大将軍と夕日を眺めながら

そして2月8日の陽日ようじつは沈み、夕刻の5時となった。


ユーグリッドはアルポートの王城を出て、西地区の港の城壁の上に赴いていた。


「撃てぇッ!! 覇王の首だと思って正確にブチ当てろぉッ!!」


そこにはリョーガイの大砲部隊の兵を借りて、砲撃の最終訓練を行っているタイイケンの姿があった。


轟音は西地区の港を震撼させ、戦争が始まる前から物々しい様相を見せている。


「タイイケン、やはり訓練をしていたのはお主だったか。だが、戦が始まる前からそんなに玉を撃ってしまっては、覇王と戦う前から砲弾が尽きてしまうぞ」


ユーグリッドは城壁の階段近くから海を遠く眺め、無残な姿となった無数の空の船の残骸を見る。


ちょうど大砲部隊が全ての船を撃ち沈めることに成功したところだった。


「フン、問題ない。大砲の玉はまだ腐るほどある。多少訓練で使ったからと言ってなくなるわけではない」


タイイケンは主君の出現にも振り向かず、木屑の残骸だらけとなった海を見渡し続けている。


「お主らしからぬ発言だな。戦とは常に不測の事態が起こるもの。もし敵の工作兵が西地区の武器庫を爆破でもしたらどうする? 予備の砲弾も用意せねば、大砲は撃てなくなるかもしれぬぞ?」


王の揚げ足取りのような問いに、大将軍は振り向きもせず皮肉で返す。


「貴様が俺に戦の訓示を垂れるとはな。あの覇王に土下座して命乞いをしていた男が、随分と偉くなったものだな。どの道敵が城の中に侵入できる戦況になれば、まず先に城門が開けられ、覇王の大軍が殺到してくるのがオチだ」


タイイケンはそこで巨躯を背後にいる王に向かって翻す。海の飛沫を全身に浴びており、鎧ごとズブ濡れになっている。それはまるで透明な血潮を浴びたかのような勇ましい姿だった。


だがタイイケンはこの日纏っていたはずの戦気を既に解いていた。


「しかし貴様が大砲の予備を心配する必要はもうない。大砲の訓練は今日この日を以て最後にする。後は4日後の12日に覇王が襲来するまで、兵たちの英気を養っておくことに決めた。俺は大砲の威力と射撃性がどれほどのものか確認したかっただけだ」


タイイケンの兵練の終了宣言を聞き届けると、ユーグリッドは水たまりだらけの城壁の上を歩き、そっとタイイケンの隣に並ぶ。大男の武将と小男の王が海の前で肩を並べるその様は、まるで同じ武家の血を引き継ぐ父子のようにも見えた。


鞘に収められている白銀の2つの両手剣と黄金の1つの両手剣は束の間の眠りについている。だがその決戦の武具たちもその日に備え、戦いの英気を養っているのだった。


「とうとうここまで来たのだな、タイイケン。俺も王に成り立ての頃は覇王とここまで渡り合えるとは思っていなかった。臣下たちからの信望も全くなく、いずれはお主にも斬り殺されるとさえ思っていた」


「フン、自惚れるな。貴様はまだ覇王に勝ったわけではない。貴様の児戯に等しい剣術では、覇王の正面に立った瞬間に真っ二つにされるだろう。それに俺はまだ貴様のことなど信用していない。海城王様の仇である貴様のことなど永遠に許しはしない」


「・・・・・・そうか、やはり俺もお主ほどの将を認めさせるには、まだまだ実力不足な未熟者の王なのだな。海城王はどうやってそんな気位の高いお主の信頼を得ることができたのだ?」


「・・・・・・ユーグリッド、覇王との決戦の前に、1つ貴様に進言しておきたいことがある」


タイイケンが強引に王の話を断ち切り、突然話題を切り替える。大将軍は腕を組んだまま夕日と木屑の残骸の海を眺め、決戦の未来の光景を見据えているのだった。


「悪いことは言わん。今すぐ貴様がアルポートの南に作った農園に毒を撒いておけ。貴様が覇王を油断させるために作ったあの農園、もはや今となっては無用の長物でしかない。


持久戦で覇王の兵糧不足を誘い自滅させる戦略を取っている我々にとって、あんな敵の長期戦を無駄に増長させるだけの食料庫など邪魔なだけだ。今すぐにでもあの農園の全てを焼き払うべきだ。何なら直ちに俺が部隊を走らせて農園をーー」


