暗愚たるユーグリッド

10月にユーグリッドが農園を始めてからの2ヶ月間、アルポート王国の政治は大いに乱れていた。農園に毎日のようにユーグリッドが外出するために王の政務は滞り、そして宰相のテンテイイも付きっ切りで農園に駐在しているために、国家の重要な政策の取り決めも行うことができなかった。


その王の政治の怠慢に比例して、アルポート王国諸侯らの離心も広まっていった。武官の臣下たちは兵の鍛錬もせず家で酒に入り浸り、文官の臣下たちは退屈そうに帳簿の紙面に落書きをしている。


その王政の緊急事態の発生に伴い、王の政務は何故か武人であるソキンが代行することになっていた。王であるユーグリッドの認可が取れないので、王妃であるキョウナンの認可をソキンは半ば無理矢理に得たのだった。


王妃のキョウナンは政治に疎く、ただ夫が突然農耕に目覚めたということしか知らされていない。そして王妃自身も「おキョウもユーグリッド様の米が食べとうございます」とのんびり構えており、ソキンの老齢な頭を大いに悩ませたのだった。




そしてここはアルポート王国の夜の町。


ユーグリッドは南の農園からアルポート王国へ帰ってくると、王城に戻りもせずブラブラと遊び回っていた。町の酒場に入り浸り、ガラの悪そうな男たちと賭博をして遊ぶ。ユーグリッドは勝っても負けても笑い飛ばし、男たちと適当に遊び終えるとまた町に出る。そして意味不明な自作の歌謡を町中で歌い散らしていたのだった。


その酔っぱらいの大声は静かに眠っていた領民たちの耳に轟き、甚だ迷惑極まりない。


そのユーグリッドの悪癖の噂は竜巻の如く、アルポート王国の全土で広まっていった。身分の低い貧民ですら皆、ひそひそとアルポート王が馬鹿だと笑い者にしていたのである。




そして11月の始めの頃、ユーグリッドは町の娼館の中にいた。その館は酒と煙草と女の臭いでむせ返り、その一角で王は一際大きな注目を集めていた。客も娼婦も誰もが王の顔を見知っている。


「ハハハハハッ!!」


ユーグリッドが耳をつんざくような高笑いを上げる。


その両隣には若い濃いめの化粧の女が二人おり、べったりと王の両肩にはべりついている。


「そう、その時俺はソウゴという男と決闘したのだ。双戟そうげきという小さい斧と槍を合わせたような両手の武器でな。中々の使い手で俺も腹を一突きやられてしまった。だが最後には俺が奴の右腕を斬り落とし勝利を収めたのだ!」


