1-1 「おはよう、世界」
深い闇の中から意識が急速に覚醒する。
「う、ううーん!」
寝転がった状態から体を起こすと、眠さの残る中で大きく上へと伸びをする。
……って、え!?
「体が、軽い?」
私は自身の体に起きた変化を感じとる。
いつもなら気合を入れてようやく起き上がることができるはずなのに、今日はまったく抵抗がない。
私は肩を大きくぐりぐりと回す。
普段はこれだけの動作で疲労を感じるのだが、それもなかった。
頭の中も今日はやけにクリアだ。
こんな目覚め、小学校に入学する前以来じゃないだろうか。
いったい何が起きたのか。
記憶を探ると、涙する家族や友人の顔が脳裏に浮かびあがる。
「そうだ。コールドスリープ! じゃあ、まさか……本当に私は生き返った?」
半信半疑のまま、私は手をグーパーさせる。
目を向ければ私の意思に従って動く病気でやせ細った手があった。
私の中で湧き上がってくる感情。
それはとても暖かい、歓喜の色を帯びたものだった。
「う、うう。キリちゃん。お母さん、お父さん。私、生きてるよ」
私の目から一筋の涙がこぼれる。
手の甲で涙を拭き、もう一度肩を回してみる。
うん。間違いない。私の体だ。
私は、生きている!
「そうだ。みんなはどこ?」
部屋を見渡すが部屋の中には私一人。
誰もいない。
それにここはどこだろう。
病院の中なんじゃないかとは思うけど、部屋にある調度品は私が座るベッドを除けば机と椅子があるのみ。
医療機器の類は一切見当たらない。
落ち着いた茶色を基調にした部屋の内装はホテルの一室を思わせる。
「あれは?」
机の上を見ると本と一枚の紙が置かれていた。
本の方には見覚えがある。
別れ際、キリちゃんから受け取った私の日記帳だ。
私はベッドから立ち上がる。
筋力が落ちているせいか躓きそうになるが、足を踏ん張り事なきを得る。
私はそのまま机に近づくと日記帳を手に取り抱きしめる。
私の日記帳。
これからの私を記す大切なもの……って、あれ?
日記帳の表紙に書かれた「diary」の文字。
その「a」にバツ印がつけられており、代わりに「e」の文字が書き込まれていた。
「diery」って、冗談じゃない!
誰だ、こんな不謹慎ないたずらした奴は!
病人に向かって「
私は隣に置いてあったボールペンで「
ふう。落ち着こう。
私は改めて机の上に目を向ける。
そこには日記帳と共に置かれていた一枚の紙がある。
そこには何やらメモが記されていた。
〜〜〜〜〜
この度はワレワレの実験へ参加いただきありがとうございます。
最初のミーティングは実験開始後すぐに行われる予定です。
お目覚めになられましたら3階ミーティングルームにお越しいただきますよう,
よろしくお願いいたします
グレイズ
〜〜〜〜〜
実験? 一体何のことだろう。
文末に示されたグレイズという名前にも心当たりがない。
メモを読み終わった私はその内容に首を傾げる。
実験とはコールドスリープのことを言っているのだろうか。
まあ、コールドスリープからの蘇生なんて私の感覚からしても治療というより実験というイメージだ。
……とにかくそのミーティングルームという部屋に行けば誰かがいるはずだ。
お母さんたちもそこにいるのだろうか。
体は少しだけふらつくが歩けないほどではない。
よく入院していた経験から病人が一人で出歩くことに気が咎めるが、この部屋にはナースコールもなにもないのだ。
壁に片手を付きながら部屋の出口へ移動する。
私は息を吐くと思い切って扉を押し開けた!
――ゴツンッ
「ふぎゃ!?」
扉を開いた手から伝わる何かにぶつかった手応え。
えっ!? 外に誰か居た!?
