覇王への上納米

12月4日、テンテイイはボヘミティリア王国の玉座の間に辿り着くと、その荘厳な雰囲気に圧倒されていた。


諸侯たちは皆逞しく立派な鎧を着ており、槍やげきなどの長得物の柄先をどっしりと床に突いて構えている。皆一様に精悍な顔つきをしており、微塵の隙も使者に対して見せない。ここにはまさに猛将という猛将が揃っていたのである。


(戦の素人の私でもわかる。この者たちは何百戦もの戦を戦い抜いてきた猛者たちだ)


その迫力ある覇王の玉座の間に、既にテンテイイの緊張は達していた。中央の絨毯の左右に並ぶ歴戦の強者たちの、そのアルポート王国の3倍以上広い覇王の間を、テンテイイは一歩一歩ぎこちない足取りで進んでいく。


そしてその後に米俵を抱えた大勢の家来たちが続く。


しばらくして、テンテイイが覇王の顔がはっきりと見える位置まで移動すると平伏する。家来たちが台座を組み立てて米俵をそこに乗せるのを待ち続ける。


その作業が終わると、家来たちは速やかに玉座の間から去っていった。


「面を上げい」


覇王の地鳴りのように低く、圧倒的に儼乎げんこたる王の命令がテンテイイに下る。


「は、はい」


テンテイイは震えを隠すのに必死になりながら少しずつ顔を上げた。


「うぬの名は何と申す? 何用でこのボヘミティリア王国まで来た?」


厳かな言葉で覇王は問う。


テンテイイはその鎮座する巨躯に圧倒されながら覇王を観察した。


(こ、これが覇王!? 私も姿を見たのは初めてだ、何という恐ろしい姿なのだ! まるで人間とは思えない!)


覇王は今漆黒の鎧を脱ぎ、赤い豪奢な礼服を身に纏っている。


その双眸は太い鉄条のように横に真っ直ぐ伸び、岩のように硬い顔面の筋肉に埋もれて覆われている。唇は浅黒く、まるで鯨の肉が豪快に切り取られたように大きく厚い。その上部にある鼻は岩石を荒く削り取った砦のようで、鼻孔と鼻筋がどっしりと広がって構えられている。肩まで伸びたその髪は、全毛が剣でできた鶏冠とさかのように放射状に伸び、人を刺し殺せるかの如く尖って生えている。座っていてもわかるその巨躯は、アルポート王国最強の武人タイイケン・シンギすらも遥かに上回る人間離れした巨大な筋肉の塊だった。


テンテイイは身震いすら覚えるその化け物のような人間に、冷や汗を流しながら受け答える。


「は、はい。私はアルポート王国の宰相テンテイイ・アマブルと申します。本日は覇王様に我々が農作した米をご献上しようと思い、ボヘミティリア王国までやって参りました」


テンテイイは覇王から目を泳がせながら来訪の理由を告げる。覇王の破壊光線を放つかのような眼光をまともに直視していては、いずれ自分の全身が砕けてしまうのではないかとさえ思えてくるのだった。その焦点の定まらない視界の中で、テンテイイは覇王の玉座の近隣にも目を凝らす。


覇王の左手側には大蛇のように佇むデンガハクが、兄を守るようにして側に仕えている。


覇王の右手側の少し離れた所には、顔色の良くない優男が静かに椅子に座っている。恐らくこれがバウワー家の四男デンガキンだろう。


そして何と言っても目を引いたのが、覇王の右手のすぐ隣にある大斧だ。その大斧はまさしく覇王の背丈と同等ほどの高さがあり、地面に突き刺さるようにして武器の掛台に真っ直ぐ収められている。覇王はいつでも即座にそれを抜くことができ、そして玉座の間に訪れた使者が敵だと判断すれば、一瞬で真っ二つに殺すことができるのだ。


その大斧の威圧感に心臓の安静と目を奪われたまま、テンテイイは正座のまま話を続ける。


「アルポート王国のユーグリッド陛下は今、アルポートの外れにある南の平山で大規模な農園を開いております。それは戦で何かと入用な覇王様へのご助力を致したいとお思いなさった陛下のご厚情であり、このボヘミティリア王国とアルポート王国の永久とこしえの友好国関係を築き上げたいと願う、我々の覇王様への忠誠の証なのでございます」


テンテイイは主君の言葉を思い返しながら何とか鼓動を押さえて言葉を紡ぐ。


覇王はその明らかに怖がっている貧相な体つきの男を、体を頑とも動かさずじっと虎の如く睨んでいる。


「・・・・・・フン、いつぞやユーグリッドが我に寄越した手紙の件か。付き纏いのように随分気色の悪い文章を送り続けてきおったわ」


覇王はユーグリッドの怪文書を思い出し嫌悪の表情を見せる。その不機嫌となった虎の怪物にテンテイイの心臓がまた跳ね上がる。


(手紙? 陛下はそんなものを覇王に送っていたのか?)


