第三部 ~ボヘミティリア王国侵攻編~

アルポート王国のボヘミティリア王国侵攻

「ナ、何だってッ!!! アルポート王国の全軍がこのボヘミリティリア王国まで攻めて来ているだとッ!!」


1月20日の昼、その報告が玉座に座るデンガキンに知らされた時、ボヘミティリア王国の諸侯たちは震撼した。


ボヘミティリア王国の覇王軍は今モンテニ王国に10万の大軍を遠征しており、武官の諸侯たちのほとんどが出払っていた。今ボヘミティリア王国に残っている臣下たちのほとんどが戦いを知らぬ文官であり、武将として兵を率いて戦える者は今わずかしか存在しない。


遠征を進めるアルポート軍の兵力は3万5000にも上り、対してボヘミティリア王国に残っている兵力はわずか1万程度。つまりボヘミティリア王国は自軍の3倍以上もの兵力を持つ敵軍と相手をしなければならなかったのである。例えボヘミティリア王国が堅牢な巨城と言えど、この兵力差は絶望的なまでに劣勢を突き付けられるものだった。


「カイナギンを呼べッ!! 直ちに諸侯たちを集め軍会議を行う! アルポート王国のユーグリッドの侵攻を何としてでも食い止めねばならんッ!!」


病弱なバウワー家の四男、デンガキンは血を吐くような勢いで臣下たちに命令を下す。両手の指で数えられる程度しかいないボヘミティリアの武将たち全員が火急の如く集合した。


「カイナギンッ!! 戦況を詳しく教えてくれ! ユーグリッドの軍は後どれくらいでボヘミティリア王国に到着する!? ダイ兄上もハク兄上も今留守にしている間、何としてでも僕がこの城を守らなければ!!」


デンガキンはただでさえ悪い顔色の血相を更に青くしてカイナギンに尋ねる。


彼の将は、左目に矢傷を負った隻眼の将であり、城守の名将だと言われていた。覇王デンガダイからはいつも城の守りを任命されており、幾多にも渡る防衛戦の中で、何度も敵の大軍を追い払った戦歴がある。いつも覇王から留守を預かるデンガキンからの信頼も厚く、デンガキンの右腕として活躍していたのである。


「承知しました、デンガキン様。まず敵のアルポート軍の主たる戦力は4つに区分されます。


まずユーグリッド自身が率いる1万の軍、次に大将軍タイイケンが率いる1万の軍、続いて老将ソキンが率いる1万の軍、そして最後に商人リョーガイが率いる5000の軍、総勢で3万5000の軍が攻めてきております。


恐らく敵軍はボヘミティリア王国に到着し次第、すぐにボヘミティリア城を包囲して城攻めを開始するでしょう。そして敵軍がボヘミティリア王国に到着するのは、4日後の24日の昼頃だと予測されます」


「4日後? あとそれだけでユーグリッドの軍がボヘミティリア王国に着いてしまうのか? ダイ兄上にはもう救援の要請は出したのか?」


「ええ、既に早馬を覇王様の元に送り、この緊急事態の報を知らせております。ですが、覇王軍がモンテニ王国から帰還するには8日程かかり、少なくとも我々はユーグリッドの軍勢から4日間城を守り抜かねばなりません。モンテニ王国との戦況次第では、覇王様の救援が遅れる可能性もあります」


その臣下からの冷静な戦況分析を聞いて、デンガキンは何とも言えない微妙な顔をする。


「4日、4日か・・・・・・カイナギン、我々は果たしてユーグリッドの侵略からボヘミティリア王国を守りきれるだろうか?」


「・・・・・・正直に言って難しいと思われます。敵の軍を偵察する限り、アルポート軍は城攻めの兵器も十分に揃えており、名だたる将たちも全員出陣しております。敵軍は万全の態勢で我々の城に攻めかかることができるでしょう。


対して我々覇王軍の名だたる猛将たちは、全てモンテニ王国に遠征しており、ボヘミティリアに残っている将は戦の経験の少ない者たちばかりです。城の防衛戦も初めてな者ばかりで、果たして的確な采配を取れるかどうかもわかりません。


ボヘミティリア王国には防衛兵器の備えこそ万全なれど、残った兵士たちも皆同様に経験が浅い弱卒ばかりであり、この戦力でアルポート軍の精強な軍隊と戦えるかどうかわかりません」


「そんな・・・・・・我々はユーグリッドの軍に負けてしまうのか? ユーグリッドは暗愚な王ではなかったのか?」


デンガキンとカイナギンの絶望的な戦局の対話を聞かされ、臣下たち一同は戦々恐々とする。もはや烏合の衆だと思っていたアルポート王国の兵士たちが、今や魑魅魍魎ちみもうりょうの殺戮者の大群としか見えない。今にも諸侯たちはボヘミティリア王国から脱出してどこかへ亡命したいとさえ思っていた。


「くっ・・・・・・やはり、ハク兄上の嫌な予感は当たっていたのだ。我々はボヘミティリア王国にもっとたくさん兵を残しておくべきだった。ユーグリッドはただの腑抜けの臆病な王ではなかったのだ」


