1-16 「だから僕はあなたを守った」
医務室の扉を開けるとベッドの上で眠るレインさんの姿があった。
腕からは点滴のチューブが伸び、今は服で隠されているが腹には傷が残っているはずだ。
昨日、私を庇って負傷したレインさんは、皆の必死の救命活動を経て一命を取り留めた。
お腹の傷は応急処置で縫合し、化膿しないよう処置してあるが完全に塞がったわけではない。
ただし、危機的状態は去ったとメリーさんからは聞いている。
丸一日眠っていたレインさんは夕方にようやく意識を取り戻した。
しばらく私やメリーさんと会話したあと、今は安らかな表情で眠っている。
私はミユキさんが作ってくれた夕食の載ったトレーをベッド横の机の上に置く。
すやすやと眠るレインさんの顔は穏やかで、私は改めて安心する。
すーすーと聞こえてくる寝息。
ぐっすりと眠るレインさんのかわいらしい寝顔に私はおもわずそっと手を伸ばす。
「ん、カスミさん?」
「へっ? うわあああああああああああ!」
突如レインさんが覚醒し、私と目が合う。
私は素っ頓狂な叫びをあげて、思わず飛びのく。
今目覚めるなんて、レインさん間が悪すぎる。
「ああ。ご飯を持ってきてくれたんですね」
「は、はい。よろこんで!」
「うん? ええっと。わざわざありがとうございます。でも、食堂に行くぐらいはできますよ」
「だ、ダメですよ! 絶対安静とメリーさんから言われているんですから」
起きだそうとするレインさんを慌てて押しとどめる。
まだ傷が治癒したわけではないのだ。
無理に動いて傷が開いては大変だ。
「ここでじっとしていてくださいね」
「そうですか。僕、こう見えてじっとしているの苦手なんですけどね」
レインさんはそう言って微笑むとベッドから体を起こした。
「あいたたた」
「やっぱりまだ痛むんじゃないですか。これを食べて元気を出してくださいね」
「ああ。ありがとうございます」
夕食はミユキさんとメリーさんが共同して作ってくれたものだ。
レインさんの分は消化に良いようおかゆになっている。
「実は私の分も持ってきているんです。一緒に食べましょう」
私は隣のベッド脇に置かれていた机をこちらに引き寄せる。
横目にレインさんの顔を確認するとすでに箸へと手を伸ばしていた。
……タイミングは、食べ始める前の今しかないだろう。
「昨日はありがとうございました」
私は昨日の情景を頭に思い浮かべながら、頭を下げる。
グレイから光線銃で命を狙われた私をレインさんは庇ってくれた。
本当ならすぐにでもお礼に来ようと思ったのだが、体力の回復が先決だとメリーさんからストップがかかったため、レインさんが目を覚ますまで待っていたのだ。
レインさんは私の命の恩人だ。
いくら感謝してもしきれない。
「本当に良かったです。レインさんが目を覚ましてくれて。レインさんには本当に感謝の念しかありません」
「はは。別に気にしないでください。僕が好きでやったことですから」
なんでも無いことのように朗らかな笑顔を見せるレインさん。
その優しさに私は救われる、が。
「でも。そのせいでレインさん、もう少しで死ぬところだったんですよ!」
「それは、すみません。心配を掛けさせてしまいましたね」
「どうして謝るんですか。悪いのは私です……どうしてレインさんは命を張って私を助けてくれたんですか?」
私のせいでレインさんが傷ついた。
それは紛れもない事実なのだ。
レインさんは気にするなと言ってくれるがそれに甘えてしまうのは、私自身が許せない。
「……カスミさんが以前飼っていた猫に似ているという話はしましたよね?」
レインさんの声のトーンが変わる。
飼っていた、猫の話?