テンテイイはその覇王の不評を買った手紙の内容が気になり、ますますこの交渉の行方が心配になった。


「まあいい。それだけユーグリッドが我らにアルポートを攻められぬようにと必死になっているということだろう。うぬらが我に取り入りたいというのなら好きにすれば良い。して、その米とやらは今日どのくらい持ってきたのだ?」


「は、はい。覇王様の11万の大軍を養うとなると3日ほどの量でして。残りの米はこの王城を出た城門の前に据えてあります」


テンテイイは焦りながら詳細を説明する。


だがその内訳を聞くと、覇王の目が一瞬で険しくなった。


「・・・・・・3日ぁ?」


その覇王の明らかな不興な声に、テンテイイの血流がまた凍りつく。


「は、はい。これはいわゆる先払いのようなものでして、本格的な物資の輸送は後から行おうかと・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・」


覇王はしばらく沈黙すると、突然右隣にある大斧を掛台から抜き出して立ち上がる。


ガシャアアアッという恐ろしく物々しい金切り音に、思わずテンテイイは再び平伏する。


覇王には大斧分の重量が加わり、一歩ずつ地鳴りを鳴らしながら玉座の間の絨毯を踏み歩く。


ずしり、ずしり。まるで断頭台の処刑人が階段から上ってきているかのようにテンテイイは錯覚していた。


だが覇王はテンテイイの横を通り過ぎ、その後ろにある支柱に支えられた米俵の台座の前に立つ。覇王は片手で持った大斧の柄を一瞬宙に浮かせてから短く持つと、器用な手付きで一番上に置かれていた米俵の上部の腹を切る。


米俵の中からさらっと白い粒が、粉雪のように数粒ほど台座の底へと零れ落ちた。


「何だぁ? このちんまいな米は?」


覇王はその太い指で米俵から数粒ほどつまむと、不意にまた不興の声を上げる。覇王の肉眼でもじっと凝らさなければ、はっきりと見えないその小さな米粒は、あっさりと覇王の指の中で潰された。


「テンテイイ」


「は、はいっ!?」


「面を上げてこっちを見よ」


覇王の命令に怯えながら、テンテイイは正座の姿勢のまま体を反転させて覇王の方へ振り返る。


「・・・・・・うぬらアルポートの地とは、こんな砂粒の米しかできぬほど不毛な土地なのか?」


「い、いえ、とても豊かな土地でございます。米の農作にも十分適しております」


「ならば何故この米粒はこれほど小さい?」


「そ、それは収穫の時期を早めて刈り取ったからでございます」


「収穫を早めただとぉ?」


テンテイイの言葉にますます覇王の地鳴りの声が大きくなった。


農業をよく知らない覇王軍の諸侯たちですら、テンテイイのその説明を不審に思っている。


「うぬは戯けか? 時間をかけて育ててきた米を、実が熟さぬ内から刈り取るとは。うぬは農作というものを心得ておらぬのか?」


「い、いえ。私は元は農民でして、アルポート王国の農務大臣も務めたことがございます。作物の農作には精通しているつもりです」


「ならば何故こんな粗悪な米を我の元に送って来た? こんな腹の足しにもならぬような米など送りつけてきおって。うぬは我を愚弄しに来たのか?」


「い、い、いえ。け、決してそのようなつもりはございません。こ、これはユーグリッド陛下の指示なのでございます」


「ユーグリッドだとぉ?」


覇王の太い眉が不快そうに大きく歪む。


「ユーグリッド、あの馬鹿か。毎日下民と遊び回ってろくに政治もやらぬあの愚昧な王か。その愚か者がうぬに何と言って命令したのだ?」


「そ、そ、その陛下は。まず宣伝品としてこの米を覇王様の元に贈れとご命じなさったのです。我々アルポート王国が食料大国として、今後も覇王様に兵糧のご支援をさせていただききたいという意思表示をするためだと仰っていました。


じ、実を申しますと、覇王様へお贈りするための本格的な兵糧の準備は既にできております」


テンテイイが命乞いでもするかのように弁明する。覇王の膝の前で手のひらをアワアワと何度も振っている。


だがそれが覇王の不興を更に買った。


ダァンッ!


覇王が大斧の柄を玉座の間の絨毯に叩きつける。その振動は広い玉座の間全体に波紋となって広がり返る。


もはや何度目かになる心拍の停止をテンテイイは起こしてしまった。


「なら、何故その準備できているという米を送ってこぬ!?」


テンテイイは左右に振っていた両手をゼンマイの切れた玩具のように止める。そのまますごすごとその両手を膝の上に置き、叱られたばかりの童のように顔を俯かせた。


「立て」


覇王が命令する。


「立て、テンテイイ」


覇王の絶対的とも言えるその短い下知にテンテイイは従うしかなかった。テンテイイは生まれたての子鹿のようにガクガクと足を震わせながら、血海のように赤い絨毯からやっとの思いで立ち上がる。