聞こえてきた悲鳴に、私は慌てて扉から顔を覗かせる。
「うう~。いった~い」
廊下に出るとそこには看護服を来た女性がしりもちを付き座り込んでいた。
「看護師さん!? だ、大丈夫ですか!?」
「うう。頭をゴチンとぶつけちゃいました~」
看護師さんは頭を押さえて尻もちを付いている。
首にはもこもことした白いファーを巻いた、草食動物のような優し気な雰囲気を纏った女性だ。
優し気な顔がクリーム色でウェーブ掛かった髪と良く合い、とても可愛いらしい雰囲気をしている。
「ごめんなさい。人がいるなんて思わなくて。看護師さん、大丈夫ですか?」
「いえ~。こちらの不注意でしたから気にしないでください~」
「そんな。本当にすみませんでした」
私は謝りながら手を差し出す。
女性は笑みを作ると私の手をとり立ち上がった。
彼女のおでこは一部分が少しだけ赤くなっていた。
「あっ、おでこが! えーっと、何か冷やすものは」
「本当に大丈夫ですよ~。ちょっと痛みますが血が出ているわけでも無いですし……」
女性は私の顔を見つめて突然黙り込んでしまう。
「えっ? あの。私の顔に何か付いていますか?」
「えっ、いえ。そういうわけじゃないですよ~。それよりもあなたはここがどこか分かりますか?」
「えっ!? ここが何処かって、病院じゃ無いんですか?」
看護師さんの姿を見て私はここが病院なのだと確信していたのだが、違うのだろうか。
「う~ん。あなたは誘拐犯さん……という訳ではないですよね~?」
「えっ、誘拐ですか?」
私は思わず声を上げて聞き返してしまう。
コールドスリープから蘇ったというだけでも浮足立っているというのに、誘拐なんて不穏な単語を聞かされれば過剰に反応してしまうのも仕方ないだろう。
……まさか私、今とんでもないことに巻き込まれているんじゃないだろうか?
「やはり誘拐犯さんではありませんよね~。でしたら、一緒に逃げましょう」
「えっ? ちょ、ちょっと!」
看護師さんは私の手をとると廊下を歩き出した。
私は危うく躓きかけるが、何とか足を踏み出し看護師さんの後に続く。
「ちょっと、待ってくださいって! 誘拐って、どういうことですか?」
「分かりませんよ~。私、病院に居たはずなんですけど、気づいたら眠ってしまっていて。目が覚めたらこの建物の中でした~」
「えっ、ここに連れてこられた時の記憶はないんですか?」
「そうなんです~。いつの間に眠ってしまったのかも分かりません~。あなたもそんな感じなのではないですか?」
「えーっと……」
看護師さんからの問いかけに私は言葉を詰まらせる。
偽らずに私の現状を話すのなら、『コールドスリープから蘇生したらこの場所に居た』となるだろう。
しかし、看護師さんの話を聞くに私は今、誘拐事件に巻き込まれているのかもしれないという。
コールドスリープの話なんて持ち出したら絶対に混乱する。
下手をすれば看護師さんから怪しまれてしまうかもしれない。
「は、はい。私も気づいたらここに居て。なぜここに居るのか分からないです」
私は少しだけ考えた後、嘘にならない範囲でぼかして事実を伝えることにした。
話を聞く限り今は一刻を争う状況だ。
混乱を招くより事態を進めるべき、だよね。
「やはりそうなのですね~。これはますます悪い状況です~。なぜ私たちが拘束されていないのかは分かりませんが誘拐犯さんに見つかる前に早くこんな所、抜け出してしまいましょう」
「抜け出すといってもいったいどこへ? 部屋には窓がありませんでしたよ」
「向こうにエレベーターが見えます~。ひとまずはあそこへ行ってみましょ~」
看護師さんと共に廊下の突き当りへと移動する。
そこには一基のエレベーターがあった。
エレベーターの横にはこの建物のフロアマップが載っていて、そこにはこの場所が一階のエレベーター前であることが示されていた。
情報【フロアマップ】
1階 https://kakuyomu.jp/users/takisugikogeo/news/16816927860428595516
