山守王との同盟交渉

デンガハクがアルポート王国から軍を引き上げた3日後の10月10日、彼の海の国ではそれを上回るほどの大事件が発生していた。アルポート王国の遥か北東よりモンテニ王国の軍が遠来したのである。


その数は2万、皆一様に木の鎧や銅の剣を装備しており、木製や岩製の種々雑多な兵器が備えられていたのである。


アルポート王国の北側の城門の前でその2万の軍が行進を終える。城壁の兵士たちは弓矢や大砲を構えて緊迫の臨戦態勢を取っていた。


重々に警戒して城壁の上で兵士たちが何重にも並ぶ中、ユーグリッド自身も城壁の前線に立っていた。すぐ目の前から見渡せるその2万の軍の最前列より、山の風変わりな民族衣装を纏った六人の者たちがとことこと城門に近づいてくる。


「何者だッ、お主たちはッ! 山守王ケングの軍隊の者と見受けるが、我々アルポート王国に何の用があって、かような物々しい軍隊を率いてきたのだ!!」


ユーグリッドが城壁の上から激高する。


それに呼応して兵士たちも弓の弦を引く。


だが目の前の六人の人間の中から、一番年長だと思われる男が手を上に翳して兵士たちの動きを制した。


「待て! 早まるな!! 我々はアルポート王国と戦争をしに来たわけではない! 我々は山守王ケングより派遣されたモンテニ王国の使者だ。どうか我々6人を貴公らの国に入れてはくださらぬか?」


大声を出す男は武装している様子はない。その後ろに控えている5人の者も同様のようだ。


ユーグリッドはここで考え込む。


(山守王、一体何を考えているのだ? ただアルポート王国に使者を送ってくるだけなら、かような軍隊を連れてくる必要などないはずだが?)


ユーグリッドは警戒と懐疑を高める。だがユーグリッドはより平和的な対策を講じた。


(だが、いずれにしろこの城門の前の男の要求を受け入れねば、逆上して軍を動かしてくるかもしれない。そうなればアルポート王国とて多大な犠牲が出るだろう。相手は六人、いずれも武装している様子はない。ここはこの者の要求に素直に応じるべきか・・・・・・)


ユーグリッドはそこで城門のすぐ後ろで控えている兵士に、城壁の上から見下ろして開門を命じる。


鉄の鎖の滑車が回され、城門の前の水堀の上に跳ね橋が架かる。さらに二人の兵士たちにより城門のかんぬきが抜かれ、その鉄の扉が左右に大きく開かれる。そしてアルポート王国への道が繋がれた。


六人はその木の大橋の上をしずしずと渡り、そして城門の中をくぐり抜けていく。その間、城壁より北の2万の軍隊は動きを全く見せない。六人が通り過ぎると、速やかに跳ね橋と城門は閉ざされた。




そしてしばらくして後、玉座の間には例の六人の使者が平伏していた。


モンテニ王国の軍隊が攻め入ってきたという報を受け、アルポート王国の全諸侯たちも集合している。皆帯剣を許されており、そして緊張の渦で包まれていた。


「面をあげよ。お主たちは何の目的があってこのアルポート王国までやってきたのだ?」


王は厳格な態度で六人の使者に問い質す。


六人は同時に顔を上げた。その者たちの顔は正に瓜が6つ並んだようにそっくりだった。皆亀の目が山芋に取り付けられたような温厚そうな顔立ちをしており、とてもアルポート王国に侵略をしにきた者たちとは思えない。ひと目見ただけでわかる。この者たちは血を分けた一族だ。


一番前で平伏していた年長の男が語り出す。


「はい、ユーグリッド王。では、まずは自己紹介をさせていただきます。私は山守王ケング・セイソンの次弟、ケンソン・セイソンと申します。モンテニ王国では宰相の職務を努めております」


ケンソンはゆったりとおおらかな声で名乗る。跪きながら右手の手のひらを前面へと広げ、左手を胸に当てて語っている。そして自分の身分を明かし終えると後ろを振り返る。


「そして今私の後ろに控えているのは私の家族であり、妻、長男、長女、次男、三男をアルポート王国まで引き連れて参りました」


ケンソンは無防備にも自分の血縁者たちを紹介する。


皆静やかに座っており、ひたすら夫であり父であるケンソンの話を邪魔しないようにしている。だがその中には10にも満たない童男おぐなもおり、今の状況を理解できずキョロキョロしている。長女はそれに気づき、弟の顔を無理矢理正面に戻す。


