生き急ぐ欲深き老将

リョーガイとの財政相談で悪態の付き合いが終わると、ユーグリッドはアルポート王国の玉座の間に訪れていた。


本日の朝の諸侯会議は既に終わっており、今日はもう玉座の間に諸侯が集まる予定はない。


謁見間の支柱に掲げられている行灯あんどんの火も全て消えており、昼の12時だと言うのに不気味で薄暗い雰囲気が醸し出されている。


だがそんな玉座の間の中央に、静かに座して沈黙を貫いている男がいた。彼の者の名はソキン・プロテシオン、アルポート王国国王ユーグリッド・レグラスの重鎮であり、王族レグラス家の一族に名を連ねるプロテシオン家の長であった。


その老将は細い両の瞼を閉じており、瞑想し深い精神統一を行っている。


その厳粛で風格ある知勇兼備の将の様相は、王であるユーグリッドでさえ声をかけることが躊躇われた。


「陛下、あなた様もこちらにおいでになったのですね? 何となくそのような予感はしておりました」


ソキンは目を閉ざしたまま王に声をかける。その胡座の姿勢は一分たりとも乱れない。


「わかるのか、俺だということが? 俺は足音さえ立てたつもりはないのに何故俺だとわかったのだ?」


ユーグリッドは不思議に思い重鎮に尋ねる。まるで鋭敏な狩猟動物のような感覚の鋭さだ。


「気配、でございます。その威風堂々とした気品ある風格はまさしくこのアルポート王国国王ユーグリッド・レグラス様にござりまする。


私はあなた様の重鎮としてその御身を外敵から守り続けた者。あなた様の王たる才覚のある風格は、このソキンの老いたる外皮や心臓にも深々と身に染み渡って感じ取ることができるのです」


その慇懃無礼すぎるほど王を褒めちぎる老将は、柔和な眠り姿を崩さず自らの忠義を伝える。


王は一歩ずつ足音を立てぬように残りの階段を上り、その臥竜がりょうのような重鎮の目の前に立った。


ソキンはその王の到着の直前で立ち上がり、すぐに左手の上腕に右手を添えて王に一礼をする。


「・・・・・・ソキン、覇王の軍勢がボヘミティリア王国から発った。4日後の2月12日に覇王軍がアルポート王国に襲来する」


「ええ、存じ上げております。なればこそ私はその闘志を削がぬようにこうして誰もいない玉座の間で瞑想を行っていたのでございます。陛下はいかなる御用でこの玉座の間にいらっしゃったのでございましょうか?」


ソキンは礼の姿勢を崩さぬまま王に問う。その柔和な瞳からは、一見しただけではわからぬほど覇王との戦いへの覇気が籠められている。殺意さえみなぎっており、老齢の武人は生き急ぐかのように覇王との決戦を待ち望んでいた。


「・・・・・・ソキン、少し話そう。今後のアルポート王国についてだ」


ユーグリッドはその老将の殺気立った気配をあえて無視して、別の切り口から話を始めた。


「キョウナンは俺の子供を身籠った。医者の話によれば後5ヶ月後の7月には子供が生まれるそうだ。男か女かはわからない。


だが、俺はその子がどんな子であろうと偉大なる海城王が築き上げたレグラス家の家名を継がせるつもりだ。例え俺がこの先女の子しか授からなかったとしても、アルポート王国の女帝として王の位をいずれは譲るつもりだ。


その大切な俺の子をお主にも後見人として成長を見届けてもらわねばならない。お主とて、名誉あるレグラス家の子孫の顔を見たいであろう?」


王は蛮勇とも言える重鎮の殺伐とした戦意を宥めるように、アルポート王国の次世代の後継者の介添えを言い渡す。


だが王の予想に反して重鎮は首を静かに横に振ったのだった。


「・・・・・・申し訳ございません、陛下。私はあなた様の御子の摂政となることはできかねます。何分私ももうこの年でございます。永遠に生き続けアルポート王国にお仕えすることは不可能なのです。


私は武家の名門レグラス家と名を連ねる王家の一族となりましたが、所詮は老い先短い儚い人間の身。例え陛下の御子がご誕生なさられたとしても、そのお世継ぎがアルポート王国の立派な聖人君子としての人格を備え、時代の名君となる日までお見届けすることができないのでございます。


