第一章 前日譚《prequel》

Title:メリーバッドエンド



「俺と、結婚してくれ」


 誠意のこもった言葉と共に差し出されたのは、ガラス細工の宝石が輝くおもちゃの指輪だった。


「ふふふ、可愛い指輪。ありがとうございます~」


 私はそれを笑顔で受け取ると、寝癖が目立つ目の前のかわいらしい頭に手を伸ばす。

 頭を撫でると男の子はぷくーと頬を膨らませる。


「おい。俺は真剣に言ってるんだぞ!」


「コウタくん。女性は優しく扱わないとモテませんよ~」


「うるせえ!」


 私が笑っていうとコウタくんは頭から私の手を振り払い、バツの悪そうな顔になる。

 そんな微笑ましいやり取りの中で、私は心から笑っていた。



「メリー。あんまり子供をからかうもんじゃないよ」


 私をたしなめる声が掛かる。

 声の主は私の同僚である看護師のヒカリだ。

 彼女は他の子供たちの面倒を見ながら肩をすくめ笑っていた。


 ここは病院の中庭。

 小児病棟に勤める私たちはここに入院する子供たちを連れ、外に出てきていた。


 指輪をプレゼントしてくれたコウタくんもここに入院する患者の一人。

 心臓に病を抱え、長期入院している小学四年生。

 少しませている所があり、今日みたいにプレゼントを用意し私に好意を伝えてくれる。


「いいじゃないですか~。だってこんなに可愛いんですよ~」


「おい! やめろ! だから子ども扱いするなって!」


 私とコウタくんがじゃれ合うのをヒカリがため息をついて見守る。

 本当だったら患者相手にこんなになれなれしい態度で接するのはとがめられる所だが、私たちがこうやって子供たちに接するのにも理由がある。

 

 コウタくんが抱える病気は命に関わるものだった。

 今はこうして動けているが、いつ発作が起き寝たきりになるとも分からない。

 家族の希望で本人には診断名を伝えてはいないが聡い子だ。

 ある程度は自身の状態を察しているはずだ。

 夜に病室の前に立つと一人で泣く声が聞こえたこともある。


 入院患者の中には他にも命に関わる病を持った子もいる。

 彼らに与えられた時間は長くない。

 命は等しく尊い物だけれど、その長さは平等ではない。


 だから私は彼らに生きるだけじゃなく活きていてほしい、そう願う。

 病院という限られた環境では親や友人と触れ合える機会も、どうしても少なくなる。

 少しでも楽しい思い出を作ってあげたい。

 彼らの生が最後まで輝くものであるように。


 私たちは今日も親身になって彼らと向き合う。


「さあ、そろそろ戻るよ」


「みんな行きますよ~」


「「「はーい!」」」


 彼らが生きていてよかったと思えるように。

 今日も私は元気に彼らと接する。





 転機は突然訪れる。

 院内に響き渡るサイレンの音。

 私が勤務する最中、病院で火事が起こった。


 火元は厨房だと院内アナウンスが告げる。

 私たちは避難マニュアルに従い患者を避難させていく。


 いつ止まると分からないエレベーターは使えない。

 まずは一人で動くことのできる患者を階段へ誘導する。

 一人で動けない患者は担架にのせ、皆で護送していく。


「コウタくん。どうしてこんなところに! 動ける人はもうみんな避難していますよ~」


「レンゲがいないんだ!」


 コウタくんは必死の形相で叫ぶ。

 レンゲちゃんとはコウタくんと同時期にここへ入院してきた小学二年生の女の子だ。

 コウタくんはレンゲちゃんとよく一緒に居て妹のように可愛がっていた。


 ここで私が焦ってはいけない。

 私はできるだけ優しい声でコウタくんに話しかける。


「レンゲちゃんならもう避難したのではないですか~?」


「お気に入りの人形を取りに戻ったんだ。病室に向かったはずなんだ。俺もついていったんだけど、避難する人の波に逆らって移動するうちにはぐれちまって。それで、レンゲの病室に行ったんだけど、居ねえんだよ。病室に」