そんなケンソンの家族模様を目の当たりにしながらも、ユーグリッドはなおも警戒の色を緩めない。


「それで、ケンソン殿。あなたは何故軍隊を引き連れて、その上自分の家族まで連れてこのアルポート王国までやってきたのだ? まさか我が国を侵略する様を、家族と一緒に物見しようとでもお考えなさったのではないな?」


「いえ、とんでもございません。私たちの軍兵は貴公らアルポート王国にお貸しするために連れてきたのです」


「貸す? 我々アルポート王国はあなた方に援軍の要請などした覚えはありませんが?」


「はい、これは山守王ケングの独断による貴公らへの贈り物です。本日は是非ともアルポート王国に我々2万の兵を受け取っていただきたく存じ上げる」


ユーグリッドは眉根をひそめて、膝を折りながら語るケンソンののっぺりとした顔を眺める。


諸侯たちもこの山守王の兵の貸与の意図がわからなかった。


「それで、我々がその兵を受け取ったとして、あなたたちは対価として何をアルポート王国に要求するつもりですか? 恥ずかしながら我が国アルポートは覇王の属国であり、莫大な上納金を献上しております。とてもあなた方に謝礼できる金など持っていないのです」


「いえ、我々は何も対価など求めておりません。ただ純粋にアルポート王国の軍事力を強化していただきたいと考えているのです。我々の兵は全て無償で貴公らにお渡しします」


ケンソンはまるで押し売りのようにアルポート王国に兵士を置くことを意思表示した。


そのケンソンの押し付けがましい態度にはユーグリッドも不審を感じている。


「ではケンソン殿。単刀直入にお聞きしたい。あなた方がアルポート王国に2万の兵を置きたがる目的は何ですか?」


「はい、では答えさせていただきます。我々モンテニ王国は覇王デンガダイを打倒するために、貴公らアルポート王国と同盟を結びたいのです」


その言葉に玉座の間はどよめく。皆一様に顔を見合わせて、この山守王の要請をどう受け取っていいものか判断しかねていた。


ユーグリッドは頬に手の甲をつけてしばらく考え込み、その姿勢のままケンソンに申し付けた。


「・・・・・・ケンソン殿、その話については詳しく聞く必要がある。その姿勢で話を続けるのはさぞきついでしょう。お立ちなされ」


「はい、では立たせていただきます」


木の鳴子が並んだような民族服の胸掛けを揺らしながらケンソンは立ち上がる。その背はユーグリッドよりも小さかったが、山育ちに違わぬ横にどっしりと広がった体格をしている。


「では、ユーグリッド王。貴公に初めに問いたい。貴公は覇王を倒したいとお思いになりませぬか?」


そのケンソンの直球な質問に、ユーグリッドはピクリと体を反応させる。だがその反応を慌てて抑え込み、平然とした体裁を装いながら答えを返す。


「・・・・・・いえ、ありません。我々アルポート王国は覇王と戦争を起こす気などございません。アルポート王国は例え覇王の属国なれど、平和を一番に愛する国。臣下や兵たちを犠牲にしてまで覇王に逆らおうなどとは思いません」


ユーグリッドは本心とは裏腹の言葉をすらすらと述べる。


だがその時、ケンソンの亀のような目がギラッと光った。


「ユーグリッド王。それは外面を気にした上辺だけの言葉でしょう? アルポート王国が覇王に攻め込まれぬための弁解の言葉です。貴公の本心が別にあることは我々にもわかっております」


ケンソンが大振りに手を振る仕草をしながら、ユーグリッドの図星を指摘する。


だが当のユーグリッドは怯まず、飽くまで平坦な心持ちでそれを否定する。


「ケンソン殿、それは誤解です。俺に覇王と戦う意志などございません」


「いえ、確かに貴公は覇王と戦いたいと望んでいるはずです。我々のこの同盟も命がけのもの、この国に2万の軍を引き連れてくる前に、貴公らの国については我々も動向を調べさせてもらいました」


