大砲という名の呪い

「引けぇっ!! 俺たちの軍はこのまま撤退するぞぉっ!!」


1月25日午前11時頃、ボヘミティリア王国西門前の平原にて、突然前衛で陣を構えていたリョーガイが撤退令を出した。


その時はちょうど、リョーガイ軍が並べた20門の大砲を破壊せんと、カイナギン軍が半距離ほどに迫った時だった。


リョーガイは赤い鎧姿を早々に翻し、カイナギンと戦いもせず後陣へと引き返していく。


周りにいたリョーガイの兵士たちも主に遅れまいと一目散に逃走した。後に残ったのは、砲撃部隊すらいない丸腰の大砲20門の並列と、リョーガイが前方に出ることを命じた500兵の大盾と槍の部隊だけである。


(何だ? リョーガイが大砲を置いて急に逃げ出したぞ。大砲は敵にとってもこのボヘミティリア城攻略の切り札のはずだ。臆病風にでも吹かれたのか?)


敵軍の全くやる気のない気概のなさに、カイナギンは一瞬混乱する。だがこれは好機。敵の大砲さえ破壊してしまえば、劣勢を極めるボヘミティリア王国にも勝機が生まれるのだ。この無防備な大砲を壊せる千載一遇の時は今しかない。


(よし、敵が戦う気がないのならこっちにも好都合だ。リョーガイは所詮商人。雑魚になど構わず大砲を壊すことだけに集中しよう)


カイナギンは早々に決断を下し、目の前の敵の迎撃部隊に馬を迫らせる。


「オラアァァッッ!!」


猛々しい掛け声とともに、身の丈ほどもある金棒を馬上から振り上げる。渾身の一撃は盾兵の一人を迎撃部隊の後陣まで吹き飛ばす。


その人間の弾丸が放たれたことで、一気に迎撃部隊の1つの列に穴が開く。リョーガイの迎撃部隊の兵たちが一斉に後ろに倒れ込み、そのままカイナギンの騎馬隊の雪崩に巻き込まれ踏み殺された。


列の空いた周囲の兵士たちはそのカイナギンの獰猛な一撃に一瞬で恐慌状態に陥る。


「このまま進めぇっ!! 大砲の破壊だけに集中するのだぁっ!! 火薬玉を用意しろぉっ!!」


カイナギンの号令に一斉に騎馬隊たちがあぶみの側面に取り付けられた火薬玉の1つを取り上げる。その導火線を握ったまま馬を駆らせ大砲の前に止まる。


「よしっ、全員火を付けて一斉に投げ込めっ!! そのまま次の大砲まで進むぞぉっ!!」


カイナギンを含む騎馬部隊が一斉に鐙の側面の行灯の火に導火線を近づける。ヂリヂリと炸裂までの秒読みの音を刻みながら、兵士たちが紐を慎重に持ちながら、大砲を囲んで一斉に空洞の中に放り込む。


その人間が3人ほど入れるほどの砲身の奥には白い玉が女王蟻の卵のように積め込まれた。


「このまま2部隊に別れろっ!! 俺は右に進むっ!! お前は残り半分を連れて左に行けっ!!」


カイナギンとともに出撃した将に命令をし、騎馬隊は川にいわおが落ちたかのように一斉に左右に分かれる。炸裂音が響く。その方向を確認している暇はない。


(よし、まずは1つ破壊したぞっ! 敵の第二陣が来る前になるべく多く破壊せねば!)


カイナギン軍の騎馬隊はどんどん大砲に火薬玉を投げ込んでいった。


晴天を裂くほどの破裂音が響き、空には黒い破片の群れが宙を舞う。


そしてカイナギン軍が合計6つの大砲を破壊した時、リョーガイ軍の後陣から鬨の声が聞こえた。


(くっ、もう来てしまったか!? まだ半分にも到達していないというのにっ!)


カイナギンは取り急ぎ次の大砲へと移動する。


カイナギンが引き連れる騎馬隊は現在20騎ほど、1万の兵を持つリョーガイ軍に囲まれてしまっては一溜りもない。


だが、カイナギンの背後からも鬨の声がした。後方からカイナギンが引き連れてきた歩兵部隊が合流したのである。その数は500兵ほど。しかしカイナギンはある違和感に気づいていた。


(おかしい・・・・・・俺はこの者どもにリョーガイの迎撃部隊を相手にするように命じたはずだ。その交戦しているはずの部隊が何故ここにいるのだ?)