「それは心配ですね~」


 焦燥の色を浮かべるコウタくんの顔を見ながら私は掛ける言葉を考える。

 レンゲちゃんの安否は心配だが、とにかく今はコウタくんを外に連れ出すべきだ。

 病院の防火設備があるためまだこの病棟まで火は回っていないものの、それも時間の問題だ。

 さすがに今からレンゲちゃんを探し回っている余裕はない。

 レンゲちゃんはすでに避難したと考えるべきだ。


「きっとレンゲちゃんはもう外に避難していますよ~」


「そんなはずねえよ。だって、この人形、レンゲの部屋に置いてあったんだぜ」


 コウタくんの手に握られていたのは、片方の耳が折りたたまれ垂れ下がった淡いピンク色のウサギの人形だった。


「これは、レンゲちゃんのですね~」


「あいつはこれを取りに病室に戻ったんだ。普段あいつは病棟を出歩かねえ。途中で迷ったのかもしれねえ」


「……分かりました~。私が探しておきますから、コウタくんは先に」


「ダメだ! レンゲを置いては行けねえよ!」


「でもですよ」


「大切な奴を守る。その為なら俺の、こんな命なんて惜しくねえ!」


 なんとか宥めて外に出そうとするが、コウタくんは真剣だ。

 無理矢理にでも外に連れ出したいが小学生とはいえ男の子。

 私一人で連れ出すのは難しい。


「分かりました~。だけど、私が危ないと判断したら無理にでも一緒に外に来てもらいますよ~」


「ありがとう!」


 こういう時は無理に意見を否定しても固執させてしまうことになる。

 私は折れて、コウタくんとレンゲちゃんを探すことにする。

 頃合いを見て探索を切り上げさせよう。

 いざとなったら私が無理矢理にでも外に連れ出さなければならない。

 


「くそ。レンゲ! どこいったんだよ」


「コウタくん。もうこれ以上は危険です〜。戻りましょう〜」


 三分が経過し、まだ火は辺りに見当たらないが先程爆発のような音も聞こえた。

 もう猶予はない。


「でも、レンゲが」


「レンゲちゃんもこの火事の中、建物に残ってはいないでしょう〜。もし、探索を続けようとしていたとしても周りの大人が連れ出してくれているはずです〜」


「……」


 先程より落ち着いたのか、私の言葉にコウタくんが迷っているのが伝わってくる。

 もうひと押しだ。


「コウタくんが怪我してしまえばレンゲちゃんも悲しみますよ〜。そのウサギ、レンゲちゃんに届けるのでしょ? 一緒に戻りましょう〜」


「……分かったよ」


 コウタくんはしぶしぶといった感じで頷く。

 私はすかさずその手を取ると階段の方へと引く。


「うわあああん」


 聞こえた泣き声。

 病棟の奥からだ。

 

「今のレンゲの声だ!」


「ええ。行きましょう」


 私達は泣き声の聞こえた方向へ走る。





「レンゲ!」


 通路の突き当り。

 座り込みながら泣いているレンゲちゃんを発見する。

 普段と雰囲気の違う病棟だ。

 やはり迷ってしまったのだろう。


 コウタくんはまっすぐレンゲちゃんの下へ走っていく。

 私も慌てて並走する。

 でも、良かった。レンゲちゃんが無事で。

 これでみんなで脱出ができる。


「コ、コウタくん」


 レンゲちゃんは近寄ってきた私達の顔を見ると安心したように泣き声を止める。


「わ、私。道に迷っちゃって」


「さあ、戻るぞ!」 


 コウタくんがレンゲちゃんに手を伸ばした、その時。

 突如壁が爆発する。


 少し距離のあった私の所にも破片が飛んでくる。

 煙が晴れるとそこには泣きじゃくるレンゲちゃんと、瓦礫に埋もれたコウタくんの姿があった。


「コウタくん!」


 私は駆け寄る。

 見ればコウタくんの腰から下が完全に瓦礫に埋もれてしまっている。

 試しに瓦礫をどかそうと手を伸ばすが、私の細腕では一抱えもある瓦礫を持ち上げることはできない。


 コウタくんに意識は無いようだ。

 レンゲちゃんはコウタくんにしがみつくように泣いている。


 私が連れてきてしまったばっかりにコウタくんが怪我を。

 監督責任、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。


 火は目前まで迫っている。

 瓦礫の下敷きになっていて、コウタくんを連れ出すことはできそうもない。


「コ、コウタくん?」


 レンゲちゃんは目の前で起きた出来事のショックから茫然と座り込んでいる。


「今はコウタくんを連れていけまけん。早く避難をして、助けを呼びに行きましょう」


 私はレンゲちゃんだけでもと手を掴む。


「いやだ。コウタくんが死んじゃう」

 

