牢獄での交渉

(クソッ! 何故こんなことになってしまったのだ!?)


アルポート王城の牢獄の最下層、最重要犯罪者が入れられる鉄格子の檻の中で、リョーガイは煩悶していた。


その鋼鉄に囲まれた牢獄は薄暗く、周囲には用を足すための桶や粗末なムシロの寝床しかない。空気は薄く息苦しく排泄物の臭気が満ちている。


生まれた時から裕福な商家の元にいたリョーガイにとって、これほど劣悪な環境は初めてだった。もはや人間扱いされていない、まるで家畜の畜舎のようであった。


だがリョーガイはいつの日か、その飼い殺しの立場すら奪われることになる。それは己の処刑の日、リョーガイが火あぶりにされる日だった。それがいつになるのかリョーガイにはわからない。


(クソックソッ、ソキンめ! 私をたばかりおって! この屈辱は死んでも忘れんぞ!!)


リョーガイは心の内で呪詛を唱える。だが今更そんなことをしても全くもって無意味だった。それでもリョーガイは生き永らえようと抵抗する日々を送り続けた。


まず警備兵に賄賂を持ちかけた。『私をここから出せばいくらでも金を出してやる』と誘惑した。


だが国家反逆罪を犯したリョーガイの信用など既に地の底に落ちており、誰も耳を貸さない。中にはリョーガイを槍の柄で殴り飛ばす乱暴者さえいた。


そして次にリョーガイは脱獄の手段を考えた。先の細い針金のようなものがあれば、牢の錠を外せるのではないかと思いついた。


だがそんな都合の良いものは檻の中にはない。唯一の心当たりは警備兵が持っている槍である。しかし皆重大な責務を負っているだけあって巡回の時にも隙を見せず、檻の中の罪人に武器を奪われるような間抜けはいない。


結局リョーガイは絶体絶命の危機を逃れる術を見つけられず、徒労に終わる苦悩を続けていたのだった。やがて月日が立った頃には、すっかりリョーガイの精根が尽き果てていた。ずっと暗闇の中に居続けたリョーガイには、どれだけの期間ここで過ごしたのかもわからない。


(私はこのまま死ぬのか? 火に焼かれて何時間も苦しみながら殺されるのか? そんなのは嫌だ・・・・・・そんな惨たらしい最期は嫌だっ! 私は死にたくないっ。私は生きたい。私は一体、どうすればいいのだ・・・・・・?)


床に這いつくばりながらリョーガイは涙する。途絶えることのない後悔がどんどんと押し寄せてくる。


だがその時、突然足音が3つほど聞こえてきた。普段の食事を運んでくる兵士はいつも一人だった。


その事実に気づき、リョーガイの表情はさっと恐怖で凍りつく。


リョーガイの檻の前で3人の人物が立つ、一人は槍を持った兵、もう一人は鍵を持った兵、そしてもう一人はーー


(ユ、ユーグリッド!?)


アルポート王国の国王、ユーグリッド・レグラスであった。


「ここに入ったのは初めてだが、随分とひどい臭いがする所だな。だが謀反人が最期の時を待つには似合いの場所だ」


ユーグリッドは不快そうに鼻の前に手を翳している。


「ユ、ユーグリッド陛下!!」


リョーガイが鉄格子に縋りつく。唾を飛ばし、必死な形相で喋り始める。


「陛下! 陛下がここにおいでなさったということは私を釈放してくださるのでしょう!? わざわざ王であるあなたがこんな場所に来るはずがない! どうか私めの解放を兵士たちにご命じください!」