2階 https://kakuyomu.jp/users/takisugikogeo/news/16816927860429127839
3階 https://kakuyomu.jp/users/takisugikogeo/news/16816927860429172017
「はあ、はあ、はあ」
「えーっと、大丈夫ですか~。相当顔色が悪いようですけど~」
「すみません、体力が無くて。それよりもこの案内板を見てください。コックピットに、エンジンルーム? ここは飛行機の中なのでしょうか?」
「ワープルームなんて表示もありますよ~。どう考えても嘘ですよね、こんな表示」
「確かに、見る限りふざけた表示ですけど……もしここが飛んでいる飛行機の中なら脱出なんて無理なんじゃ」
「そうですね~。ただ、建物が揺れている感じは無いですし、今が飛んでいる最中なんてことは……」
フロアマップを見ていると突如地面が傾く。
私たちは地面に倒される。
「う~、痛い。さっきからこんなことばっかり。今日は厄日ですよ~」
頭を押さえて起き上がった看護師さん。
私も慌てて起き上がる。
「看護師さん、これってもしかして」
「ええ……本当にここは乗り物の中なのかもしれませんね~」
事態はどんどん最悪な方向へと向かっていく。
すでに建物の揺れは収まっていた。
今のが地震で無いのなら、ここは本当に飛行機の中なのではないか。
ここは何処なのか、私たちは何処へ向かっているのか。
何も問題が解決しないままに新たな問題が積み重なっていく。
『被験者の方々、お目覚めだろうか?』
突如頭上から声がする。
抑揚に乏しい男性の声。
もちろん辺りには看護師さん以外の人間は見当たらない。
スピーカーからの音声だろう。
『ただ今午前九時をもって定刻となった。実験を開始する。艦内にいる被験者の方々は至急三階ミーティングルームへと集まるように。繰り返す。艦内にいる被験者の方々は至急三階ミーティングルームへとお集まるように』
アナウンスの内容に私は看護師さんと顔を見合わせる。
「今のは、犯人の声でしょうか?」
「うーん。やはり私たちが誘拐されたというのは間違いないようですね~。それでその犯人さんは実験と称して私たちに何かをさせようとしているのかもしれません~」
「何かを、ですか?」
「なぜ犯人さんは私たちを拘束していないのか。そのあたり実験の内容に関わってくるのかもしれませんね~」
緊張感漂う雰囲気の中、看護師さんは間延びした口調で事態を考察する。
「指示通りミーティングルームという所に向かうべきでしょうか?」
「出来れば脱出口を探したいところですが、望み薄でしょ~。犯人に逆らうというのは余り賢い行動じゃ無いですよね~。余り気乗りしませんが犯人からの指示である以上、従うべきでしょうね~」
「……そうですよね」
案内図の方を見る。
現在は一階。犯人が指定したミーティングルームは三階に位置する部屋のようだ。
私達は頷きあうとエレベーター横のボタンを押す。
すぐに上部の階層表示が動き出し、エレベーターが到着した。
誘拐と聞かされた今、私の心はどんどんと暗い靄に包まれていた。
いったいこの先に何が待ち構えているのか。
恐怖心が私の心を覆っていく。
「行きましょ~」
「は、はい」
私がうつむいていると、看護師さんは笑顔で私の手を握ってくれる。
「私、
「えっ。ええっと、私は
「ふふ。カスミさんですね~。ぜったいに二人で一緒にここから脱出しましょうね~」
「あっ、はい。メリーさん、よろしくお願いします!」
優し気に微笑む看護師さんの行動に私は不安を振り払う。
そうだ、大丈夫。
私は死という最大の障害を乗り越えたんだ。
誘拐だろうがなんだろうが、絶対に生きてやるんだ。
私は不安を押し殺すように頷くと、看護師さんと共にエレベーターへと乗り込んだ。
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