「ダメだ。そんなことはできん。あの農園は覇王軍を打倒するための決め手となる策略なのだ」


タイイケンはユーグリッドの静かに自信に満ちたな発言に驚き、バッと勢いよく振り返る。


ユーグリッドは海の彼方の地平線を見ながら話を続けた。


「あれは単に覇王の隙を突くために作った農園ではない。此度の覇王の大軍が襲来する戦局を読み、予め俺が奴らを罠に嵌めるために作ったこの戦いの切り札なのだ。俺はこの決戦に勝つために、あの農園に全てを賭けている」


ユーグリッドは確信に満ちた声で答えを返し、海の大量の残骸を見渡していた。まるでそれがこれから襲来してくる10万の覇王軍の姿を映し出しているかのように。


タイイケンは、その不穏で理解不能な王の戦略に思わず疑問を投げかけてしまう。


「それは一体どういうーー」


「タイイケン、俺と海城王のことについて話しておこう。俺は今お主と四方山話よもやまばなしをしたいのだ」


だがユーグリッドはタイイケンの質問を即座に断ち切り、唐突に自語りを始めたのだった。


「かつて、父ヨーグラスは朝廷で仕えていた頃、数々の反乱王家の一族を鎮圧し、その勲功を欲しいままにしていた。その父の武功は皇帝マーレジアの目にも留まり、その帝の寵愛もまた欲しいままに賜っていた。


そしてついには海城王の称号とともにこのアルポート王国の統治を信任されたのだ。その王政は誰も彼もが認める善政を極め、父は王としての名声さえも欲しいままに手に入れていた。


俺はその偉大なるヨーグラス・レグラスの息子。俺にとって父はこの上ない誇りであり憧れだった」


ユーグリッドが海の水面の揺らめきを見つめながら、ポツポツと父への思いを語る。


その橙色の海に流れる破片は波打ちによってどんどんと岸辺へと近づいてくる。だがそれはアルポート王国の遥か高い城壁によって阻まれ、決して陸に上がることができない。


タイイケンはそのアルポート王の海城王への心情を聞き、それに呼応するようかのに自らも自語りを始めたのだった。


「・・・・・・そうだ、海城王様は偉大なるお方だった。武人としても、王としても。俺はあの方のその天才的な武芸の極みと、その忠義高い誠実なるお人柄に一目惚れし、かつて皇帝の反対勢力の王国に所属していた俺は降ることを決意したのだ。海城王様と100合以上剣を打ち合った時、俺は敵ながらその武芸に心を奪われてしまった。


やがて俺がいた国は海城王様の手により打ち破られ、我々将兵は全員縄で縛り上げられた。俺はその時既に、海城王様の多くの部下たちを斬り殺しており、その報いを受けるものだと覚悟していた。


だがその処断の時、海城王様は予想外にも我々に寛大な処置を取り決め、全ての敵兵を解放すると宣言した。反乱を起こしたのはその王家の一族であり、臣下たちはそれに従わされていただけだと、あの方はその時そう仰られていたのだ。


そしてそのまま何もその国から奪わぬまま、諸侯たちに今まで通りの地位と家柄を保証し、朝廷より送られた新たな王の元で改めて忠義を尽くせばいいと仰ってくださったのだ」


タイイケンは目を細め、自分と海城王との馴れ初めについて語り続ける。


「俺はその海城王様の心の広い御言葉に見初めてしまい、国を出ていくことを決意したのだ。俺は一族と部下たちを率い海城王様を追った。


始めは海城王様も敵の報復だと警戒していたが、すぐに誤解が解け、跪き頭を垂れる俺に手を差し伸べて下さったのだ。『タイイケン、共に行こう』と。敵将である俺の名前まであの方は覚えてくださっていたのだ。


その時俺は感動で涙が止まらなかった。そして俺は生涯この御方に忠義の限りを尽くして仕えようと心に決めた。


やがて海城王様の配下となった俺は、ますますあの御方の誠実さと武勇に惚れ込んでしまい、俺の命よりも大事な御方になったのだ」


タイイケンは懐かしむようにして過去を打ち明けながら、海の残骸の水面を鏡として、敬愛すべき海城王の姿を投影する。だが海城王はもういない。タイイケンは既にその事実を知っていた。


