薄氷の上の駆け引きは続く

「ではユーグリッド王、2つ目の疑惑について話そう。貴殿らがボヘミティリア王国に攻め入ろうとしている2つ目の証拠についてだ」


玉座の間で、薄氷の上を互いに歩くようにユーグリッドとデンガハクは駆け引きを続けていた。


その氷の湖の下は地獄、屍の山、戦火の煉獄。お互い一歩間違えばその光景をどちらかが見ることになるのである。ユーグリッドもデンガハクも自国に攻められることを恐れていた。だからこそ、互いに牽制し合いながらこの長きに渡る弁論が続けられていたのである。


蛇のように牙を向けるデンガハク、蛙のように縮こまるユーグリッド。その腹の底に眠る本当の毒牙を突き立てるために、お互いの黒い腹の内を探り合う。互いに敵の急所を突ける時が来るまで、ひたすら両者の舌戦が繰り広げられていたのだった。


「と、ユーグリッド王。貴殿と談義を続けようと思っていたが、ここで戦術を変えることにしよう。おい、そこの者」


だがデンガハクは突然標的を変え、王の隣に立つ老人に目を遣った。


「そう、貴殿だ。そこの俺を射殺すように睨み続けているソキン」


「・・・・・・はい、何でございましょう?」


ソキンは慇懃無礼なほど畏まった態度でお辞儀する。だがその瞳の奥に宿る眼光は常にデンガハクへの殺意で溢れていた。


「貴殿と少し話をさせてもらおう。貴殿は近頃このアルポート王国で軍兵を集めているそうだな。自分の一族や親交のある者たちに声をかけ、己のプロテシオン家の兵士として勧誘をしていると聞く。それに相違はないか?」


「さようでございます。私は今兵を集めております」


ソキンはあっさりと白状する。


「ほう、それは王の命令でか?」


「・・・・・・いえ、私が個人的にやっていることでございます」


だが重鎮はすぐに嘘をついた。


デンガハクの眉が露骨なほど大きくひそめられる。


「個人的に? それは妙だな。どこの国の法律でも、臣下が勝手に兵を集めるなどということは、王の許可もなくできることではない。貴殿は確か軍人だと聞いているが、今兵士を集めなければならない理由でもあるのか?」


「ええ、個人的なものですが理由はあります。それに私は兵を招集する許可を陛下からいただいております」


ソキンはデンガハクの質問に滔々とうとうと答える。許可が下りているというのは半分嘘だった。確かにユーグリッドはソキンに密談で兵を集めるように指示をしていたが、政務上の正式な認可は出していない。覇王軍にボヘミティリアへの城攻めを悟られないよう、国からの大々的な承認は出していなかったのである。


「ほう、ではその理由について聞かせてもらおうか」


「はい。アルポート王国の内情にお詳しいデンガハク殿でしたら既にご存知でしょうが、私の娘キョウナンはユーグリッド陛下と結婚しているのです。それで私どもプロテシオン家はレグラス家と名を連ねる王族となったのでございます」


「ああ、ユーグリッド王が貴殿の娘と婚姻を結んだことは知っている。確かキョウナンという女は絶世の美女だと噂されているらしいな。そんなに美人なら、是非とも俺も抱いてみたいものだな」


その瞬間、ユーグリッドとソキンは隠すことのない殺意を走らせる。二人の手は衝動のままに剣の柄に伸びた。


「ああいやいや、失礼。これはただの冗談だ。あいにくだが俺にも妻はいる。女関係には困っておらんということだ」


デンガハクは小馬鹿にしたように両手の手のひらをひらひらと振る。


ユーグリッドとソキンはすぐに平静を取り戻し柄から手を離した。


ソキンは一見取り澄ました顔をして話を続ける。


「・・・・・・それで、私はユーグリッド陛下の一族となったわけですが、私はそれに伴ってプロテシオン家の威信をレグラス王家と肩を並べられるぐらいに大きくしようと考えたのです。やはり王家の一族となった以上は、陛下に恥をかかせるわけにも参りません。アルポート王国の諸侯たちにも王族としての示しをつけようと考えたのです」


「ほう、随分ベラベラと自分の権勢欲について打ち明けるものだな。それで、その貴殿の権勢と兵集めに何の関係がある?」


「はい、それはこの国の大将軍タイイケンと少々関係があるのでございます」


そのソキンの返答に、デンガハクだけでなく諸侯たちも一斉に背後に振り返る。玉座の間の後ろで控えていたタイイケンに注目が集まった。


タイイケンはめんどくさそうにそっぽを向く。


”俺に話を振るな。こういうごたごたした政治の揉め事は貴様らの役回りだろ”


その心の中の声がありありとその態度から伝わってきた。


「で、そのタイイケンがどうしたというのだ? タイイケンの武名の噂は俺も知っている。聞く所によると、朝廷で海城王と肩を並べて数々の武功を挙げていたそうだな?」


「はい、それで、お恥ずかしながら私はヨーグラス様と朝廷で共に仕えていた頃は、それほど大した武功を挙げることができませんでした。タイイケンの武名と比べても天と地の差があるのでございます。


