あっけない別れ

 私とマスターが心配していた通り、犯人が義弟だったという話を聞かされ、李さんは呆然としていた。泉谷さんは、『そんなアホな話あるかいな……』と目頭を押さえて俯いているし、杏さんやマークさんも顔面蒼白である。まあ元々蒼白ではあるのだが。正延さんもマスターも見えないからいいだろうが、私は居たたまれないことこの上ない修羅場である。

 だが、唯一救いがあったのは、奥さんも子供も全く無関係だったことと、義弟さんも李さんを殺すつもりは全くなかったのだということだ。


「奥さんの弟さんも、義兄である李さんには世話になっていたし、勿論嫌いではなかったと。ただ生活に困って切羽詰まっていたので、精神的にちょっとおかしくなっていたと本人は言っています。気を失わせてお金を頂こうと思っていたら、力が入り過ぎたのか当たり所が悪かったのか、亡くなってしまったと」

「いえ、義理でも兄、お姉さんの旦那さんじゃありませんか。普通はお願いして借りるとか、そういうのが先に来るんじゃありません?」


 マスターは理解出来ないという顔をしているが、私も正直同じ気持ちだ。


「プライドと嫉妬じゃないでしょうか」


 正延さんが続ける。


「その当時、李さんの中華料理店は、味がいいということで徐々に人気が高まって、その頃は毎日沢山のお客さんが来ていたみたいです。それで、店をリフォームしてもっと小綺麗にしようかとか、もう少しお金が貯まったらマイホームを、みたいな話を姉や李さんから聞いて、何故自分はこんなに上手く行かないのに姉のところは幸せそうなのか、と嬉しい反面腹立たしかったそうです。うん、まあ八つ当たりですよね。朝から晩まで立ちっぱなしで夫婦で働いてたり、奥さんから聞くと、お客さんを増やそうと日本人好みの味を研究するべく、親子であちこちの人気のある中華料理店に足を運んだりしていたそうですから、努力の成果でもあるんですが。人間はいいところだけ見て妬むものです。だからこそ自分がみじめで、貸してくれとは言い出せなかったらしいです。成功している人間に対する見栄みたいなものもあったんじゃないでしょうか」

「全く分からない話じゃないけど、それにしたって……」

「でも、何件も同様の強盗殺人をしていたと聞きましたが……それも嫉妬なんですか?」


 私は少々腹が立っていた。そんな身勝手な理由で殺されてはたまったものではない。


「まあ勿論お金、というのがあるんですが、最初の事件、お義兄さんを自らの手にかけてしまったことで、自分が取返しのつかないことをしたと思って絶望したそうです。それで、どうせ地獄に落ちるなら一人殺すも二人殺すも同じじゃないか、と」

「同じじゃないわよ! 人の命を何だと思ってるのよその人!」


 マスターが怒り心頭という顔で叫んだ。


『……私、義弟(おとうと)も喜んでくれてると思たヨ。義兄さん本当にすごいよ、っていつも笑顔で言ってくれたネ。私と妻の苦労分かってくれてる思たヨ。私一人っ子だったし、本当の弟みたいに思ってたネ』


 ぽつり、と呟いた李さんは、本当に寂しそうだった。


「李さんのせいじゃないですよ。李さんは何も悪くないです」


 私は慌ててそう返したが、李さんは首を振った。


『きっと私調子乗ってたネ。仕事忙しいケド毎日お金入る。昔は苦労ばかりかけた奥さんも子供にも今は幸せに出来る。自分が頑張ったのを誰かに認めて欲しかったネ。少しは成功した人間として、義弟にも自慢したかたかも知れないヨ。お姉さんが私と結婚して不幸じゃないと思って欲しかった。きっとそうヨ。私が死んでしまたから、義弟もタガが外れてしまったネ。私が生きてたらそんなこともうしなかったかも知れない。そう思うと義弟の人生を歪ませてしまった責任も感じるヨ』


 私が正延さんとマスターにも伝えると、彼らは首を振った。正延さんは「誰だって苦労を認めて欲しい気持ちはありますよ」と言った。


「ですがね、普通の人は、人を羨んだからって殺人はしないし、お金がないからって強盗もしないんですよ。あの男は俺にも言い分がある、という感じで話をしましたが、どんな事情があれ、強盗という形で義兄さん夫婦から金を盗もうとしたのと、それを自首するでもなく不幸な事故として自分の中で勝手に片づけて、それ以降は犯行がバレたくないと強盗殺人を重ねている時点で私利私欲しかないんです。同情の余地はありません。その時に李さんが亡くならず強盗傷害事件だったとしても、捕まらなかったらそれは楽してお金が入ったという成功体験になり、どこかでまた強盗をしていたかも知れませんし、運悪くどなたかが亡くなっていたかも知れない。たらればで話をしても仕方がありませんが、李さんの事件の後で、しれっと何事もなかったかのように姉と甥っ子と家族付き合いをしていた時点で、私は人としての道に外れていると思います。李さんのせいじゃない」