リョーガイは藁にも縋る思いで懇願する。


だがユーグリッドはそんな反逆者の無様な姿をせせら笑った。


「何を勘違いしておる? 俺は哀れな謀反人がどのような最期を迎えるか見届けに来ただけだ。今日がお主の処刑を執行する日だ」


リョーガイの顔から血の気がさっと消え失せる。口をポカンと開け放心する。だが最後の気力を振り絞り、リョーガイはユーグリッドに言いがかった。


「陛下! 交渉をしましょう! いや、交渉をさせてください! 私を生かすことは陛下の利益にも適うことでございます!」


「ほう、反逆者のお主を生かすことに利があると?」


「そうです! そうでございます! リョーガイめにもう一度弁明の機会を与えてください!」


リョーガイは必死に食い下がり、指に力を入れる。


「私を生かしてくだされば、金はいくらでも差し上げます! この国は財政難、陛下だって金が欲しいのでございましょう!? もちろんあなたの借金だって帳消しにします!」


「なるほど、金か。して、お主の全財産はいくらある?」


リョーガイが一瞬答えをためらう。だが答えなければ自分は死ぬ。それを悟り白状した。


「全部で、400万金両ほどです・・・・・・」


「そうか、ならお主の命を競りにかけてみよう。開始地点は400万金両だ。他にこの俺を納得させるだけの価値がお主にはあるか?」


「へ、陛下、それは困ります! 全財産を取られてしまっては、商売どころか生活すらできない! 私の金は私だけの問題ではないのです!


私にも家内がいるし、子供たちだっている。それに養わなければならない家来たちだって多く抱えているのです。私の金が全部なくなったら、陛下は私の命だけでなく、私の一族たちの命も奪うことになってしまいますぞ!」


「反逆者の一族としては当然の末路よ。俺はお主の親族どものことなぞ知ったことではない。


これはお主の命をかけた競りだ。半端なことを申せば、その場で審議を終わらせるぞ」


ユーグリッドは冷血に脅しをかける。


リョーガイには髪一本分の余裕もなかった。国家の反逆者にはもはや己の全てを投げ捨てるしか道はない。


「な、なら私の兵士も差し上げますっ! 陛下は私がまた反乱を企てることを恐れているのでしょう? なら私が蜂起できぬように兵を取り上げればいいのです。私はもう一兵たりとも軍隊は持ちませぬ」


「なるほど、確かに5000の兵が我がアルポート軍に加わるのは心強い。だが兵がなくともお主は俺を殺すことができるであろう? 例えば金で悪漢を雇って襲わせるだとか。これだけの屈辱を味わったのだ。お主が俺を恨んでいないはずがない」


「め、滅相もない! 私はもう陛下に逆らう気など毛頭もありません! どうかこのリョーガイめの言葉を信じてください!」


リョーガイは必死に服従心を訴えかける。


だがユーグリッドの心根には全く響かなかった。


「反乱を犯そうとした男の言葉を信じる? お主は自分で自分が言っていることをおかしいと思わないのか? 俺はお主のことなど一分たりとも信じてはおらぬ」


ユーグリッドは無碍にリョーガイの宣誓を切り捨てる。


リョーガイの絶望はますます深まった。


「な、ならーー」


リョーガイはそこでためらい言い淀む。


「なら、私の家族を人質にしてください! もし私が少しでもおかしな素振りを見せたら、その者たちを皆殺しにしてくださっても構いせん! で、ですが私も家族を愛しております! 絶対にそのようなことにはならないよう努めると約束します!」


リョーガイが檻の中で土下座する。その惨めな有様にはもはや侮れない策士の面影はない。


ユーグリッドはククと嘲笑う。


「なるほど、なかなか面白い発想だな。俺の信頼を得るために自分の家族を売るか。だがそんな家族を切り捨てるようなことを申すのであれば、本当にお主がその者どもを想っているのか甚だ疑問であるな」


「わ、私は、本当に家族を愛しておりますっ! 私が大罪人として死んで家族が一生後ろ指を指されるぐらいなら、ユーグリッド様の元で家族たちがお仕えするほうが遥かに幸せでございます。召使いだろうと馬丁だろうと、何でもお好きにお使いてください!」


リョーガイは震えながら頭を下げ続ける。豪商人には今ユーグリッドがどんな顔をしているのかすらわからない。


「なるほど。お主はそういう勘定をしているのか。確かにお主の言ってることは理に適っている。己が反逆罪を犯していながら、一族を王の家来にしろとは実に面白い交渉のやり方だ。やはりお主は中々に抜け目のない男のようであるな。家族を愛しているというのも本当のようだ」


「ええ、そうでございます。今では城攻めのたばかりなどして家族に迷惑をかけたことを後悔しております。私はもう二度と一族に火の粉が降りかかるような真似はいたしませぬ」


