モンテニ王国からの転身

時はさかのぼり、1月20日昼1時、覇王デンガダイはモンテニ王国の守りの最終関門である、急峻な岬の前に陣を構えていた。


モンテニ王国に10万の遠征軍が到着した13日の日から、電光石火の如く覇王軍は山脈の第一関門、湖の第二関門を突破していた。


覇王軍によるあまりに強引な山の焼き討ちや湖の埋め立てはモンテニ軍に衝撃と恐怖を与え、皆ろくに覇王軍と戦うこともなくモンテニ城へと逃げ戻ってしまったのである。


そのため覇王軍にはほとんど犠牲者が出ておらず、依然として10万の軍でモンテニ王国侵攻を続けていたのである。今は岬の坂道で岩流しの盾部隊を突撃させ、モンテニ城から転がり落ちてくる岩攻めの攻撃を受け流している。


この第三関門においても覇王軍に犠牲者はほとんど出ておらず、今モンテニ王国の城塞側では岩を転がす頻度が急速に減ってきていた。もはや彼の者たちの城の中には岩攻めのための岩がなくなってきているのだ。


覇王はそのことを看破し、10万の軍を一斉に岬の上のモンテニ城へ雪崩れ込ませる時節を待ちわびていた。


「ご、ご注進ッ!! 覇王様にご注進ッ!!」


覇王が岬の前で黒馬に乗って待機していると、突然伝令兵がやって来て、馬の隣の前に跪いて叫んだ。


「何だうぬは? うぬは確かアルポート王国の所の内偵だったな。また何か空騒ぎをしにきおったのか?


だが今はアルポート王国の情報などいらん。今はモンテニ王国との決着を着ける乾坤一擲けんこんいってきの勝負の時。余計な軟弱国の情報などに惑わされ、兵たちの士気を乱すわけにもいかぬ。


邪魔だ、さっさと下がれ」


覇王は羽虫でも追い払うかのように伝令兵に向かって無下に手首を振る。


覇王は3日前からアルポート王国の不審な動きについての報告を内偵から受けていた。だが覇王はどれも偵察部隊たちが何か勘違いしているのだろうと考えていた。


いきなりアルポート軍が遠征の準備を始めたという報告に対しては、どうせアルポートの外で軍事演習でも行うのだろうと考え、アルポート軍が突然攻城兵器を大量に軍事工場から出したという報告に対しては、どうせ兵器の定期検査でも行っているのだろうと考えた。


覇王は完全にアルポート王国を侮り、ボヘミティリア王国に向けて侵攻してくるなどとは露とも予期してなかったのである。


「い、いえ、それが、アルポート王国3万5000の軍が、ボヘミティリア王国に向かって遠征を開始したという報告を受けました! 全部隊が武装しており、大量の攻城兵器の運搬も確認されております!」


「!!!!」


思わず覇王は一炊之夢いっすいのゆめから覚めたかのように目を見開く。黒馬より崖から落下するように飛び降りて、伝令兵の胸ぐらを乱暴に掴み上げる。


「おいっ、その情報は確かなのだろうな? 敵が別の場所に向かったという可能性はないのか? もしこれが誤報だったら、うぬは八つ裂きでは済まさぬぞ?」


「は、は、は、はいっ!! 間違いありません!! ユーグリッドは今ボヘミティリア王国に侵攻を始めております。他の仲間の内偵たちも敵が東に向かって進軍するのを確かに確認しており、いずれその詳細な情報を、覇王様にお伝えするはずです!!


今すぐ覇王様が国に戻らねば、ボヘミティリア王国はきっと滅亡の危機を迎えてしまうでしょう!!」


「・・・・・・・・・・・・」


わなわなと怯えながら報告を続ける伝令兵の話を、覇王は猜疑の眼差しで見つめる。だがやがてその巨大な手に持たれた小さな兵の体を地面に放り投げる。強かに地面に尻を打ちしばらく立てなくなった伝令兵を尻目に、覇王は考え込んでしまう。


「あ、兄上ッ!! やはりユーグリッドは我々ボヘミティリア王国の留守を狙っているのでは!?」


次弟のデンガハクは額に汗を流し、血相を変えて覇王に訴えかける。


覇王は弟の深刻な呼びかけに対してもなおも迷いを見せていた。


「わからぬ。だが、まだ情報は確定しておらん。今はモンテニ王国の攻略を優先すべき時。この戦いのために金も物資も莫大にぎ込んでいる。何としてでもこの山守王との決戦に決着をつけねばならぬのだ。城も落とさず、今更引き返すわけにもいかん」


「・・・・・・・・・・・・」


馬上のデンガハクは覇王から目をそらして黙り込む。もはや兄の続戦の決定が正しいものかどうか自分でもわかりかねていたのだ。だが、弟のデンガキンが敵にくびり殺される光景が頭の中によぎり、いつもは自信家であるはずの次兄は平静ではいられなくなっていた。


そして時は過ぎ、とうとう覇王の疑念が確信に変わる時が来てしまった。


「ご注進ッ!! ご注進ッ!! アルポート王国3万5000の軍が真っ直ぐ東に進軍しており、ボヘミティリア王国へと向かっております!!」


2時間後、4時間後と過ぎ、伝令兵たちが再三同じ情報を覇王に伝えたことで、ようやく覇王はユーグリッドが本当にボヘミティリア王国を攻めているのだということを理解する。


覇王はその巨躯をわなわなと震わせており、蟻の群れが象の群れに様変わりしたかのような信じられない報告に驚愕している。そして覇王は全身から大量の冷や汗を流し、肝という肝を冷え切らせていた。


「あ、兄上ッ!! やはりユーグリッドが我々のボヘミティリア王国に攻めているのです! 早く我々が戻らねば、キンの命が危ないッ!!」


デンガハクが絶叫するように覇王に撤退を勧告する。もはや目の前のモンテニ王国との戦争になど目をれていない。


「わかっておる!! 国を1つしか持たざる今、我々はボヘミティリア王国を落とされるわけにはいかぬ!!


全軍撤退せよぉッ!! 退却の陣太鼓を鳴らせェェッ!!」


覇王軍の陣太鼓が一斉に退却の律動を刻む。


岬にいた岩流しの盾部隊も、突然の撤収命令に戸惑いながらも、何とか岩を捌きながら坂下へと後退した。


敵軍のモンテニ王国の追撃の可能性すらも視野に入っていない覇王の慌てぶりは、その撤退が如何にボヘミティリア王国が危急の時であるかを、兵士たちに予感させるには十分な変貌ぶりだった。


落城の危機を迎えていたモンテニ王国の城壁の兵士たちは、その虎の洪水が引き下がっていくのをただ恍惚として眺めていた。死体だらけの城壁の上で膝をガクンと落とし、温かい涙が自然と流れていた。7日間に渡る覇王との激戦がついに終わり、やっと覇王軍にまた勝つことができたのだと感動して腰を抜かしている。


1月20日午後5時、覇王軍は圧倒的に優勢だったにも関わらず、全ての軍をモンテニ王国から引き上げ、ボヘミティリア王国へと帰還していった。


夕闇の落日がモンテニ王国の岬に訪れ、絶壁の断崖の下でさざなみが岩を打つ音だけが静かに聞こえてくる。遥か遠くに見える蜜柑色をした海の水面みなもは、穏やかでありしとやかであり、人の争いなどなかったかのようにキラキラと光って揺れている。


その夕焼けの広い海にたった一羽、ウミネコが影となって飛んでくる。終戦の合図を告げるかのように、「ミャー」というモンテニ王国の日常を象徴する鳴き声が空に響いた。

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