ですが、それでは王家の武人として示しが付きません。凡庸な武将の私では、とても偉大なる海城王の一族レグラス家の誉れと釣り合わない。


ところが自分の名を上げようにも、アルポート王国は平和な国。この老将がこれから武名を上げられる機会など、もうどこにもないに等しいのでございます」


ソキンは慇懃無礼に右手を左腕に添えながら話す。


デンガハクにはこの老人の述懐の行く末が掴めなかった。


「それで、貴殿は結局今何がしたいのだ? 貴殿ももう年だ。そろそろ隠居して孫の顔でも愛でる頃合いになったのではないのか?」


「いえ、陛下にはまだ御子はおりません。話を戻しますが、それで私はこの平和なアルポート王国で、武人としての威信を示すにはどうすれば良いものかと考えたのです。そこで行き着いた答えが、アルポート王国で一番の最大軍事力を保有するというものです」


ソキンの遠慮のない告白に諸侯たちはどよめいた。いくら信望の厚いソキンといえど、そんな王の威信すら揺るがしかねない重大事項を口に出すことに辟易をしていたのである。


だがそれはソキンの本心でもあった。実を言うとソキン自身タイイケンには劣等感を持っているところがあった。


海城王の重鎮として傍で仕えていたのは自分だが、軍事における最大の発言権力を握っていたのはタイイケンであった。ヨーグラスが朝廷にいた頃、戦の際はいつもタイイケンの軍略ばかりが採用されていた。


ソキンは長年に渡りそのことに嫉妬を覚えており、いつかタイイケンをも凌ぐ名声を手に入れたいと考えていたのである。


「ハハハっ、確かに仮にこの国が平和だとしたら、軍人のやれる仕事など高が知れているな。練兵、警備、それから領民に仕事を与えるための徴兵。後は目上の者におべっかをのたまうことぐらいしかない。まあ、老人が残り少ない余生を送るにはちょうどいい役職だろうがな」


デンガハクは声を上げて笑いながらソキンに大口を開いた顎を向ける。


ソキンはそれに悔しいとも腹が立つとも思わなかった。全てはただ己の野心を叶えるがため。そのために屈辱に耐え忍ぶことなどもはや慣れきっていた。


「だがいいのか? ユーグリッド王。このソキンが最大兵力を集めるということは、王位を乗っ取られる可能性もあるということだ。いつぞやのリョーガイの時のように武力行使で玉座から降ろされるかもしれんぞ?」


デンガハクは大仰に全身を翻しユーグリッドに話を振る。


「いえ、ソキンは反乱を企てるような家臣ではございません。俺の義理の父でもありますし、今は家族の一員です。俺はソキンのことを信じております」


ユーグリッドは純朴な青年のように微笑みを向ける。


デンガハクはそれを猜疑の目で見たが、やがてそれに飽きたかのように再びソキンに向き直る。


「で、貴殿は今どれくらい兵が集まった?」


およそ5000兵ほどです。今までの兵と合わせるとプロテシオン家は現在1万兵ほどであり、この国のタイイケンや陛下の勢力と拮抗しております。ですが、私としましてももう声をかける相手がおりません」


「ほう、この小国でそれだけの兵をよく集められたものだな。貴殿は中々に信望のあるご老体というわけか」


ソキンがあっさりこの国の軍事機密を明かしたことに、諸侯たちはまたどよめきを見せる。


だがソキンはこれぐらいの情報は既に覇王にも知れ渡っていると踏んだ上で発言したのだった。


デンガハクは心の中で戦況の勘定を始める。


(ソキンが兵を5000人集めた・・・・・・これはボヘミティリアの内偵の報告ともほぼ一致している回答だ。だとすれば今アルポート王国の兵力は3万5000・・・・・・ボヘミティリア王国を防衛するには最低2万は必要だな。


だが、そうなると今一時休戦しているモンテニ王国への遠征に出せる兵力は9万程度となる・・・・・・


しかしモンテニ王国は5万の兵力を有する堅牢な自然要塞。そこを攻めるには最低その二倍の10万の兵力が欲しいな・・・・・・


だが、それだとボヘミティリア王国には1万の兵力しか守備に置けなくなり、アルポート王国に隙を見せることになる・・・・・・か)



急に黙り込んでしまったデンガハクに諸侯たちは不穏なものを感じた。その支配者の男から宣告される言葉を、固唾を呑んで見守る。


だがデンガハクはソキンの兵集めの議題について、唐突に寛大な態度を示す。


「・・・・・・わかった。ソキン、貴殿がそういう事情のために兵を集めていたというのなら俺も大目に見るとしよう。俺とて老人の余生の楽しみを奪うのは忍びない。この話は終わりにするとしよう」


諸侯たちは想定外のデンガハクの心変わりに内心安堵する。てっきりまた横暴な要求をされるのかと思っていたのだ。だがしかし、その諸侯たちの懸念は的中していたのである。


「おい、そこの商人!」


突然、デンガハクは咄嗟とっさに振り返りリョーガイに大声で呼びかける。


リョーガイはその声に飛び上がるほど驚いた。


「は、は、はい!!! な、な、何でございましょうか!?」


リョーガイは完全にデンガハクに怯えていた。以前のデンガハクの来訪の際には自分が殺されかけた上、自分の財産の100万金両まで奪われたのだ。デンガハクとの間には全くいい思い出がない。


その完全に臆病風に吹かれた商人に、デンガハクは残忍な歪んだ笑みを浮かべた。


「貴殿は確か、西海の海賊王より大砲を大量に輸入したそうだな? そして今は大砲の訓練もしていると聞く」


そしてデンガハクは敵の喉元に食らいつくかのように問うたのだった。


そう、その3つ目の議題は、アルポート王国のボヘミティリア王国攻略のための最大の切り札であり、そしてこの交渉における最大の急所であった。

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