ケンソンは確信に満ちて王に語り始める。


「聞く所によると、貴公は8月の初めの頃、覇王の次弟であるデンガハクに100万金両を求められたそうですな。しかし、それはリョーガイという豪商の臣下の金を献上させたことで解決をした。


ですが、それはこの国の国庫に100万金両がなかった証拠に他なりません。そして来月の1月にはまた覇王より100万金両の上納を求められている。


はっきりと申し上げましょう。この覇王の滅茶苦茶な献金に応じ続けていたら、アルポート王国は遠からず経済的に滅んでしまうでしょう」


「・・・・・・・・・・・・」


ユーグリッドは黙り込んでしまった。ケンソンの言葉に何も反論できる余地がない。全て事実だった。


臣下たちもケンソンに自分たちの属国の立場をあげつらわれ、意気消沈とした表情を見せている。


「ユーグリッド王、貴公とてそれは十分に自覚しているはずだ。だからこそデンガハクへの上納を期に貴公らアルポート王国も覇王打倒のために行動を移し始めた。


臣下の一人には大砲の訓練をさせ、さらに臣下の一人には兵を集めさせる。そして貴公自身は囚人との決闘を何度も繰り返し、自らの武人としての腕を磨いた。


これらの行為は明らかに近々戦争があることを予見した、貴公らの戦意の証明に他ならないのではないか?」


「いえ、違います。我々がそれをやったのは、それぞれ覇王の討伐とは異なる別個の理由があったからです。まずリョーガイが大砲の訓練していたのは近頃出現した海賊の討伐を行うため。次にソキンが兵を集めたのは王族としての地位を高めるため。そして俺自身が決闘をしていたのは、父海城王の武勇に憧れて、その武人の誉れに一歩でも近づきたいと思ったからです」


ユーグリッドは3日前のデンガハクの詰問の時と同じような取り繕いをした。


そうユーグリッドが言い訳を終えるや否や、ケンソンはユーグリッドの言葉尻を捉えた。


「ほう、海城王に憧れて武の訓練を? それは殊勝な心がけでございますな。私どもモンテニ王国にも貴公のお父君の武名は轟いております。皇帝陛下への忠義心が厚く、そしてその忠誠に伴った数々の武功を上げてきた。そして皇帝陛下のご寵愛を受け、ついには海城王の称号とともにこのアルポート王国を賜った。


その王政も善政を極め、臣下領民からの信望も厚い。まさに武人としても王としても万人が称賛するに値する巨星。その赫赫かっかくたる姿はこのアーシュマハ大陸の歴史にも名を残す時代の英雄となるでしょう」


ケンソンは身振り手振りを大きくしながら、海城王を大仰に褒め称える。


ユーグリッドはそれに対しても、なおも感情を動かさず受け答えた。


「父をお褒めに預かり光栄でございます。俺も今その偉大な父の畢生ひっせいに倣おうと、王として武人として日々精進を続けているのです」


「ええ、ユーグリッド王。あなたの心がけは立派でございます。ですがあなたは、そんな偉大な父君を自らの手で殺してしまった」


「!!」


その瞬間、玉座の間がどよめきに満ちた。ケンソンの王に対する禁断の発言に皆たじろいでしまった。


今まで能面顔であったユーグリッドは、亀のような面差しをしたケンソンに鋭い視線を向ける。


だがその亀の反応は鈍く全く動じていない。そして山守王の弟はゆったりとした動作で右手を広げて王を制した。


「いや、わかっている。それは決して私欲に満ちた身勝手な殺生ではないということは。今年の4月に、覇王が10万の大軍でアルポート王国に侵略したという報は我々モンテニ王国にも届いている。そして私にはわかる。その時、貴公らアルポート王国で相当な議論がなされていたということが。


戦いか降伏か。貴公らも悩みに悩んだことだろう。だが、結果として親子の間で意見が衝突してしまい、そしてご子息は父君を殺害し、降伏の道をお選びなさった。


しかしその決断を決して誰も責めることはできない。名誉を守るための戦いか、国を守るための降伏か。万人が万人を納得させる絶対的な答えなどそこにはないのだ。それら2つを神の天秤にかけたとしても、どちらか一方に傾くことはないだろう。ユーグリッド王、あなたの決断は決して誹謗ひぼうを負わねばならぬ大罪を犯したわけではないのだ」