私めの体のことは私めが一番よくわかっております。私はこの先もう長くは生きられません。どうかこの私めの、レグラス家3代に渡ってお仕えすることができぬ不甲斐なきこの身をお許しください」


言葉を重ね、重鎮は王に丁重に断りの返事をする。


そして王はその義理の父の不穏な態度を察して、ついにその本心を問い質したのだった。


「もしやお主は、4日後の覇王との決戦で死ぬつもりなのか?」


王は包み隠さず単刀直入に聞く。


重鎮は静かに礼の姿勢のまま目を伏せ、率直な答えを返す。


「・・・・・・はい、いざという時は私めがアルポート城から突撃し、覇王と差し違いになってでも覇王の首を討ち取る所存でございます」


その重鎮の割り切ったような態度に、王は静かに怒りを示した。


「何故だッ!? お主とてキョウナンの婚姻には喜びを示していたはずだ! お主が死ねばキョウナンが泣くぞ!?」


だが、ソキンは固く意志を変えず首を振る。その目に宿るのはもはや一介の父親としての優しい愛慕ではなく、一介の武人として生涯を終えたい一人よがりな欲深き老将の武名欲だった。


「・・・・・・お許しください、ユーグリッド陛下。私もやはり武人なのでございます。娘への平凡な愛よりも、歴史に名を残す己の栄光が欲しいのでございます。私めも己が愚かで身勝手な頑固者であることは自覚しております。


ですが人の長年培われてきた業というものは変えることができぬもの。私めはこの欲に溺れきった己の人生を、例えそのまま沈み逝くとしても、最期まで泳ぎきりたいのでございます。


ですからどうか、その時が来ましたら私めに突撃のご命令をーー」


「ふざけるなッ!! お主の身勝手な欲望にこれ以上おキョウを振り回されてたまるものか!!


いいかッ、よく聞けソキンよ!! そんなに俺の命令が欲しいなら今この場でくれてやる!! おキョウを泣かせるような真似はするなッ!! 覇王との戦場で必ず生き延びよ!!」


王の大喝の如き絶対なる勅命が、ソキンの老骨に鳴動となって響き渡る。


その王の恐ろしいほど威厳のある一喝は、ソキンにとってはもはや己の人生全ての玉砕命令を下されているも同然だった。


「・・・・・・それは、真に成し難きご勅命にござりまする」


その王の横暴とも言える命令に、思わずソキンは礼をしていた顔をあげる。左腕に右手を添えたまま直立姿勢を取り、外面は平静を装っているが内心ひどく狼狽うろたえている。


だがユーグリッドは畳み掛けるように死に急ぐ老将に説教をした。


「・・・・・・いいか、ソキン。よく聞け。お主はこのユーグリッド・レグラス王の重鎮であり、アルポート王国を長きに渡って支えなければならないこの国の天柱とも言えるべき男だ。お主の命はお主だけのものではない。このアルポート王国の命であり、お主の娘のキョウナンの命であり、そしてアルポート王国国王のこの俺の命である。その掛け替えのない命を投げ捨てるということは、我々アルポート王国の全ての命を奪うということだ。


いいか、ソキン。お主のその罪深きほど肥大なる名声欲は、かつて海城王が朝廷で仕えていた時代に築き上げた、偉大なる武名への劣等感の裏返しに他ならないのだ。お主は嫉妬深く、けれど保身的で、その歪な感情が誰よりも大きくなってしまったのだ」


王の率直な指摘にソキンは沈黙する。その言葉は図星であり、反論を返すことができなかった。


ユーグリッドは老将の説得のためにそのまま話を続ける。


「だが、お主は自分で思っているほど矮小なる人間ではない。海城王の10年間に渡るこのアルポート王国における治世の中で、誰よりも海城王の傍につき、誰よりも海城王の国がため粉骨砕身を重ねてきたのだ。その人望は深く、誰からの信頼も得て、そしてその功績が誰からも称えられた。そしてお主はついに海城王の重鎮として選ばれたのだ。


その功労は深く長きに渡りアルポート王国に浸透しており、お主の重鎮としての信望は海城王の2代目であるこのユーグリッド・レグラスにも認められているのだ。その二人の誇り高き王の信任を得たということは、誰も比肩しうることができない国士無双の栄誉を勝ち取った証なのではないのか?