だがその瞬間、テンテイイの体は乱暴に宙に浮いた。


「・・・・・・テンテイイ」


覇王の厳かな声が響く。


気がつくと、自分の首筋に背筋の凍るような冷たい感触が走っていた。


覇王が突然左腕でテンテイイの胸倉を掴み上げ、そして右腕の大斧の刃をテンテイイの首筋に当てつけていたのだった。覇王がその右腕を後ろに引き下げれば、途端にテンテイイは絶命することになるだろう。


テンテイイは足を浮かせたまま、今にも赤子のように泣きじゃくりたい気持ちになっていた。


「テンテイイ、うぬの王が馬鹿なことは知っている。アルポートに送った間者から、毎日のようにユーグリッドの馬鹿話を飽きるほど聞かされている。我とてそんな知能の低い奴隷ネズミを殺して、この未来皇帝の名を汚すつもりはない。


だがな、その阿呆さ加減に寛大に笑って許してやれるのにも限度というものがある」


静々と、重々しく、そして明らかに怒気を孕んだ覇王の顔が詰め寄ってくる。


テンテイイはその落石の雨の如く浴びせられる凄んだ声に、涙目になりながら口を戦慄わななかせる。


「テンテイイッ!!」


覇王は更にテンテイイの体を乱暴に引き寄せる。


その岩窟がんくつのような大影ができた覇王の顔面に、鼻先が触れるほどテンテイイの青ざめた顔が接近する。もはやテンテイイは股座またぐらの粗相すらしてしまいかねないほど無力な赤子に戻っていた。


「はっきりと言えッ!! うぬの所の馬鹿は何を考えてこんな粗末な米など送ってきた!? よもやわざと我を怒らせて、アルポート王国を攻め滅ぼされたいわけではあるまいなッ!?」


「めめめっ、滅相もないっ! アルポート王国はただ覇王様の兵糧庫としてお仕えしたいだけでございます! ですが、そのぅ、我々は今財政難でしてぇ・・・・・・」


水辺から上がった子犬のように首を高速に振り、ついにテンテイイは本題を切り出す。覇王はその言葉尻を聞いた瞬間、鎮静薬でも飲まされたかのように体を静止させた。


「え~っと、そのぅ、我々は今、あなた様方への1月の100万金両を用意するのが難しい状況でしてぇ。そのぅ、ですからぁ、主君のユーグリッドは、金の代わりに米を覇王様にお贈りしようと・・・・・・」


その言葉の瞬間、テンテイイの体が吹き飛ばされた。テンテイイの貧相な背中が強かに米俵の山積みに叩きつけられる。


その覇王の怒りの暴投に米俵の群れは、憐れ虫けらの内臓のように中身がぶち撒けられてしまった。


覇王がもしテンテイイを石畳の床に投げつけていたとしたら、テンテイイも同じ末路を辿っていたことだろう。


「・・・・・・テンテイイ」


覇王がゴツ、ゴツ、と足音を鳴らして、米俵の残骸に仰向けで倒れているテンテイイに声を浴びせる。


テンテイイは頭に気絶しそうなほどの鈍痛が走っており、覇王の重低音の声を聞き取るのもやっとの状況だった。


「テンテイイッ!!」


「ヒャアァッ!!!」


テンテイイは覇王の怒声に防衛本能を働かせ、反射的に起き上がり女のような悲鳴を上げた。


「並の王であればうぬはこの場で八つ裂きにされていたであろう。だが我は覇王、未来皇帝。愚かな王に怒り狂わされその家臣を斬ったとならば、我らバウワー家の家名にもくだらぬ血泥ちみどろを塗ることになる。


うぬは運がいい、果報者だと言える。我はこのままうぬがボヘミティリア王国から出ていくことを許してやろう」


覇王は大斧を持ったまま巨躯を怪物の寝返りのように翻す。


テンテイイはただその断崖絶壁の赤い背中に目を奪われ、毛皮を失った子羊のように震えることしかできなかった。


「だが、二度と米など送ってくるなッ!! アルポート王国は覇王が属国、我が言い渡した要求だけに従っていればいい!! 米を作っている暇があるなら金を作れッ!!!」


覇王のその背後からでも十分恐ろしい迫力がある怒号を受け、ついにテンテイイの恐怖が限界に達する。


憐れ米粒の海は、淡い黄色の生理水に染まってしまった。


覇王はまたドシドシと地鳴りのような足音を鳴らして玉座に戻っていく。


「失せよ。そしてユーグリッドに伝えておけ。1月の始めの日に必ず100万金両を持ってこいと。


さもなくばアルポート王国は岩の海に沈む」


覇王の頑として変わらない要求を聞き、テンテイイはもはや米を回収することすら忘れて、ネズミが這うように覇王の間から逃げ出した。1秒でも早くこの虎の怪物の穴から出ていきたくてしょうがなかった。


テンテイイは顔を涙と鼻水で塗れさせながらボヘミティリア王城が走り去る。


(ああ、やっぱり交渉は失敗した!! アルポート王国ももうお終いだぁ・・・・・・)


ボヘミティリア王国からやっとの思いで敗走できた時、テンテイイは天を仰いで薄幸の乙女の如く泣きじゃくった。

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