「きゃあ怖いぃっ! でもとても勇ましいですぅ、ユーグリッド様ぁ」


女の一人がべたべたと王の胸を触り嬌声を上げる。もう隣の女も負けじと王と腕を組んで胸を当てる。


その柔らかく乳臭い香りのする女達に、王は両腕を回して細い肩を抱いていた。


「ええぇっ! 私が王室にですかぁっ! でもそんなことをしたらキョウナン様に怒られますぅ!」


「ハハハ、大丈夫だ。おキョウは海のように懐の広い女だ。お主らを妾にしてもきっと笑って許してくれるはずさ」


「わぁ! 奥様も素敵な方ですぅ! 私が結婚したいくらいっ!」


ユーグリッドは飲めもしない酒を飲みながら大いにうそぶいてみせる。その女の媚びに酔った談笑は続けられ、しばらくすると突然王はすくりと立ち上がる。


「あれぇ? もうお帰りですかぁ? まだ飲みましょうよぅ」


「いやいや、夜の散歩だ。少し夜風に当たりたいだけだ。お主達も付いてこい。


おーい館主! この者たちを借りていくぞぉ!」


店主は上客であるユーグリッドにニコニコとしながらペコペコと頭を下げる。


ユーグリッドは女たちの肩を抱きながら三人四脚のような格好で館を出る。そして例の意味不明な歌詞の歌声を大声で喚き散らしたのだった。


「わあっ! とてもお上手ですぅ、ユーグリッド様ぁ」


身分の低い女は、ユーグリッドの小難しい言葉遣いを理解できないまま褒め称える。だが心の中では音痴でうるさいなと感じていた。


「ああ、これはボヘミティリア王国のデンガダイ様への敬愛を込めた俺の歌だ。アルポート王国は今デンガダイ様のおかげで平和でいられておるのだからな」


「ええ嘘ぉっ!? 覇王様って怖い人なんでしょぉ!? 信じられないぃ!」


「いや、そんなことはない。実を言うと俺はデンガダイ様と文通しておるのだ。返事もいくつかもらったことがある。俺はとてもデンガダイ様と仲がいいのだ」


「ええすごーい! 覇王様とお友達だなんて素敵ぃ!」


ユーグリッドは大洞おおぼらを吹く。デンガダイから手紙の返事などもらったことは一度もない。


だが何も国の事情を知らない女たちは、その捏造を信じ切ってひたすら王を褒めちぎる。


「さぁて、そろそろ寒くなってきたことだしお主らの館に戻るとするかぁ。あっと、今日は財布を城に忘れてきてしまった。持ち合わせがない。困ったなぁ」


「大丈夫ですよぉ。ユーグリッド様は王様なんですからぁ。ウチの館主だってきっとツケでいいって言ってくれるはずですよぅ」


「そうかそうか。恩に着る。あ、ちょっと頭が痛くなって・・・・・・」


そのまま、王は地面に倒れ伏した。




しばらくして後ーー


「陛下、陛下っ! 起きてください、起きなさいっ!」


ユーグリッドは何者かがペチペチと自分の頬を叩いているのに気づき起き上がる。見るとそこには重鎮のソキンがおり、自分は王の部屋のベッドで寝ていたのだと気づいた。


義理の父はいつもの柔和な顔が完全に崩れ去っており、王を圧殺するかのように威圧している。


「陛下っ! やっと城に帰ってきたと思ったら何という体たらくですかっ! 娼婦の女どもが衛兵に連絡して、あなたはここまで運び込まれたのですよ!」


「おう、あの者たちはどうした?」


「金を払って追い返しました! 全くあなたは王としての自覚がないのですか!?」


「ああ、俺はユーグリッド・レグラス。アルポート王国の国王ユーグリッド・レグラスだ!」


ハハハハッとユーグリッドは高笑いを上げる。


その王の前後不覚な様子を見て、ソキンは額に手を当てて首を振る。ソキンも慣れない政務活動の日々の中でかなり参っていた。


「・・・・・・陛下、あなたもお若い殿方でございます。魔が差してそういった女の欲に気を攫われることもあるでしょう。それを我慢しろとまでは私も言いません。


ですがッ!!」


ソキンは怒りを込めて細い目を見開く。


「せめて相手ぐらいは選んでくださいッ! あなたが肩に侍らせていた女どもは娼婦! 下賤な身分の者たちなのですよ! そんな位の低い女どもの子など宿してみなさい! アルポート王国の王はこらえ性のない犬畜生の品格だと国中の笑い者になりますよ!」


「ハハハハハッ! その時は笑い者になればいい! 国が賑やかになるのはいいことだ! それに俺は子供がたくさん欲しいぞ!」


その王の品位の欠片もない笑い声にソキンは青筋を立てる。もはや何も考えず抜剣したくなる気持ちさえ湧き上がってくる。それでもソキンは堪えて王を諌め続けた。


「陛下! あなたは亡き海城王のご子息。その偉大なる王の血筋を受け継ぐ誇り高きレグラス家の一族です! あなたが堕落すれば堕落するほど、その亡き父君の赫赫かっかくたる栄光や名誉も同時に傷ついてしまうのです! 海城王が皇帝陛下に忠義を尽くし、命がけで作り上げてきたこのアルポート王国の繁栄や威信を、あなたは無駄にするおつもりですか!?」


「いいや、別に無駄になどしておらぬ。俺はちゃんと父上の跡を継いでおるぞ。現にこのアルポート王国は今至って平和で戦争も起きておらぬ。臣下たちも皆のんびりしておるわ」


「陛下! それは国が平和なのではなく堕落しているのです! 臣下たちは皆陛下の王務の怠慢に呆れ果て、この国のために尽くす忠義を見失っているのです! 毎日遊んでばかりで国のことを返り見ない王に誰が従いたいと思いますか!?」


「ハハハ、ここにいるぞぉっ! 俺はアルポート王国の家臣、ユーグリッド・レグラスだぁ!」


「陛下! 私は今国家の存亡に関わる大事な話をしているのです! ふざけている場合ではない!!」


その後もユーグリッドとソキンの笑いと怒りの問答は続く。だがまるでぬかに釘を刺すかのように、王には王家一族の言葉が響いていなかった。


やがてユーグリッドはソキンに手をひらひらと縦に振って追い返すそぶりを見せる。


「もうよいもうよい。俺は今日も農耕の仕事で疲れておるのだ。そんなに怒鳴られてはせっかく気晴らしした気分も萎えてしまうだろ? じゃあなソキン。明日も玉座の仕事を頼む・・・・・・」


そのままベッドに倒れ込むと、王は豚の鳴き声のような鼾をかいて寝てしまった。


「陛下! 陛下! まだ話は終わっておりませんッ!! 陛下ッ!!」


ソキンは大声を上げて王を乱暴に揺する。


だが王はまるで冬眠した牛のように全く起きる気配がなかった。


ソキンは途方に暮れてしまう。


(一体どうしたというのだ? ユーグリッド陛下の様子が1ヶ月ぐらい前からおかしい。覇王の属国としての重圧や王としての責務の心労が祟り、心を壊してしまったのか?)


ソキンは間抜けに寝息を立てる王を見下しながら考える。だがどれだけ考えてもこの国の憂いが変わるわけでもなかった。


(私はやっとの思いでレグラス家と名を連ねる王族になれたのに、肝心の王がこんなに愚昧では全く意味がない。下手をすれば愚かな王の一族として、プロテシオン家の家名にすら泥を塗ることになりかねない。このままこの男がおかしくなり続けるようなら、キョウナンとの婚約破棄すら考えなければならなくなる)


ソキンは天を仰いだまま両目を手のひらで覆う。もはやそこには怒りや悲しみすらなく、ただ人生の敗北者としての虚無感しかなかった。


(ああ、私の野望もここまでか。長年労苦と気骨きぼねを惜しまず自分の名声を追い求めてきたが、もはや今となっては全て虚しいものよ。私は結局無名の将として生涯を終えるのか・・・・・・)


これから送る自分の無意味な余生を思い、ソキンの心は無の境地に陥る。老齢なソキンにはもはや新しく名声を再構築する好機など二度となかった。


(ああキョウナン。今までお前を私の欲のために振り回してきて済まなかった。私は父親としての名誉すら守れなかったのだ・・・・・・)


最後に娘のことを想うと、ソキンはそのまま鍵も閉めず王の部屋を出ていってしまった。


ユーグリッドは安らかに眠り続けている。

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