 きっぱりと言い切る正延さんに、私もマスターも強く頷いた。


『……小春さんもマスターも、刑事さんも優しいネ。でも悲しいヨ私。義弟を犯罪者にするために生きてたのか思うと辛いヨ……』

『──李さん、泣かんでくれ。ワシも泣けてまうやないか』

『もう泣いてるじゃん泉谷さん。もう、李さんも泣かないでよー』

『皆さんダメです。余計李さんが悲しくなるじゃないですか』


 泉谷さんも杏さんも、マークさんもそう言いながら涙をこぼしていた。マスターも我慢してはいるが、目が充血している。

 少しして、正延さんがそれと、と続ける。


「李さんのお宅でご焼香させて頂いたんですがね。李さんの息子さんが、『父を殺したのが叔父だったと知って、憎くて今度は自分が殺してやろうかと思ったけど、それじゃ叔父さんと同じ犯罪者になるし、殺したからって父や他の亡くなった人達が戻って来る訳じゃない。それに、自分がバカなことをして、これ以上自分の家族や母を悲しませる訳にはいかない』と仰ってました。息子さん、三十四歳になって、結婚してお子さんも二人いらっしゃるんですよ。男の子と女の子」

『……あの子、もう三十四歳ネ……私が死んだ時にはまだ十八歳になったばかりだたヨ。そうですか、私の孫がいるネ……私の奥さんも寂しくなくなって嬉しいヨ』

「あと、以前とは別の場所なんですが、彼も中華の料理人として最近お店を出しましたよ。父親の仕事が昔から大好きだったから料理人になると決めていた、と。お客さんが、お父さんの作ったご飯食べて笑顔で帰るのを見るのがいつも誇らしく嬉しかったとかで。──李さん、とても親思いのいい息子さん育てたじゃないですか。私はこの年でも独り身なんで子育てとか分かりませんけど、親の背中を正しく見ていたんじゃないですかね。夫婦でそんな息子さん育てたのは、李さんがきちんと生きて来た証だと、私はそう思います」


『……よく出来た息子ネ。私には勿体ないヨ』


 李さんは少し笑った。そして、私を見た。


『小春さん、ありがと。私達が見えるアナタのお陰で、家族のことも知れたヨ。本当に心から感謝するネ』

「そんなことないです。正延さんを泉谷さんが見つけてくれなければ、真相は未だ分からないままだったと思います」

『そうネ。皆ありがと。ホントありがと』


 そう言うと、李さんの姿が薄まり、そして突然消えた。


「え? 李さん?」

『おい李さんどこや?』

『ちょっと! いきなり成仏しちゃったの? ねえ! ちょっとは別れを惜しみなさいよ李さんのバカ!』

『サヨナラ言う暇がありませんでした』


 私の慌てた様子に、マスターが尋ねる。


「……まさか、成仏しちゃったの? 李さん」

「──かどうかは分かりませんが、消えてしまいました」


 正延さんは私の方を見て、少し苦笑した。


「私はそういう幽霊とか霊媒師とか、正直全く信じてなかったんですけどね、まあ今もですが。嘘くさいのが多いですしね。……でも、亡くなった方は戻らないけど、自分が仕事して、それで報われる魂もあるんだと考えると、救われる気がします。八割ぐらいは信じられるかも知れません。円谷さんの話ならば、ですがね」

「……あとの二割は何ですか?」

「そりゃあ、刑事ですから常に疑心暗鬼でいないと仕事になりません」


 はははっと笑うと、他の、こちらにいらっしゃると円谷さんが仰った方々も、仕事の合間に調べてみますよ、と言うと、正延さんは腰を上げた。


「それじゃ、また」


 奥のテーブル席の方に向かっても軽く頭を下げて、正延さんは楽しそうに出て行った。まあ彼らは真横にいたのだが。


「ねえ小春ちゃん……ちょっとあっさり逝きすぎじゃないの?」


 マスターが何とも言い難いような顔でテーブルを片付け始めた。


「成仏ドミノとか言ってたじゃないですかマスター。ゾワゾワが減って嬉しいんじゃないですか」

「いや、そうだけども……いざとなると、見えてなくても何となくこう、寂しいというか」

「そうですね……私も李さんのダイジョブダイジョブが聞けないのかと思うと寂しいです」


 久松さんは別れるまでもう少し心の準備が出来る時間があったが、人によって時間差があるのだろうか。明日になったら、またテーブルでワイワイと皆で話していそうなぐらい、あっさりと居なくなってしまった。


「……泉谷さん達は、成仏するときは、せめてサヨナラが言えるぐらいまで我慢して下さいね」


 私がそう言うと、


『そんなウンチか小便みたいに言われても分かるかいな』

『泉谷さんちょっとばっちいたとえ止めてよ。もう下品なんだから!』

『ハハハッ、出モノ腫れモノなんとやら言いますねー』


 といつも通りの返事が返って来て、少しだけ安心した。

 李さん、生まれ変わって孫やひ孫とかと会えるだろうか。




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