「おいっ! 前方にいた敵部隊はどうしたっ!?」


思わず破壊作業を止めてカイナギンが兵に尋ねる。


「はいっ! 敵の部隊はほんのしばらく我々と交戦すると、左右に分かれて一斉に逃げました!」


「逃げただとっ! リョーガイの部隊とは臆病者しかいないのか!?」


カイナギンはあまりの敵の情けなさに、この地獄の中だと言うのに思わず失笑してしまう。


だがそれなら好機。前方から迫ってくる敵軍に対処できる。


「お前たちはこのまま前へ突撃し、敵の第二陣を迎え討てっ!!」


「は、はいっ!」


その玉砕命令に兵士は従順に返事した。もはやこの西門からの出撃命令が下された時から、兵士たちも皆死を覚悟していたのだ。東西南北八方塞がりでアルポート軍に包囲されてしまっては、もはや誰も逃げ出そうとなどとは考えない。500の歩兵が雄叫びを上げながら、迫りくる敵軍に突撃する。


「火薬を投げ込めっ!! 次に行くぞっ!!」


しばらく7つ目の大砲の前に止まっていたカイナギン軍の騎馬隊が、一斉に火薬を投げ込む。更にカイナギンは騎馬隊を2つに割いて、10騎を一番奥の大砲にまで走らせた。


そしてそのまま、カイナギン軍は全体で13門の大砲を破壊した。


それと同時に、リョーガイ軍の500兵の一団がカイナギンの騎馬隊へと突撃してくる。


(今の所は順調だ。だが敵軍がもう目前に迫って来ている。俺が放ったた歩兵部隊ももう全滅してしまったのだろう)


カイナギンは大砲の破壊工作を一端中止し、騎馬隊10騎に命令する。


「全員火薬に火をつけろぉっ!! 紐を振り回して敵軍に投げつけろぉっ!!」


騎馬隊10騎が決死の覚悟で導火線に火を付ける。一人でも投げるのが遅れれば体が破裂するのはこちらの部隊だ。火薬の玉が分身するほど高速に遠心力を付けて周回する。


「今だっ!! 投げろぉっ!!」


カイナギンの投擲とうてきの合図に、一斉に白い玉が敵軍を襲う。最前衛にいた突撃兵はボヘミティリアの地の砂埃を巻き上げながら、赤い血しぶきと桃色の内蔵を飛び散らしながら弾け飛ぶ。前方から迫っていた500の敵部隊が思わず進軍を停止する。


「紐を短くちぎれっ! そのまま火をつけろっ!! すぐに敵に投げろぉっ!!」


一瞬の失敗も許されない危険な号令に、騎馬隊10騎は紐を引きちぎる。もはや長さなど気にしている余裕はない。そのまま行灯に腕を伸ばし、着火した瞬間に玉を投げる。いつ自分の手が引きちぎられるかもわからない無謀な攻撃を何度も繰り返し、必死で爆裂を轟かせる。


停止していた500の軍はその猛攻についにおののき、陣を後退させた。


「ひ、引けぇっ!! 敵は爆弾を持っている!! 無駄な消耗は避けるのだぉっ!」


将が騎馬隊に近づくことすらできず、そのまま蜻蛉とんぼ返りに軍を引き上げる。


決死のカイナギンの騎馬隊にもはや恐れるものなどない。カイナギン軍はリョーガイ軍の一団を退けることに成功した。


(何とか敵軍を追い払うことができた。だがこれでもう火薬玉の残りも少なくなってしまった。完全に大砲を破壊することは諦めるしかない)


「部隊を2つに分けるっ! お前達は奥の大砲まで走れぇっ!!」


騎馬隊10騎は更に5騎ずつに分かれ、半分がカイナギンの元から去っていく。残り7門。カイナギン側の右陣の大砲は後4つとなった。


(左に進んだ工作部隊は上手くいっているだろうか? それを確認する時間はもはやない。だが最期まで俺たちは足掻き続けるぞっ!!)


カイナギンは5騎の騎馬隊を連れて走り出す。もはや部下たちには火薬玉は残っていない。カイナギン自身も後5玉しか残ってなかった。そして次の大砲の元に着き、カイナギンはためらうことなく残りの5玉に一斉に火を付けた。これで破壊できるかはわからない。だが確認する暇もなく次の大砲に移った。


(ん?)