 レンゲちゃんを無理やりコウタくんから引き離そうとするが、両手でしがみつくように抱き着いておりまったく動いてくれない。


「言うことを聞いて!」


「いやだ。コウタくんも連れて行ってよ! メリーさんがコウタくんを連れてきたんでしょ。そうじゃなきゃこんなことにならなかったのに!」


 その瞬間、何か糸が切れたような音がした。

 まるで夢の中に居るかのようにおぼろげな感覚となり、私は立ち上がる。

 ダメだ、逃げなきゃ。


 それからどうやって移動したのか覚えていない。

 ただ私は襲い来る炎から逃げて、必死にその場を離れた。

 気づけば私は靴も履かずに外へ飛び出していた。


「大丈夫!?」


 掛けられた声に正気を取り戻す。

 声を掛けてくれたのはヒカリだった。

 私は思わずヒカリに抱き着いていた。


「ちょっとだけ、足元がふらつきます~」


「煙を吸い込んだかもしれないわね。あっちで治療を受けましょう」


 助かったんだ。

 安堵が私の心を支配し、膝から崩れ落ちるようにしゃがみ込む。


「わっ、ちょっと! 私まで倒れちゃうわよ!」


「ご、ごめんなさい~。でも力が入らなくて~」


「あんたねえ……でも、無事でよかったよ。そうだ。それより、あんたコウタくんとレンゲちゃんが見当たらないの。見なかった?」


 思考が現実へと焦点が合う。

 あれ? 私はレンゲちゃんを探しに行ったはずじゃ。

 私はドウシテ、ヒトリ、デ?


 爆発音が響いた。

 見れば先ほどまで私が居た玄関が崩れ落ちていた。

 私の脱出がもう少し遅ければ、爆発に巻き込まれていただろう。


 私はヒカリに視線を戻すと、先ほどの質問に応える。


「いいえ~。二人は見かけませんでしたよ~……心配ですね~」




 火事は一時間後に消し止められた。

 死者は五名。重傷者も十二名出たが、動けない患者がいる中では被害が少ない方なのではないか。

 私は心身の不調を理由に病院を休んだ。

 ヒカリは心配してくれたが、その心遣いが痛かった。


 助けられたはずだ。

 レンゲちゃんを探しに行かず、コウタくんを無理にでも引っ張っていけば。

 瓦礫に埋もれたコウタくんを置いて、レンゲちゃんを無理にでも背負って脱出していれば。

 しかし、二人は死んでしまった。


 誰も私の罪を知らない。

 職場の同僚には最後まで逃げ遅れた人がいないか探して避難が遅れたと話してある。

 皆は私の行為を賞賛し、心労をいたわってくれている。

 私が二人と一緒に居た証拠はどこにもない。


 だけど私だけは知っている。

 私が見ごろしにした二つの命の重さを。


 自宅に引きこもり、布団にくるまる。

 夢で見るのは真っ赤に囲まれた景色の中で泣いて助けを呼ぶ二人の影。

 起きていても寝ていても悪夢は終わらない。

 私が彼らを殺した。その事実が私を悪夢から逃がさない。






 しばらくして私は仕事に復帰した。

 傍から見れば以前通り、大きな変化は見られないことだろう。

 だけど、私は決定的に変わってしまった。


 私は気づいたのだ。

 命はどれも尊い。けれども決して等価ではない。

 最も大切なのは自分自身の命だ。

 自分の命を守れるのは自分だけだなのだから。


 レンゲちゃんのため、命を掛けたコウタくんの献身は確かに美しい。

 だけどあの時、私と一緒に脱出していればコウタくんの命は助かったのだ。


 レンゲちゃんだってそうだ。

 コウタくんを置いていきさえすれば、今も彼女は生きていたはずだ。


 命は尊い。

 だけど、その命にも優先順位は必要だ。

 誰かを助けるために自分を犠牲にするなんて間違っている。

 自分の命を守るためには他人の命を取捨選択すべきなのだ。

 

 命は尊い。

 だから、私は私の命を活かし続ける。

 それが私の為に切り捨てる選択をした命へのせめてもの手向けになるはずだ。

 私の命が活きている限り、私の選択は正しかったと証明できるはずだ。


「さあ、今日も張り切って活きましょ~」

 

 最も尊い命の為に。

 私は幸せに活き続けなければならない。

 それは他の何を犠牲にするとことになったとしても。


 私は私を活かすため、今日も日々を生きていく。

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