「デンガキン様、今更後悔をしても後には引けません。覇王様の留守を預かるあなた様が、そんな弱気でどうなさるのですか? あなた様は武家の名門バウワー家の一族であり、偉大なる覇王様の弟君なのです。どうかここはあなた様の勇気を奮い立たせ、ボヘミティリア王国の兵士たちの手本となってください」


カイナギンが現在のボヘミティリア城主を叱咤激励する。


もはやボヘミティリア王国の命運は、戦にも出たことがないこの体の弱い男の細い双肩にかかっているのだ。デンガキンはそれをはっきりと自覚し、自分の命を削る覚悟でユーグリッドとの決戦に心を構える。


デンガキンは顔をパッと上げ、その顔色の悪い相貌のままに必死に臣下たちに呼びかけた。


「皆の者ッ、よく聞けッ! この国は今危急存亡の時を迎えている! アルポート王国よりユーグリッドの軍勢が攻めて来ているのだ! だが、この城は未来皇帝デンガダイ・バウワー様が治める栄光たる王国。その偉大なる王の信任を受け、我々は覇王様の城を守り抜かねばならぬ勅命を授かっている! 必ずや侵略者ユーグリッドの軍勢を打ち払い、命を賭してでもこのボヘミティリア王国を守り抜くのだッ!!」


デンガキンは喉が張り裂けそうなほどの大声で号令を出す。


だがそれに対して臣下たちは鬨の声を上げるどころか、相変わらず皆沈黙して俯いていた。もはやユーグリッドの軍勢が襲来してくる前から負け戦の状態である。


(やはり、戦に出たこともない僕では、みんなの心など掴むことができないか・・・・・・ただでさえ不利な状況なのに、これでは誰もユーグリッドと戦う気になどなれぬぞ。歴戦を重ねてきた兄上たちがどれほど偉大なのか、改めてこの身に思い知らされる・・・・・・)


デンガキンは自分の病弱さを嘆き、この状況を覆せない己の不甲斐なさを呪う。


その落ち込む城主を見て、そこでカイナギンは現実的な提案をした。


「・・・・・・デンガキン様、ボヘミティリア王国防衛戦の軍事権を全て俺に信任してください。俺は数々の城を敵の侵攻から守り抜いてきた戦歴があります。この戦の素人たちをまとめられるのは今、もはや俺しかおりません。俺が全責任を負って、このボヘミティリア王国を守り抜いてみせます」


デンガキンは少し迷う様子を見せたが、やがて顔を勢いよく上げてカイナギンをじっと見た。


「・・・・・・わかった、カイナギン。君の言う通りにしよう。今のボヘミティリア王国の弱小な状態では君だけが頼りだ」


デンガキンは部下の進言を受け入れ、再び号令を発する。


「皆の者ッ! ボヘミティリア王国臨時城主、デンガキン・バウワーはこの時を持って、ボヘミティリア王国の全軍事権をカイナギン・ジューファに委譲するものとする!


以後はこのカイナギン・ジューファの言葉を覇王デンガダイ様の御言葉と解し、彼の者の王命に従えッ!!」


そして諸侯会議が不穏のままに解散される。


その後、早速カイナギンは城守の訓練を始めた。遥か高くにそびえるボヘミティリア王国の城壁の上で、将たちに指揮の仕方や戦術を教える。


だが、将の指揮を受けた兵士たちの動きはぎこちなく、皆一様に意図せぬ動きをして互いの邪魔をする。将たちも次にどんな指示を出したらいいのか全くわからず途方に暮れていた。


(ダメだっ! こんな急拵ごしらえの軍では、とてもユーグリッドの軍勢とまともに戦えない! もはやボヘミティリア城の城壁の高さを盾にして、上空から敵の攻城を食い止めるしかない! とにかく弓の撃ち方だけでも、この4日間の内に叩き込まねば)


カイナギンはややこしい戦術を捨て、とにかく基本的な弓による防衛方法だけを将兵たちに教え込む。


だが、それもやはり下手の極みであり、上手く弦に矢を携えられず、あらぬ方向に木も貫けぬほどの勢いで飛んでいってしまう。


カイナギンは絶句した。今まで防衛戦を経験した中でも、ここまで劣悪な軍隊など見たことがない。


(もはや、ボヘミティリア王国もここまでなのか? あんな弱小だと思っていたアルポート王国が、今ではこんなに恐ろしい存在だと感じてしまうなんて。俺の武人としての長かった人生ももう終わりなのか・・・・・・)


心の中で一人嘆き、それでもカイナギンは成果の上がらない訓練を続けるしかなかった。もはや唯一の一縷の望み、覇王の救援に全てを賭けるしかない。兵士たちは混乱したまま、カイナギンに城壁の守備の配置について指示を受ける。


