言する。


だが王は首を振り、その殺気に満ちた獰猛な双眸を北の山に向けた。


「いや、俺自身も山狩りに参加する。覇王の最期の時をこの俺自身も見届けたいのだ。積日の宿敵である奴との決着をつけるときが来た。俺はこの戦争に終止符を打つため、自らの手で覇王デンガダイ・バウワーを討ち取りたい。


それが偉大なる武の名門レグラス家の血筋を受け継ぐ者としての、海城王の遺志を受け継ぐ王としての俺の使命だ!」


血気盛んな若き王は、自らも覇王の首を取ることを望む。その勇猛で偉大な覇気を纏わせた王に、大将軍ソキンも従う意志を見せる。


「わかりました、陛下。陛下がそう仰るのでしたら我々も陛下のご武運を祈りましょう。ですが決して油断はなさらないでください。もし覇王が健在で戦う力が残っているのであれば、すぐにその場からお逃げください。私と陛下はこの戦争を共に生き抜く誓いを立てているのですから」


ソキンは念を押すように主君に誓いを守ることを願い入る。アルポート王もその請願に強く頷き、必ず生きることを約束する。


「ああ、わかっているソキン。お主との誓いは必ず果たそう。だが、お主も決して無理はするな。もし覇王を見つけて奴がまだ戦えるのだとしたら、兵を集めた上で確実に奴を仕留めよ。俺もお主の武運を祈る」


そしてユーグリッド王と大将軍ソキンは軍を2つに分けて北山に進軍した。


2月28日正午12時、この長きに渡る戦争を終わらせるべく、アルポート王国4000の軍が、覇王が逃亡した白い雪山の捜索を開始したのである。

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