正義と悪人

 ───間一髪だった。

 キラの腕を掴むフィルは、チラりと辺りを見渡して思った。

 目の前には大槌を振り下ろそうとしているキラに、背後はへたりこんでこちらを見上げるミリスの姿。

 この構図だけ揃えば、どんな状況であるかは容易に想像がつくだろう。

 少しでも遅ければ……そんな『if』に、フィルの背中に悪寒が走った。


「あはっ! やっぱり来たね悪人ヒーロー!」


 キラは腕を振り払うと、そのまま後方へと飛んで距離を取る。


「ほんとっ、タイミングがよすぎじゃないかなぁ〜? そんなことしてるから『影の英雄』って呼ばれるんだよ〜?」

「俺だって望んでこのタイミングなわけじゃねぇよ。稀代の演出家じゃないんだ、意図して美味しいタイミングに出演なんてできるか」

「それでも、フィルくんはやって来た! あと一歩のところで〜! 演出家って思われてもおかしくはないんだよ〜!」


 忌々しそうに顔を歪めながらも、しっかりと声の抑揚は明るいもの。

 緊張感に欠けそうなやり取りではあるが、フィルを見据える顔が『敵』と見据えたものであることに緊張感が窺える。


「……フィル様」

「大丈夫ですか、ミリス様? 護衛の騎士は……って、言わんでも分かるか」


 瓦解したテント、一部が吹き飛ばされたような跡が残る木々。

 これもまた、言わずとも見ただけで理解させられる。


「どうして、フィル様がここに……? 私、何も告げていませんでした」

「状況証拠の推測ってやつです。ミリス様が「南に行く」なんて言ってたら、俺は稀代の演出家なんて思われずに済んだでしょうね」

「で、ですがっ! ここは戦場です! たとえ私がここにいて、襲われるかもしれないと分かっていても、命の危険をおかしてまでここに来る理由がありません!」

?」

「ッ!?」

「理由がないから助けちゃいけない? そんなこと言い出したら、元よりあなたを助けちゃいない───初手、初めて会ったあの時、俺は気を楽にして晩酌でもしていましたよ」


 フィルが他者を助ける際に合理的な理由などない。

 優しさから始まる自由───それを元に自分があるからこそ、理由などいらずとも他者に手を差し伸べる。

 自分が自分でいられるなら、理由などいらない。

 大義名分、周囲を納得させる名目、目先の利益───そんなものに縛られてどうする?


「俺は自由だ───自由だからこそ、あなたを助ける。助けたい、幸せになってほしい……その気持ちだけで、拳を握る正当性は十分だ」

「それだけ……?」

「それだけでいいんですよ、心優しいあなたという人を守るためであるのなら。だから、

「〜〜〜ッ!?」


 ミリスの頬に涙が伝う。

 助けられたことに対してか、それともその言葉を向けられたか、はたまた英雄たる人物の背中を間近で見たからか?

 それは分からない。一部かもしれないし全部かもしれない。

 それでもミリスは泣いた───嗚咽を殺して、嬉しさを滲ませた顔を浮かべて。


「はぁ〜あ、やめてよそういうの〜! 客観的に見たら、私の方が悪人みたいに映っちゃうじゃん〜!」

「善人な少女を殺そうとしておいて悪人じゃない? ぬかせよ、聖女。アンケートでも始めるか? なんなら、全財産賭けてもいいぜ。どっちがどっちかなんて、言わずとも分かるだろうよ」

「ないよ、ないないないっ! 正義はこっち、悪は君! この構図は、有象無象が集まったアンケートで過半数を獲得しても揺るがないっ! 正義は必ず民主主義の方にあるわけじゃないんだからぁ〜!」


 キラは大槌を構える。

 英雄が現れたとしても、自分の成すべきことは変わらないのだと言っているように。


「ねぇ、知ってる〜? 人がどうやったら幸せになれるのか〜?」

「哲学か? 生憎と、文学者になるつもりはなくてな」

「哲学なんかじゃない、文学者になる必要はないよ……明確に、子供でも分かるような簡単な算数の計算式。不幸にする悪人が一いれば、ゼロにすればいい。天災がそうそう起こるわけじゃない、流行病が唐突に広がるなんて滅多にない───それでも、人が不幸でいるのは『悪人』がこの世にいるからなんだ」