ボヘミティリア王国では、ただ無情に時間だけが流れていった。




そして4日後の1月24日の午後1時、とうとうアルポート王国3万5000の軍勢がボヘミティリア王国に襲来した。


ユーグリッドは敵に宣戦布告することもなく、いきなりボヘミティリア城の東西南北の城壁の包囲を始めた。西にはタイイケンの1万の投石機部隊、北にはソキンの長梯子や破城槌はじょうついを用いた基本的な1万の攻城部隊、東にはリョーガイの同様の5000の攻城部隊、そして南にはユーグリッド自身の1万の攻城部隊が配備される。


その敵全軍の陣が構えられる準備の最中、デンガキンは南の城壁より、黄金の鎧を纏った将を見つける。その男は陣の前衛に立ち、灰色の馬に乗って弓の届かない場所で待機していた。


あの壮麗で綺羅きらびやかな鎧は間違いない。アルポート王国の国王だ。そのどっしりと構えて出陣を待つ王にデンガキンは大声を張り上げた。


「おいっ、そこの黄金の鎧の者ッ! お前がユーグリッドかッ!? 一体何の用があって、この覇王が治めるボヘミティリア王国に軍隊など連れてきたッ! かような傍若無人な振る舞いは兄上が決して許さぬぞッ!!」


「そういう貴様はデンガキンかッ!! 顔はよく見えぬが、ひ弱そうな雰囲気をしておるなッ! 貴様が聞きたいのなら今の内に教えてやるッ! 我々アルポート王国は覇王デンガダイを討伐するために、このボヘミティリア王国を滅ぼしに来たのだッ!!


降伏できると思うなッ!! 城の中の全兵、そして全領民を皆殺しにしてくれるッ!!」


ユーグリッドの殺意に満ちた宣告に、デンガキンは顔をますます青ざめて肝を冷やした。


「立ち去れッ!! 今すぐこの地から立ち去れッ!! お前たちは大人しくアルポートで米でも作っておれッ! さもなくば、我が兄覇王デンガダイがお前たちの国を攻め滅ぼすぞッ!!」


「やれるものならやって見るが良い!! 我々アルポート王国はもはや、全国民の命を賭けて覇王を打倒することを誓ったのだ!! この我々の国の命運をかけた宣誓は、例え皇帝マーレジアの勅命であろうと止めることはできぬ!! 我々アルポート王国の全兵は、亡き海城王の名にかけて、そしてアルポート王国の繁栄にかけて、貴様らバウワー家一族を根絶やしにしてくれるわァッッ!!!」


その狂妄きょうぼうたる憎悪を叫び散らしたユーグリッドは、黄金の剣を抜き遥か城壁の上にいるデンガキンに鋭く突きつける。


その人とも思えぬ悪逆無道の憎しみを曝け出したアルポート王を見て、デンガキンの心臓は鼓動が奪われたように縮み上がった。もはや奴は兄の覇王よりも恐ろしい存在だったのだ。降伏も服従も認めず、ただ虐殺される選択肢しか敵に与えない。


デンガキンの脳裏には飢餓の獣の群れに食い殺されるよりも恐ろしい光景が脳裏をよぎったのだった。


(ああ・・・・・・あいつの目はここからじゃよく見えなくても、狂っているのだということがよくわかる。僕が今目の当たりにしてる男は人間じゃない。兄上たちの命を守るために、今日ここで殺さなければならない人の皮を被った悪魔だっ!)


デンガキンの全身の血流が冷たくなり、足がガクガクとして立てなくなる。心臓が今まさに目の前の悪鬼に奪われたかの如く、その働きを忘れて上手く機能できない。思わずデンガキンは左胸を抑え、持病の発作を起こしてしまう。


隣にいた弱小な守備兵たちはただ立ち竦み、苦しむ無力な城主と眼の前の悪魔の軍勢を交互に見ることしかできなかった。


「デンガキン様ッ!! 城へお戻りくださいッ! 間もなく戦が始まってしまいます!」


忙しく兵備の手配を済ませたカイナギンがそこへ現れ、病弱な城主を抱え込むようにして城内へと連れ去っていく。


そして城壁目下の魔物の群れの王の元に、一人の伝令兵が跪いた。そう、それは決戦の合図。アルポート王国の全軍が城の包囲を完了し、いつでも覇王の城の攻略ができる進撃の合図。そしてボヘミティリア王国の全ての者が、慈悲もなく屍の山と化す終末の時。


アルポート王国の悪魔の大群は、その殺戮の瞬間に飢え渇く。魔王ユーグリッドの号令を、垂涎すいぜんを垂らしながら待ち焦がれていたのだった。


「かかれェェッッ!! ボヘミティリアの者共を一匹残らず皆殺しにしろォォッッ!!」


そして鬨の声が恐ろしく空に轟いた。戦いの火蓋は切られ、怪物のいななきのような銅鑼どらの合図が次々と叩き出される。走り出し、梯子を掛け、そして力の限り城門を槌で突く。


その地獄が地上へと底上げされたかのような光景に、ボヘミティリア兵は弓矢を射ることも忘れて見入ってしまう。


こうして、1月24日午後1時30分、アルポート王国によるボヘミティリア王国の侵略が始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る