お主は目先の武功を追い求めるあまり、自らが築き上げてきた堅実な国士としての栄光を見失おうとしている。


お主は歴史に名を残したいと申したが、決して歴史とは華々しく一騎当千に敵将を打ち破った豪傑だけを称えるのではない。その実直な志に裏付けされた、主君への貫徹した忠義と功績を示してきた歴年の功労者にも賞賛が贈られるものなのだ。


その粘り強き才能は決して誰でも達成できる凡庸なものではない。お主は長年に渡って成果ある労苦と強い忠誠を、アルポート王国の2代に渡る王たちに注ぎ込み、この世で類まれなる名誉を既に手に入れているのだ。


良いか、ソキン。決してお主は歴史から無視をされるような無才な男ではない。誰にも成し得ることができないお主が持つ唯一無二の誉れを、決して無駄にするな。


アルポート王国に長きに仕え、そして大往生を遂げよ。さすればお主はこのアーシュマハ大陸の歴史に名を残す忠義の将として、永世の世の人々の目にも触れる時代の殊勲者しゅくんしゃとして名を馳せることができるのだ」


ユーグリッドは掛け替えのない大切な家臣の心情を汲み取り、その類まれなる名誉の功労を賛美する。


そのアルポート王国の忠義の将ソキンは、しばらく礼をしていた右手を己の額に当てて考え込み、深く己の欲と対面を果たした。


だがついにその手は解かれ、いつもの慇懃無礼な物腰ではなく、一人の名誉ある国士としての矜持を抱いた、堂々たる将の立ち姿を王に見せたのである。


もはやソキンの瞳には生への欲が溢れている。自分が築き上げてきた二つとない栄光に気づき、その堅実だか確かに誇るべき己の人生を守り抜くことに誓いを立てた。垂れ下がっていた両の瞼は鋭く釣り上がり、武将として、父として、そしてアルポート王国の重鎮として生き抜く道を選択したのだ。


「陛下、申し訳ありません。私は己の足跡の中にあった誉れにずっと気づくことができませんでした。陛下、あなた様のご勅命とあらば、このアルポート王国の未来を支える将、ソキン・プロテシオンは全力で覇王との戦場を生き抜くことを誓いましょう。


それこそが、我が主君ユーグリッド・レグラス様を守り、我が一族プロテシオン家を守り、そして我が娘キョウナン・レグラスを守り抜けるたった1つの正しき道なのです。


そして私は今、自分が万人の人々に誇りうれる人生を歩んできたのだと、自信を持って天寿を全うできるアルポート王国の志士なのだとやっと理解できました。


これから私が未来に赴く戦場は全て、死ぬために戦うのではなく、生きるために戦うのです。私はもう老い先が短いからと生きることを諦め、自分の人生から逃げることをもう終わりにします!」


ソキンは抜剣をし薄暗い天井に刃を掲げる。そしてその気高き一本の剣で己の命を守り抜く自らの約定やくじょうを決する。


ユーグリッドも海城王の黄金の剣を抜剣する。天に掲げ、生きることに目覚めたばかりの忠臣と同じ誓いを立てる。やがて二人は、黄金の剣と白銀の剣の刃を合わせ、互いにその誓いの結束を確かめあった。


「生きよう、ソキン!! このアルポート王国の未来のために!!」


「ええ、ユーグリッド様!! 私はあなた様とあなた様の御子を守るため、必ず覇王との決戦で生き抜いてみせます!!」


薄闇の中、太陽の光が差し込むように剣の光沢が眩しく照る。


その黄と白の薄明かりの光は、いずれこのアルポート王国の未来も照らす大きなきらめきとなるだろうと二人は信じ合う。やがてアルポート王国の志士たちは、剣を静かに収め玉座の間を去る。己たちが生き残るべく、アルポート王国を守る戦場の道へと進んだのだった。

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