ケンソンは玉座の間を左右交互に歩き回りながら、自身の論を展開する。その堂々とした公明正大な言論には諸侯たちも口を挟むことができなかった。そこでケンソンは玉座の中央でピタリと足を止め、体を直角に曲げて王に向き直る。


「だがユーグリッド王。ここで貴公に問いたい。それは貴公の奥方様、キョウナン様についてだ」


「・・・・・・キョウナン?」


意外な名前が出てきて、ユーグリッドは困惑する。目の前の男が何を言いたいのかわからない。


しかしケンソンは自信を持って話を続けた。


「そう、このアルポート王国の王妃キョウナン様だ。聞く所によると、キョウナン様は絶世の美女と噂され、夫である貴公ともとても仲睦まじいと聞く。婚約の行進式には共に出店に寄り、うなぎの焼き物を食べ合ったという夫婦の逸話も知らされている。そんな貴公にとって何ものにも代えがたいキョウナン様がだ」


そこでケンソンは一拍間を置き、その垂れ下がった眼で王を真っ直ぐ見据える。その一見間抜けそうな目はとても侮れない風格を秘めている。そしてその切れ者の男から剣のような鋭い一言が放たれた。


「もしそのキョウナン様に、覇王の口から、あるいは覇王の一族から、ボヘミティリア王国に身柄を引き渡せと命令が下されたら、貴公はどうする?」


「ッ!!!」


半身を突然奪われたかのような衝撃がユーグリッドを襲う。そのケンソンの危機迫る物言いは、正に今覇王からキョウナンを差し出せと強迫される事態が起こっているかのように錯覚された。


諸侯たちも咄嗟とっさにアルポート王国の弱点に気づき慌てふためいた。


「ユーグリッド王、これは決して絵空事ではない。キョウナン様は絶世の美女だ。覇王の一族がいやらしい感情を起こし王妃様が欲しくなるという可能性だってある。それに覇王は手段を選ばぬ男。貴公らアルポート王国が反乱を起こさぬようキョウナン様を人質に出せと命令する可能もある。


もしそうなった時、貴公はどうする? 妻を守るため覇王と戦うか、あるいは国を守るために妻を見捨てるか。だがもし貴公が王妃を見捨てるならば、キョウナン様は覇王の元で永遠に奴隷以下の人生を送ることになるだろう」


「控えなさい! ケンソン殿! あなたの陛下への発言はあまりに無礼過ぎますぞ!!」


テンテイイが声を張り上げてケンソンを咎める。


だがケンソンはその亀のような目をきりりと切り上げたまま、王に対する口撃を止めない。


「いいえ、これはアルポート王国の存亡にも関わる重大な事項です。貴公ら臣下たちもしかとその耳で聞いておきなさい! 


ユーグリッド王、貴公はかつてアルポート王国を守るため覇王にお父君の首を差し出した。それは神の天秤にかけても正邪の判定が出来ぬものだろう。


ではここで再び問おう。覇王が今度は、キョウナン様の命を差し出せと言ってきたとしたら、その時貴公が持つ天秤はどちらを選ぶ? 国を守るために妻を犠牲にするか、妻を守るために覇王と戦うか。神の天秤はどちらにも傾きはせぬ。だが貴公は王として、夫として、どちらか一方の皿を選ばなければならぬのだ!


さあ、貴公はその時、どちらを選ぶ覚悟がある!?」


小さくて太いケンソンの人差し指が真っ直ぐに王を射抜く。その直立した力強い指は、王に偽りを述べることを許さない。


妻の命、国の命、ユーグリッドは今まさに天秤に掛けさせられていたのである。


その神の判決の場では、諸侯たち全員も完全無欠な審判を下すことができなかった。


「俺はーー」


やがて王が口を開く。それは王と人の意志が混沌として混じった、それでも一本の天柱として弾き出さなければならない決断であった。そして王は答えを出す。


「俺はその時、キョウナンを守るために覇王と戦います」


こうして、アルポート王国とモンテニ王国との同盟交渉が幕を開けた。

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