タイイケンはまた恋い焦がれる海城王との思い出が追憶され、失恋したばかりの女のように目には涙さえ浮かんでいた。


「ああ、海城王はお主ほどの将に認められるほど立派な男だった。20年間ずっと共に暮らしてきた俺にはその偉大さが身に沁みてわかる。


だが俺は同時に、そんな偉大すぎる父に劣等感を覚えていたのだ」


ユーグリッドは城壁の石垣の上に両腕を乗せ、遥か地平線の奥に見える夕日を眺める。


タイイケンは慌てて涙を拭い、そんな王の追想する横顔を見遣った。


「俺は大柄で健体な父のような身体には恵まれなかった。俺は武家の元で誕生しながらも、生まれつき体が弱く背が小さかった。子供の頃はしょちゅう病気にもかかり、レグラス家が得物とする両手剣さえも扱えなかった。


正直言って、子供の頃は誇り高い父の存在が煩わしくて仕方なかったのだ。俺は父が朝廷の軍人として雇われることが決まった時も全く嬉しくなかった。それがますます父の背中が俺から離れていくような気がして。


それから朝廷で父が武名を上げる度に、俺の心はますます荒んだ。その時はいっそ父が戦死でもしてくれた方が、レグラス家の家業も引き継ぐ必要がなくなり、俺も楽になれるのにと本気で思っていたのだ。俺は元々武人になどならず、何のしがらみもない平民として暮らしたかったのだ。


だが終に父は海城王としてアルポート王国の王にまでなってしまった。俺の父への卑屈な思いは、結局アルポート王国の10年間の平和な時代の中でも消えることがなかった。このままだといずれは自分が王になってしまうという事実にも嫌気が差していた。


俺は元々そんなに勇気や甲斐性がある性格ではなく、どんどん大きくなっていく父の背中を追いきれなくなってしまったのだ。最後に俺が父を殺してしまったのも、覇王が怖かったからだけでなく、その父の幻影を消したかったからだったのかもしれない」


ユーグリッドは罪を犯した自らの動機について語り終える。その打ち明けは今海の穏やかな波によって心が落ち着かされていたからこそ、そのような醜悪な心を曝け出せたのかもしれない。ユーグリッドは結局今でも父の大きな亡霊に取り憑かれているのだ。


タイイケンは憎き仇である海城王の息子に、海に向かってそっぽを向きながら、吐き捨てるようにして言った。


「・・・・・・やはり、貴様はこの上なく親不孝な男なのだな。海城王様は貴様を本当に愛していたというのに、貴様は己の弱さのために海城王様を愛することができなかったのだ。


俺にも子供がいるからわかる。親の愛情を全く何とも思わない子供が、どれだけ親を悲しませているのかわかるか? 所詮貴様は海城王様に二重に罪を犯しているのだ」


タイイケンの責め苛む言葉に、ユーグリッドは率直に尋ねる。


「・・・・・・俺が憎いか? タイイケン」


タイイケンも包み隠さず応える。


「憎い。今すぐにでも貴様を斬ってやりたい。だが、そんなことをしても海城王様はお喜びにならない。海城王様は貴様を愛している。例え息子がどれほどボンクラでも、その御方の愛情が注がれていた子供を殺してしまったとなれば、俺は結局海城王様の逆賊になってしまう。俺は海城王様の永遠の忠臣として、決して貴様を斬ったりはしない」


かつてはその息子に激高して本気で殺そうとしていた男が、自分の反意なき意志を告げる。


それを海城王の息子が聞き届けた後、二人の間には何となく微妙な沈黙が訪れてしまい、お互いに目の前の煌々こうこうとした赤い海を眺めることになる。


そんな中、ユーグリッドは今の心境について思いを馳せる。


激しく憎まれている相手であるはずのタイイケンに、これほど父への赤裸々な感情を吐露している自分の姿に、ユーグリッドは不思議に感じていた。それはただ最後の決戦を前にして、何の企みや媚びや体裁を捨てて、ただありのままの自分の姿を信頼できる家臣に曝け出したいという若い青年の望みがあったからだ。


その話相手がどうしてこの偏屈で無骨な大将軍になっているのかはわからない。ただ何となく、この目の前の大男が偉大なる父に似ているからかもしれない。


ユーグリッドはタイイケンに体を振り返らせ、夕闇の沈黙を破る。


「だがな、タイイケン。そんな不甲斐ない俺でも唯一父に勝っていると思えるものがある」


その王の唐突な誇りを持った打ち明けに、タイイケンも腕を組んだまま体を向ける。見上げた視線と見下げた視線が交差して、夕日の逆光により二人は大きな影となり見つめ合う。