私の方に向き直ったレインさんの顔には少しだけ悲しみの色が浮かんでいた。
「それって、たしか昨日の探索の時に話してくれましたよね」
「ええ。その猫、名前はスノーっていうんです。毛が雪のように白くて綺麗で。寂しがり屋なのかいつも僕の傍にすり寄ってきて。出かけるときはいつも僕について来ようとするんです」
「……」
「その当時、僕は小学生だったのですがスノーは学校にもついて来ようとして。朝、僕が家を出るときは学校にまでついて来ようとするスノーを両親が抱きかかえていなければならないほどでした」
遠くの景色を見るような目をして、レインさんは過去を語りだす。
「その日は星が輝く夜でした。
塾で遅くなった僕は家への帰り道を急いで歩いていました。
もうすぐ家に着くというところで、道路脇に僕を待っているスノーの姿を見つけたんです。
スノーは普段、室内で飼っています。
どうして外に出ているんだろうと僕は慌てて駆け寄りました。
スノーも僕の姿を見つけて走って近づいてきます。
僕がスノーへ手を伸ばしたその時、脇道から車のモーター音が聞こえました。
反射的に視線を向けると、こちらに迫ってくる車の姿が。
車は無灯火で、あとから聞いた話では運転手はその時、居眠り運転をしていたそうです。
自動ブレーキも付いていない車体で、グングンと僕へ近づいてきます。
逃げようにも体はうまく反応しません。
もうダメだ、そう諦めたとき目の前を白い影が走りました。
スノーが車めがけ走って行ったんです。
跳躍するスノーは、次の瞬間には車のボンネットとぶつかり宙を舞っていました。
その衝撃は僕のところまで伝わってくるようで、僕は尻もちをついていました。
衝突の衝撃で目を覚ました運転手が僕を見つけハンドルを切り、僕は死を免れました」
「だから、スノーは僕の命の恩人なんです」
遠くを見ていたレインさんの目の焦点が戻ってくる。
その目から一筋の涙が流れ落ちる。
「そんなことが。スノーはその後、どうなったのですか」
「即死でした。スノーは僕のことを身を挺して守ってくれたんだと思います」
「そんな」
私は言葉をつまらせる。
自分を庇って死んでいったスノー。
レインさんはそうとうショックを受けたことだろう。
「だからですかね。カスミさんが銃を向けられたとき、その姿がスノーと重なって見えたんです。気が付いたらカスミさんの前に飛び出していました。今度こそ死なせるものか。あの時はその一心でした。ははっ。僕、運動は苦手なんですけどあの瞬間、反射的に動けたのは奇跡ですよ」
「そう、だったんですね。助けていただいてありがとうございました」
レインさんの行動の真意を知った私は改めて感謝を述べる。
「いえ。今度は誰も死ななかった。それでいいんですよ」
「でも、私はレインさんが傷ついたら悲しいです。あんなムチャはしないでくださいね」
私は素直な思いをレインさんに伝える。
「ははっ。それはこちらのセリフでしょう。グレイに反抗するカスミさんは、見ていて胃が痛くなります」
「……はい。気をつけます」
グレイに歯向かったことは、自分でもどうしてそんなことをしたんだと反省している。
私達の生を侮辱するグレイの発言は許せるものではないが、その結果レインさんを危ない目にあわせることになったのだ。
これからは自制しないと。
そのせいでレインさんや他の人まで危険に巻き込みかねないのだ。
「レインさん。本当にありがとうございました。何かお礼ができればいいんですけど。この中では何もできなくて」
「ははっ。いいんですよ……でも、そうですね。でしたら “これ” に付き合ってもらえませんか?」
そう言ってレインさんが机の引き出しから取り出したのはスケッチブックだった。
「それは?」
「メリーさんが持ってきてくれたんです。『体が弱っているときこそ好きなことをして心の運動をするべきです〜。患者は生きるだけではダメ。活きてこそですよ~』、って」
「ふふ。メリーさんらしいですね」
「ですからカスミさん。僕の描く絵のモデルになってくれませんか」
「えっ!?」
思いもよらぬ申し出に私は目を白黒させてしまう。
ガリガリな私を捕まえてモデルを頼むとは。
これ、レインさんにからかわれてる?
「モデルなんて無理ですよ! 私、自慢じゃないですけど体は骨と皮ばかりで、肉付きが悪いんです。サイネさんとか、トウジさんとか。モデルの適任なら他にもたくさんいますよ、この艦内!?」
「ははっ。確かに彼らはモデルさんみたいなスタイルですよね。でも、僕はカスミさんだからお願いしたいんですよ」
まっすぐなレインさんからの視線。
私は気恥ずかしさから目を逸らす。
「私だから、ですか?」
「はい。感覚的なものなので上手くは説明できませんが、描きたいという気持ちが反応するんですよ」
こんなにまっすぐに見つめられて、真摯に頼み込まれたら。
私が、断れるわけないじゃないか。
「そ、そういう事ならもちろん。よろしくおねがいします」
誰かから必要とされる。
病床に臥していた時間の長い私には慣れない体験だ。
それに相手は命の恩人のレインさん。
断れる訳がないし、私自身もレインさんに描いてもらえるのは嬉しい。
ゆっくりと夕食を摂った後、私はレインさんに言われるままに椅子に座った姿勢でポーズを取る。
真剣な表情のレインさんを眺めながら、私はつい頬を緩める。
レインさんとの時間はゆっくりと流れていった。
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