 天災はどうしようもない。流行病も誰が悪いわけじゃない。

 そんなどうしようもないものは、おいそれと起こるわけがない。

 しかし、それでも人が不幸であるのは、頻繁に起こる『人の欲』が生み出した悪人の所業に他ならない。

 山賊がいるように、奴隷商人が未だにいるように、無理な税金を強いる領主がいるように。

 そういった不幸は、悪人と呼ばれる人間によって生み出される。


「悪人に困らされる人はいっぱいだよ、そういう人がいなくならない限り、誰も幸せな人生を送れない───ならばどうすればいいのか? 女神を信仰する? 話し合いで解決する? ううん、違うんだよ……、誰もが幸せになる」


 殺してしまえば、不幸たる因子は消え去っていく。

 話し合いしても解決できないことが多いのは、誰もが知っていることだ。

 解決できないのなら、不幸になってしまう要因を根っこから駆除すればいい。

 雑草を抜くだけでは表面だけ───そんなことせずに除草剤を撒いて根絶やしにしよう。

 キラの発言は、そういう考えだ。


「だから私は悪を殺す……違う、殺さなきゃいけないんだ。そのためには『裁定派』が消えてしまっては困るの。これは正義だよ……世に住む人々を救うための正義なんだ。それを阻む者は全員───」

「悪人だってか? 笑えねぇな……結局、お前らがしてることは悪人と変わらねぇよ」


 ミリスを庇うように、フィルは一歩前に踏み出す。


「自分がしたい理想を他人に押し付ける。それのどこが悪人と違うってか? 極端に言えば、「何かがほしいから奪おう」っていう悪人の思考とそっくりだよ。鏡でも貸してやろうか? 綺麗な悪人顔が拝めるぜ」


 キラの顔が曇る。それは馬鹿にされたからではないだろう。

 恐らく、と同列に扱われたからだ。

 キラは心の底から否定したいのか、おっとりとした口調が変わり、どこか必死になる。


「違うっ! 私達は、人々を救うために……ッ!」

「その人々の中に、ミリス様は含まれなかったのか?」

「ッ!?」


 キラの言葉が一瞬詰まる。

 言い返し難い言葉を投げられたからか、たじろぐ様子が伺えた。

 更に、唇を噛み締め首を振る姿は……主張を貫きたい我儘な子供のようにも見えた。


「救わなきゃいけない人間の筆頭だと思うけどな、ミリス様は。人々のために各地を周り、労り、優しさを向けてきた……そんな人間が救われないなんておかしいだろ、幸せにならないなんておかしいだろ? 彼女は真っ先に幸せにならなきゃいけない人間だろうが。少なくとも───俺はこの子の前に立とうと思えるぐらいの人だよ」

「うるさいっ! もしそうだったとしても、それ以上の人々を救うための必要な犠牲なんだよ!!!」

「そう言っている時点で、救済なんてできねぇよ。お前のやろうとしてるのは我儘の通らない子供の所業だ。俺より年上だろ? チープでガキらしい思考をしてんじゃねぇよ」


 フィルの言葉に、キラの額に青筋が浮かぶ。

 諭すことはできない、納得させることはできない。

 できるのなら、心根の優しいミリスが先んじて行っているだろう。

 穏やかな瞳の裏に隠された憎悪が、誰の目からも分かるほど表に現れる。


「私を惑わせるな、悪人が……ッ! 悪は絶対に根絶やしにする……しなきゃいけないの!!!」


 だったら───


「やるなら徹底的にやろうか。聞き分けのない子供には躾をしてやる」

「あ、あァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」


 正義せいじょヒーロー

 大勢を守ろうとする想いと、一人を助けたいと願う自由が交差する。

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