「それは、知謀だ」


「知謀?」


その不穏当な言葉にタイイケンは眉根をひそめる。だがユーグリッドは自信を持ったまま自論を展開する。


「そう、知謀だ。俺はこの1年にも満たない王の在籍の期間、その知謀を以て王の座を生き延びてきたのだ。


俺はかつてリョーガイが反乱を起こそうとした時、奴の手形の判が押された誓約書を作らせることで、奴の反乱の事実を暴いた。

そしてデンガハクが大砲を奪わんと我々に脅迫をかけた時も、逆に俺が海賊王との冷戦の作り話をすることで、むしろ奴がアルポート王国の武装を容認するように仕向けた。

覇王がボヘミティリア王国から大軍を遠征させるために、わざと俺は馬鹿な王を演じて奴の油断を誘い、そして目論見通り奴の10万の大軍をモンテニ王国に送らせることに成功した。

ボヘミティリア王国の侵攻戦では、敵が大砲を破壊してくることを予測して予め偽物の大砲を用意し、カイナギンの軍隊をまんまと大砲を持っていないリョーガイの軍に誘い出した。


俺は武においてこそ海城王に遥かに劣っていると自覚しているが、知謀においては海城王を超えていると自負しているのだ」


その真っ直ぐな青年の自尊心に溢れる言葉に、タイイケンは沈黙の視線を送り続ける。その青年が話した事柄はどれも事実であり、この若き王が確かに類稀なる謀略家だと言うことは納得せざるを得ない。


タイイケンの沈黙を首肯と捉え、王は話を続ける。


「だからな、タイイケン。俺はお主が望むような気高き武人にはなれないが、代わりにこの成功を積み重ねてきた知謀を以て、この海城王が築き上げた国を守っていこうと思う。そのためには例えどんな汚い手を使ってでも守り抜くつもりだ。


誰が殺されようとも、誰が犠牲になろうとも、この国の平和が保たれるなら俺はそれに一切迷いの余地なく誇りを持つ。今は亡き海城王の覇王打倒の遺志は、俺のこの謀略を以て果たすことを誓う。


そして俺は今まさに覇王に謀略をかけているのだ・・・・・・

タイイケン、俺のこの話を信じるか?」


王のはっきりとはかりごとを巡らせているという強い意志の現れに、タイイケンは黙り続ける。それはタイイケンが信望する武道とは掛け離れたものだろう。誠心誠意を籠めて治世を守り続けた海城王の皇帝への忠義とは真逆なものだ。


だがタイイケンは、その全身全霊で覇王を罠にかけようとする若き王の言葉に頷き肯定した。


「・・・・・・いいだろう。貴様のその謀略とやらがどれだけ覇王に通用するのか見届けてやる。どの道アルポート王国は覇王に正面衝突したところで絶対に勝てない。貴様のその世迷い言のような覇王打倒の策略とやらを信じてやろう。そしてその暁に俺は貴様をーー」


タイイケンはそこで唐突にユーグリッドに背を向け駆け出した。そしてすぐさま城壁の階段へと向かう。


そして武人が階段の元にまでつくと、いきなり天を見上げて大声で叫んだ。


「ーー貴様が覇王に勝った暁には、俺が貴様にヨーグラス様の武芸を叩き込んでやるッ!! 泣こうが喚こうが寝ていようが、俺が貴様を武人として認めてやるまで、徹底的に両手剣の使い方を教えてやるッ!! 覇王だろうが海賊王だろうが、どんな敵でも切り伏せられるような実力が身につくまで、付きっきりで面倒を見てやるッ!! ユーグリッド!! 俺は貴様を本物の王にしてやるぞッ!!!」


タイイケンは宣誓の怒号を上げると、そのまま階段を駆け下りていった。


夕日の光のせいか、一瞬だけその横顔が真っ赤になっていたかのようにユーグリッドには見えた。


(タイイケンとの特訓か・・・・・・俺に平和は訪れそうにないな)


ユーグリッドは強引な大将軍との将来の光景を思い、憂いの瞳を恍惚と浮かべる。また城壁の石垣に腕を置き、漠然として夕日を眺める。後数日すれば、この安息とした時間とも、しばらく別れなくてはならない。


ユーグリッドはそのまま佇み、その赤い日が沈み切る瞬間まで潮風を浴びていたのだった。

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