馬を駆けらせると、前方に放ったはずの15騎の騎馬隊たちがいる。


その者たちはまだ健在な大砲の前で途方に暮れ、一様に馬上から黒い塊を見下している。


「どうしたっ!? 何故爆破しておらぬのだっ!?」


「も、申し訳ございませんっ!! 火薬玉が尽きてしまいましたっ!!」


「何だとッ!!」


カイナギンは予想外の言葉に驚く。あれほど携えてあったはずの火薬玉を全員が失ってしまったのだ。だがカイナギンはすぐに冷静さを取り戻し馬上から飛び降りる。


「どけっ、俺が破壊するっ!! 奥のものは全て破壊したのだな!?」


「は、はいっ! 火薬を投げ込み破壊しました!!」


金棒を大上段に構えたカイナギンに兵士が答える。


(よし、ならば右側は後これ1つだけだ。左側の部隊の破壊も上手くいったなら敵の大砲を全て破壊できたことになる。これでボヘミティリアにも勝機が生まれるぞ!)


カイナギンは渾身の力を振り絞り、金棒を振り下ろした。


大砲は一撃で瞬く間にでひしゃげ、もはや鉄の玉が入る隙間もなくなってしまった。


だが、カイナギンはその時気づいてしまった。そのあまりの敵軍の大砲の異常さに。


ひしゃげた大砲には蜘蛛の巣のように大きなヒビが入っていた。だが、その大砲の殴打には全く手応えがない。鉄とは思えぬほどに、それはあまりにも柔らかかったのだ。


それはまるで子供の悪戯、子供の玩具。その泥濘ぬかるみを踏んだかのような感触に、一瞬でカイナギンの顔が青ざめる。


そして騎馬隊たちもそれに気づき、そのおかしな黒い物体に一瞬で絶望の顔色を見せたのだった。


「な、何だこれはッ!?」


思わずカイナギンは声を上げ、大砲の砲身を引きちぎる。


そう、それは幼い子どもでも簡単に千切れるほどにあまりにも脆い材質だった。カイナギンもそれで子供の頃遊んだことがある。それは子供の力でも変幻自在に形を変えられる遊具、粘土だった。


引きちぎられた破片の塗装が剥がれ、それが漆の黒い樹液を塗りたくり、大砲のように見せかけただけの張りぽてだったことがわかる。


カイナギンは右手に持っていた金棒をカラカラと落とす。かつていかなる戦況の時でも、冷静沈着に城を守り続けてきた名将の面影が消えていた。


「お、俺たちは、こんな玩具の大砲のために、命懸けで城を出たというのか・・・・・・」


もはやデンガキンに力強く勝利の希望を謳い上げていた自分自身の姿はどこにもない。例え自分が死んでも、この城を守りきれる可能性はあると信じて戦いを続けてきた。


だが、結局そんなものは霞を掴み取るほどの夢すら見させてはくれなかったのだ。怒りも悲しみも悔しさも湧いてこず、ただカイナギンから全ての感情が失われていく。そしてカイナギンは更なる絶望を押し付けられた。


「か、カイナギン様ッ!! アレをッ!!」


部下の一人が空を指差し、カイナギンに向かって叫ぶ。


何の感情も宿らないまま不意に首を動かしてそちらを見る。


すると、敵西陣の後衛で黒い煙が3つほどモクモクと上がっていた。そう、それは戦を経験してきた者であればすぐにわかる。それは敵軍が別の敵軍に何かの合図を送るための目印だ。何か敵ははかりごとを巡らせている。そんなことは城守の名将であったカイナギンにも瞬時に理解できたことだった。


だが、そこからは何も思いつかない。もはや部下の騎馬隊ですら悟ってしまった事実に、カイナギンは気づくことができなかった。そしてカイナギンは絶望の底を見る。


ドゴオオオオオオンッッ!!!