リョーガイはひたすらに自分と家族の命乞いを続ける。ユーグリッドに家族の生殺与奪の権利さえ握られてしまっている事実に恐怖しているのだ。もはやリョーガイはユーグリッドの言葉に何も背く気などないほどに平伏している。


その無抵抗な罪人の様子を見て、ユーグリッドは顎に手を添えほくそ笑む。


「そうか、そうであろうな。だがまだお主の命の競りは目標の額まで達してはいないぞ。お主は一応まだ貿易大臣だ。この国の貿易の全権を握っており、西地区に港も保有している。今のお主には少々贅沢すぎる代物だ」


「ええ、私の港もユーグリッド様に差し上げます。貿易大臣の職も、その・・・・・・解任してくださって構いません。もし私を国外追放だけでお許しになってくださるのならば、私は一族を連れてアルポート王国から出ていきます」


「いや、お主を追放などせん。追放などという生温い刑ではお主の大罪はあがないきれぬぞ」


リョーガイは王の厳たる言葉にぶるぶると震えながら顔を上げる。両目には涙を湛え、情けない顔で眉根をひそめていた。


「へ、陛下、どうかお許しを・・・・・・」


「ならんな。お主の罪は、お主の命と家族の命を合わせても拭い去れぬものであるぞ。競りの額はまだ目標まで達しておらん」


「そ、そんな・・・・・・」


リョーガイの体はガタリと崩れ落ちる。


「へ、陛下。私にはもう陛下に差し上げられるものがございません。土地も財産も兵も家族も、全てユーグリッド様のものにございます。私にはもう陛下にお渡しできるものが何一つ残っておりません。どうか、どうかこのリョーガイめに御慈悲を・・・・・・」


「いや、あるではないか。お主がまだ俺に寄越していないものが。俺はそれが一番欲しいのだ」


その言葉にリョーガイはビクリビクリと体を跳ね上がらせる。リョーガイは伏せたまま泣きじゃくり、童のように顔を汚している。もはやまな板の上の鯉であり、その命が絶たれるのをただ待つしかなかった。


だがユーグリッドはリョーガイの予想を超える。


「それはお主の才能だ、リョーガイ・ウォームリックよ。俺はお主の商人としての手腕が欲しいのだ」


「えっ?」


思わずリョーガイが顔を上げる。泣き晴らした顔が王の瞳に映る。


ユーグリッドはその才人の双眸を真っ直ぐに見つめ返した。


「お主は海城王の時代より、西海の海賊王との交渉を続けてきた。海賊王は残忍であり利己的であり、西海を我が者顔に略奪し尽くした悪鬼である。だがお主はその稀代の悪党を相手に優れた交渉術を以て莫大な利益を上げ、アルポート王国への侵略を防ぎ続けてきた。


その機転は雷のように鋭く、その叡智は海よりも深い。このアーシュマハ大陸においても随一の商才の持ち主よ。俺はその才能が欲しい。このアルポート王国を立て直すことができるお主の頭脳が欲しいのだ!」


ユーグリッドは高らかな声を上げ、リョーガイに任命を下す。


「我が国の財務大臣となれ、リョーガイ・ウォームリックよ! お主の敏腕を以てこの国の財政を再建し、この国の経済を豊潤なものとせよ! 領民の懐を潤し、臣下たちの俸禄を上げ、このアルポートの地を富豪の者で溢れさせよ! 


さすればお主の罪は、永久にこのアルポート王国の歴史から抹消されることになるであろう。アルポート王国の国王、ユーグリッド・レグラスの忠実な家臣となれ、リョーガイ・ウォームリックよ!」


ユーグリッドが堂々たる威風でリョーガイに手を差し伸べる。


リョーガイはユーグリッドを見上げ、鉄格子から震える手でユーグリッドの手を掴む。


リョーガイは感涙していた。生まれたばかりの赤子のように心を曝け出して泣いていた。金と権勢ばかりを追い求めてきた男に、生まれて初めて敬愛の心が芽生えたのである。


「ユーグリッド様ぁ・・・・・・ユーグリッドさまぁ・・・・・・」


リョーガイは感動に打ち震え、主君の名前を何度も呼ぶ。リョーガイはユーグリッドに心服した。

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