突然、北の城門から耳が張り裂けるような轟音が鳴り響いた。その威力が凄まじく、北門から離れているはずの西門からですら、ここまで突風が巻き起こったのではないかと錯覚してしまうほどだった。


それはカイナギンが、デンガキンが、そしてボヘミティリア王国の全ての兵たちが恐れていた筒音つつおとだった。


「大砲を撃てェェッッ!! 城門をこじ開けろォォッッ!!」


北門の将の怒号が天を裂く。そう、その号令を放ったのはリョーガイではない。アルポート王国の王家一族の老将、ソキン・プロテシオンだった。彼の者は昨日の夜の間にリョーガイの大砲部隊を、秘密裏に自軍の北陣に取り入れていたのだった。


カイナギンの目の前に現れたリョーガイの大砲部隊は、何の訓練も受けていないただ玩具を運んだだけの兵隊だったのだ。


カイナギンはそんな事実にすら未だに気づいておらず、ただ晴れやかに澄み切った空に響く殺戮の音を聞き続けた。


けれどその何度も地鳴りを起こす轟音の突風は、ボヘミティリア王国の全てを震撼させていたのだ。


カイナギンは動かない。考えない。体も頭も働かない。そしてその完全に木偶の坊になった隻眼の将は、自分の命の危機が迫ってきたことすら気づけなかった。


西の後陣からまた鬨の声が聞こえてくる。その5000の軍隊は、獲物を八つ裂きにせんとする虎の如く、カイナギン軍という子羊の群れに猛進する。


その先陣を切る者は、昨日の夜の内にリョーガイ軍と合流したアルポート王国最強の武人、タイイケン・シンギである。タイイケンは既に双剣の大剣を抜いており、裸の兎同然となったカイナギンの部隊に襲いかかる。


「かかったなカイナギンッ!! 貴様らが大砲を狙ってくることなぞお見通しよッ!! ユーグリッドが作らせた偽物にまんまとかかったな!!」


タイイケンは冥土の土産のように、カイナギンに策略の事実を打ち明ける。


カイナギンは落とした金棒すら拾い上げることもせず、ただ走馬灯のようにこの一戦の敗北の理由に思い至ったのだ。


(・・・・・・そうか、敵軍は我々の軍を誘い出すために二重に囮の軍を張っていたのだな。タイイケンの明らかに不審な投石機の防備の手薄さによって我々の囮の軍を誘い出し、そして我々が敵の本命だと思っていたリョーガイですら囮に使って、我々の残りの兵力を誘い出したのだ。


大砲の所持者がリョーガイだからといって、リョーガイの軍が大砲を撃ってくるとは限らない。我々はリョーガイが大砲の訓練をしていたことや、リョーガイが全く軍を動かさなかったことで、完全にリョーガイが大砲を撃ってくるものだと思い込まされていたのだ。


ユーグリッドは我々のその固定観念を看破し、全く我々が警戒していなかったソキンにリョーガイの大砲を預けていた。ユーグリッドはアルポート王国が大砲を所持しているという情報を我々が握っていることすら利用して、予め偽の大砲をこの戦に備え用意していたのだ。


偽の大砲で我々の破壊工作部隊を誘き出し、ボヘミティリア城内の兵力を使い切らせる。そして我々の予備兵力ががら空きとなった所で、本物の大砲でボヘミティリア城を攻略する。それこそが奴の真の狙いだったのだ。


ああ、なんという恐ろしい男だ。これほど戦の大局を見極められる男が暗愚であるはずがない。思えば急にボヘミティリア王国にユーグリッドの馬鹿な噂話が入ってくるようになったのも、奴が覇王様を油断させてボヘミティリア王国から大軍を送らせるための罠だったのだ。


このボヘミティリア王国の戦争は決して突発的なものではない。全てユーグリッドという謀略の王が仕込んだ必然の敗北だったのだ。奴の神算鬼謀の頭脳は覇王様の天下統一を阻む最大の難敵とすらなりかねない。


だが俺はもはやその事実をお伝えすることすらできず、ボヘミティリアの地で朽ち果ててしまうのだ。


ああ、デンガダイ様、どうかこれ以上ユーグリッドを侮りなさるな。奴の謀略の手のひらで踊っては、例えあなた様といえどこのボヘミティリア王国のように破滅を迎えてしまうでしょう。決して、決してユーグリッドを、何も反抗できない、ただの弱くて臆病な王だとお思いなさるな・・・・・・)


最期に警告の想念を主君に届かぬまま思い浮かべると、カイナギンの首が飛んでいた。


猛将タイイケンの双剣が十字に切り開かれ、一瞬で20騎の部下ともども隻眼の将は討ち取られたのだ。もはや無傷の右目にすら光は宿っていない。


そしてカイナギンが全ての光を失ったように、これからボヘミティリア王国には本当の絶望が訪れるのだ。大砲の音は止まらない。


ユーグリッドの虐殺が今始まる。

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